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第十九編:卒郷試験

 ……ん、よおこそ。

 貴方も災難ね、あんなのに気に入られるなんて。それなりに強い自負のある私でさえもぞっとしないもの、人間の身では大変でしょうに。


 何の話か? ああ、その反応ならまだ彼女からの接触はないのね。安心したわ。


 じゃあ、はい。八雲紫、あの胡散臭いスキマ妖怪の新作よ。読んであげて頂戴。

 ……あいつ、随分と貴方のことを気に入っているみたいなのよね。勘弁してほしいわ。貴方は私の客なのに、取られてしまっては堪らないのだけど。


 まあ、貴方にそんなことを言っても仕方ないわね。私の知り合いみたいな特殊技能もない、平々凡々な人間の身では、対抗のしようもないのだもの。ともあれ、少し身辺に気を付けて、とだけ伝えておくわ。


 さて、今度の話は前とは違って幻想郷でのものみたいね。また前のような全くよく分からない話を押し付けられたらどうしようかと思っていたのだけど、杞憂に済んで良かったわ。


 人妖紹介をしていくわ。


 語り部の宇佐見菫子――彼女はなかなか幻想郷でも稀有な存在ね。精神としては完全に人間、けれど様々な超能力を使えるらしいわ。そして興味深いのが、彼女は「女子高生」――外の人間であるということよ。

 彼女はどうやってか幻想郷の存在を見出した上で、「夢の世界」とか「ドッペルゲンガー」とか「オカルトボール」とか、様々な近代怪奇を駆使して幻想郷に侵入してきた、なかなか気骨ある人間よ。まあ、即座に幻想郷の面々にいびり散らされていたのだけども。

 それ以降はわりあい幻想郷に馴染んで、外の世界と行き来しながら退治されない程度に楽しんでいるということよ。


 八雲紫はスキマの妖怪。あらゆる概念の境界を司る、幻想郷の管理者よ。人間の目のずらりと並んだ「スキマ」と呼ばれる不思議空間を開けたりすることもできるらしいわ。胡散臭いやつではあるけれど、悪意で行動しないところは彼女の信用できる点ね。


 それと、古明地こいし。お馴染み無意識の妖怪よ。曖昧性からか他人に影響を受けやすいのだけど、あれでどうして自己同一性を保てているのかは興味の尽きないところよね。


 そんなところかしら。

 ……正直、この菫子という人間はいまいちよく分からないのよね。私も、平行世界の私も会ったことがないみたいだし。私の知ってる噂では未だに「女子高生」を名乗っていると聞くのだけど……ねえ、その「女子高生」という肩書は、五年以上も使い続けることができるようなものなのかしら?


 まあ、良いわ。私には関係のない話だもの。

 それじゃあ、楽しんでくれたなら幸いだわ。――『ゆっくりしていってね』。




「ふう……ただいま幻想郷、つって昨日ぶりだけどね」

 私は宇佐見菫子。

「さてはてここはどこかしらーっと」

「もしもーしここは魔法の森の大体西のあたりでーす」

「うおっまた出やがった!」

 種族、花の女子高生……はもう卒業しちゃって、今は一介のワーキングガール。

「もーいい加減にしてよー……そろそろうんざりしてきたんだけど」

「こっちだって困ってるのよー? 菫子ちゃんたら全然答えてくれないんだもの」

「いや、だからさ、」

 好きなもの。パンダ、オカルト、メロンパン。

「ねー菫子ちゃんそろそろちゃんと答えてよー。貴方は大人?それとも子供?」

「だーかーら自分自身で分かってんならとうの昔に答えてるっつってんでしょーが!」

 最近苦手になったもの。古明地こいし。



「あーもー……あんにゃろ好き放題言い放ったまま消えやがってからに……」

 文句垂れ垂れ空を飛ぶ。空を彩る満天の星はいつも通りに綺麗だけど、そんなのは大して私の心を慰めてなんかくれやしない。ていうか見飽きた。そろそろこっちの澄んだ青空が恋しくなってきたんだけど、それは明後日の土曜まではお預けである。昼寝なんてもの許されないのがオフィスワーカーの辛いところ。あー悲しい。

「なーにがどっちも選べない意気地なしじゃい……次見かけたら問答無用で弾幕浴びせてやろうかしら……いやなんかそれはそれで喜ばれそうでやだ……はーまじで詰みゲー許すまじ」

 まあ仕事の愚痴はしょーがない。それよりも問題はあいつだ。

「ほんっと、なんなのよあいつ」

 古明地こいし。

 そもそもが、ほとんど付き合いはなかったはずなんだよね。せいぜいが異変の時に成り行きで数度やり合ったぐらい。地底にお邪魔してお酒、あー、お米ジュースを頂いたことはあったけど、その時も……なんだっけ、地霊殿?とかいうお屋敷には近づかなかったわけですし。ていうかあいついいとこのお嬢さんなのね。最初聞いたときびびったわ。

「私が大人か子供か? うるせーそんなん私の方が知りたいっての」

 それがここ最近、ていうかこの半月ぐらい、毎日毎日ふっと現れては、毎度おんなじ変な質問を投げてくる。そんでもって、答えられないとみるやけちょんけちょんに煽ってくる。

 いや私に訊いても碌な答えは返せないから。最初の三日ぐらいで気付いてほしかったんだけど。

 ほんと、思い返すたびに腹立たしい気分になる。その気持ちのまま私は、はー……と溜息を吐いて、うーと唸って、そして叫んだ。

「あーもーなんで気晴らしに来た幻想郷でいやな気分にさせられなくちゃならんのか! なに、私なにか悪いことしたわけ? いやしたかも。うんしてたわ。うえーんかくも現実は因果応報塞翁が馬……いや違うけど」

 叫んだというか愚痴った。愚痴った上にセルフ突っ込みである。傍から見ればやべーやつに見えるんだろうなーなんて思って、思考がそっちに向かってることに気付いてもう一度溜息。

「やだなーほんとなーそこらの凡俗と同じにはなりたくないんだけどなー」

 思わず漏らしてしまったのは、考えたくなくて考えないようにしてたこと。というか、古明地こいしの案件の一番根っこにある問題。

「……社会人、かあ」

 そう。

 困ったことに、もう私は社会に出てしまったのだ。



 社会人ってのはほんとにめんどい。そもそもどうしてこの私が、十羽からげの凡俗どもにへいこら頭を下げなきゃいけないのか。あまつさえ、極力目立たないように溶け込もうとしないとならんのか。なーんて腹を立ててみて、まあ、それで食っていけるなら苦労はない。そこらの人間とは違うのだなんて思っていても霞を食べてるわけではないし一人でやってくスキルもない。だから今日だってこうして私は必死に上辺を繕いながら、どうにか仕事をこなしてた。そうなんですかー凄いですねーなんて適当に言葉を飾り立て、いいもんどうせ私には素敵な楽園があるんですよーだ、なんて心中舌を出してね。

 でも問題は、その繕っていた上辺の顔が、いつの間にかこっちの私にも影響を及ぼしつつあるってこと。

 それこそ昔の私だったら、変なのなんて思われるのは当然のことと思っていたし、目立つのだって受け入れていた。そもそもそんなのが怖かったらオカルトサークルなんてやってないし、マントをなびかせることだってしない。だって孤立するのは心地よかったし何より便利だったからね。

 でも、今の私はそこまで割り切って考えられない。そうありたいとは思っているし、身体もその頃を覚えているのに、外で被ってた上辺の私が中途半端に邪魔をする。誰も気になんてしないのに、自分自身にけちをつけては自己嫌悪に染まる繰り返し。だからといって身に染み付いた言動だとか習慣も、数月そこらじゃ消えてなくなるわけもなくて。

 そんな感じで今の私は、過去と今とに宙ぶらりんの、どっちつかずな半端ものってわけ。



「……おっと?」

 とりあえず、うじうじしたさっきまでの思考を脇に置いて。

 いつもの通りにとりあえずは、と博麗神社に向かったところで、そこからなにやらいつもと違う喧騒が聞こえてくるのに私は気付いた。

 お祭りだ。

 近づいてみて上から見れば、屋台がずらりと参道沿いに並んでる。がやがや騒がしい道の中には見知った顔もいくらか見える。相変わらずの楽しみ具合みたいだ。

 ……なんだけど、はて。こんな時期にお祭りなんてあったっけ? 夏祭りにはちょっと遅いし収穫祭には早すぎる気がするんだけど。というか昨日来たときには、霊夢っちも何にも言ってなかったし。

「考えごとかしら?」

「うわあ!」

 驚いて思わず声が出た。突然後ろから、しかも心を読んだようなことを言われたんだから、流石に当然というかなんというか。てか幻想郷では後ろから驚かすのがブームなわけ? こいしもいつもやってくるし。

「ちょっとゆかりん、びっくりさせないでよ」

「あらあら、これはごめんなさいね」

 振り返って文句を言うと、にこにこと胡散臭い、つまりいつも通りの笑顔で、ゆかりんこと紫さんは私に微笑みかけた。うん、この顔さては欠片も悪いと思ってないよね。絶対次もやろうとか思ってるでしょ。

 ……別にいいけどさ。気を取り直して私は尋ねた。

「いやさ、昨日来たときは祭りがあるって話聞かなかった気がしてね、おっかしいなーって思ってたのよ」

「そうよねえ」

 やれやれって感じでゆかりんは肩をすくめた。

「霊夢ったらこういうときだけ無駄に動きが速いんですもの、困ってしまいますわ」

「あー、やっぱり?」

 予想通り、突発的なお祭りだったみたいだ。

「珍しいお酒をもらったそうよ。京都の裏道でしか手に入らないと聞いたのですけど、だからって祭りを開くなんて大げさじゃあないかしら」

「いやまあ、霊夢っちはお祭り好きですし」

 ははは、って適当に言っとく。たぶん裏ではお金とか河童とかいろいろ動いてるんだろうなーって思ったけどそれは一応言わないでおく。ゆかりんがどういう立ち位置なのかは知らないけど、霊夢っちのお金回りに関わるとろくなことにはならなさそうだし。放っておく方が面白そうだし。

「そうねえ」

 気のなさそうなゆかりんのその声に、なんだかちょっと違和感を感じて振り向くと、興味深いものを見るように細められた目が私を見てた。

 ……なんか、嫌な感じだ。普段の胡散臭さとはちょっと違う雰囲気。観察されてるみたいだ、って思った。

「貴女、ここ暫くはずっと思い悩んでいるわよね」

 ゆかりんの言葉を肯定するかどうか、ちょっと悩んだ。思い浮かんだのは、しつこい知人のこと。口にしようか考え込んでるうちに、次の言葉をかけられる。

「どちらが正しいかは貴女次第ではあるけれど……貴女ならきっと、私達にとって望ましい選択肢を選び取ると信じていますわ」

 ……なんか、今までになく胡散臭い。

「何考えてるわけ? っていうか」

 何をどこまで知ってるわけ?と尋ねようとした口を、その白い指で塞がれた。その顔に浮かんでいるのは普段通りの胡散臭げな微笑みで、まあ、さっきの顔よりかは安心できる。

「難しい話は一旦終わり。折角のお祭りなんですもの」

 言ってゆかりんは指を離すと、私の背後を指し示した。

「お友達と一緒に、楽しんできてはいかがかしら?」

 振り返ると、そこには古明地こいしがいた。

 首を戻すと、ゆかりんは消えていた。



 勘弁してよ、って思った。一時間ぐらい前、こいしに出くわしたときにも似たようなことは思ったけど、そのときとはまた違う方向で。

「ねー董子ちゃんりんご飴食べましょりんご飴」

「いやいらないから」

「菫子ちゃん、わたあめ欲しくないかしら?」

「欲しいんなら買ったら? 私はいらないけど」

「菫子ちゃーんうなぎ串一緒に食べましょ?」

「……まあ、そんくらいなら」

 出会ってからずっとこんな調子。ひとが楽しんでるのを見るのは嫌いってわけじゃないんだけどね。でもその中に混ざるのは、正直言って、めんどくさい。

 いやまあこれは昔からなんだけどさ。最近の悩みとは無関係。お祭りに乗せられてはしゃぎまわるのは、さすがに幼稚だしバカっぽいじゃん?

「ねーねー菫子ちゃん! 虫掬いやりましょ!」

「絶対やだ」

「えー」

 まあでも、思ってたよりはずっとまし。てっきりこいつは子供大人問答をしてくるとばかり思ってたからね。どうも杞憂だったみたいだけどね。でもこれまでのあのしつこさからして、そう考えるのは仕方ないかなって思うけど。

「射的とかはどうかしら? 楽しいと思うんだけど」

「それには同意しかねるなあ」

「そう?」

 ……っていうか、ちょっと意外だったのが、こいしはこういうの好きだってこと。

 なんかこう、私の持ってたこいしのイメージってさ、もうちょい危険ってかずれてるっていうか、普通の娯楽じゃ満足できないタイプだったんだよね。イメージとしては死体をバラして喜ぶような、そういうアレ。無邪気で子供っぽいのはイメージ通りなんだけど、どこがとも言い切れない異変で会ったときのあの不気味さと、今の様子がいまいちしっくりマッチしないわけ。

「……ねえ」

 なんにしても、思ったよりもめんどくないのはありがたいよね。って思考を一回打ち切ったところで、突然止まったこいしの背中に私は軽くぶつかりかけて、よろめいた。

「なによ」

 困惑しながら言葉を返した私にこいしは振り向くと、困ったように首を傾げて、言った。

「もしかして、菫子ちゃんはつまらなかった?」

「……あー」

 確かにそう見えちゃうよなーって思いながら、そんなことないって私は返した。

「だってさ、楽しんでるひとを眺めてる方が、私にとっては楽しいからさ」

 誤魔化しとかじゃなくって、ほんとのことだ。

 実を言うと、騒いでる知り合いたちを眺めるのは結構好きだったりはするんだよね。普段と違う一面を見て、そのギャップを楽しんでる、みたいな感じで。

「ほら例えばさ、普段真面目な華扇ちゃんが両手いっぱいに食べ物抱えて幸せそうな顔してるのとかさ、いっつもぼんやりのんびりしてる霊夢っちが血走った目で屋台やってるのとかさ、ああいうの見てるとなんだか楽しくなってこない?」

「んー分かんない」

「分かんないかー」

 まあ、しゃーないよね、って私は思った。別に分かってもらおうとしてるわけでもないんだし。私にも祭りに浮かれるひとたちの気持ちは分かんないんだし。つまりお互い様。

「でも菫子ちゃん、屋台を見て回るのは面白くなかったんでしょ? だったらちょっと、悪いことしちゃったかなーって思ったのよ」

「あー、まあね」

 確かにそれはあるなって思って私は頷いて、そのままの勢いで言葉を繋げた。

「ああいうガキっぽいノリ、いまいち私にはわかんないんだよね」

 そう言ってははって軽く笑った私は、多分気が緩んでたんじゃないかな。いや、だってそうでしょ。ひとが楽しんでるものを一言で切って捨てるのは、流石にひととして問題だもの。

「……そっか」

 だから、その瞬間に空気が一気に冷え込んだのに、その原因は九割方私だってことに、私はすぐ気付いた。

「菫子さんは、もう子供じゃないんだね」

 それで、こいしがそんなことを言ったのに対して、私はどう応えるべきか一瞬迷った。迷ったんだけど本当は迷う必要はなかった。だって、それは質問じゃなくて、ただの確認だったから。

「じゃあ、殺すね」

 そして、こいしが目の前でそう言った瞬間、



 ――――私の背後から殺気が噴き出した。



「――――っ!」

 ほとんど直感任せに私は背後へ念動を放った。

 遅れて振り向いた視界に映ったのは先程までと変わらない人込み、そこに不自然にぽっかりと空いた空間、そして吹き飛び崩れ虚空に溶けていく包丁。一瞬念動が遅れていたら背中にあれが刺さっていたのかもって考えると、なかなか結構心臓に悪い。

 いつの間にか、私の周りにはひとがいなくなってた。って言うとちょっと正確じゃないかも。つまり周りのひとたちがまるで柱でもあるみたいに、私の周囲を迂回していってるってこと。

 というか、包丁が宙を舞ってたっていうのに一人も騒ぐひとがいない。気付いてる素振りをするひとですら、一人もいない。はっきり言って、異常だ。

 ……こいしの能力じゃないかな。無意識を操るとかいうあの能力で、自分の姿はおろか私の姿まで隠してしまったんだと思う。みんな迂回してるのもたぶん同じ理由だよね。

 振り返ったけどやっぱりさっきまでの場所にこいしはいない。これはちょっと、結構だいぶやばいのかもって私は思って、

「――――っ!?」

 またも背後に殺気。振り向きながら念動を放つ。視界の端にまたも溶け行く包丁を捉えて、そこでようやく私は微かな音に気が付いた。

 ジリリリリ、とかいう、古風なタイプの着信音。それがずっと、小さく鳴り響き続けてる。

 ……だいたい理解した。

 つまりこれは、メリーさんの電話だ。


 気付いてすぐに私は空へ飛び出した。そのまま全速力で、後ろを見ないように飛行する。最低限、これなら時間を稼げるはず。私のその予想の通り、何度も背後に現れた殺気はすぐに背後に置いていかれたみたいだった。

 メリーさんの電話。オカルトボールの騒ぎに乗じて幻想入りした都市伝説の一つ。古明地こいしのオカルト。

 元の話では電話をかけつつゆっくりこちらに迫ってくるタイプの怪異で、どうやらこいしはその話を、背後へのテレポーテーションとそこからの包丁での切り付け、と解釈してるらしい。

 さて、じゃあ手の内が分かったところでどうしよっかな、って飛びながら私は考え込んだ。

 都市伝説の決まりとして、助かるための手段というのが用意されていることが挙げられる。それは呪文だったり行動だったりものによって違うんだけど、幸いにしてメリーさんの電話というのはその手段が多く用意されているわけで。

 だけど、こっちの取れる手段っていうのは、あんまり多いわけじゃないっていうのが問題でさ。

 例えば、諦めてもらえるまで逃げ続ける。電車が夜まで動いてる現代文明でなら結構有用なんだけど、流石に超能力で飛び続けるのは体力が保たない。

 電話に出ない、振り返らない。元の話では効果があるけど、こいしに対してはあんまし意味がないと思う。

 シュークリームをあげる。持ってるとでも思うわけ?

 ……交渉する。相手は一応言葉の通じる、意思疎通の図れる相手なわけで、なら言葉でどうにかなる可能性はあるんだけど。

 でもこいしの考え、目的だとか行動原理だとかは全然想像もつかない。私の失言が気に障ったかと思ったんだけど、よく考えるとおかしいんだよね。博麗神社の境内っていうのは人里と同じ、ひとを襲うのを禁止されてる場所なわけ。いくら能力で隠せるからって、たかだか気に障っただけでルールを破るとは思えない。ていうか、こいしがそんな軽い奴だったら、すぐにばれて霊夢っちに消されてるでしょ。

 だからこいしに何を言ったら包丁を収めてくれるのか私にはまるで分かんない。そもそも話を聞いてくれるかも分かんないしね。

「……ってなわけだから、やっぱり」

 やっぱり、解決策は一つだ。

 背を壁につける。メリーさんは背後に現れるけど、そこになにかがあったなら押しのけることはかなわない。壁が十分に厚ければ包丁なんて通らないし、こいし自身として動かれたって前方だけなら、……まあ、どうにかならなくはない、んじゃないかな。

 速度はそのまま、緩い角度で回り込んで人里の方に顔を向ける。硬い壁には心当たりがあるんだよね。人里の中に建つ土の壁、つまりは土蔵のこと。

 目的の建物を見つけて急降下、壁にぶつかる寸前で半回転。自分も含めて後方全体に念動を放って私はようやく一息ついた。

 助かったって意味じゃない。安全だって意味もない。耳を澄ませて目を凝らしてじっと気配を探ってる。でも酷使していた超能力を休ませることができるってのは、精神的にはだいぶ嬉しい。

「……あー、でも待って、やばいかもこれ」

 思わず言葉が漏れた。

 いや、ほんとにやばい。全く物音も気配もない。ついさっきの念動で包丁が宙を舞ったのは見たから、たぶんこいしは私の近くにいるはずで。なのに五感で捉えられないっていうのは、私の知覚ではこいしを捉えられないということで、つまり私はいつ死んでもおかしくないっていうことだ。

 どうする。どうすればいい。頭をフル回転させてこの場を凌ぐ方法を探す。どうにかすぐに一つだけ、打開策になり得るものは見つかったけど、……正直かなり無茶な賭けだ。

 超能力の一つ、透視。一般的には、障害物を透かしてその先にあるものを覗き見る力。より正確には、隠されたものを見抜く力。つまり物理的な壁だけじゃなくって

結界で見えないようになっている場所とか、はたまた錯視的な方法で隠されているものとかなんかも見抜くことができたりするの。だからこれを使ったら、こいしの姿を捉えることができる、かもしれない。

 だけど、かなりの集中が必要だ。他の超能力を同時に使うなんて絶対に無理ってなるレベル。透視してる間に攻撃されたらまず間違いなく避けられない。効果がある保証もあるとは言えない。それにあんまり長い時間は使えないから、効果があっても見つかるとは限んない。

 ……めちゃくちゃ厳しい綱渡りだよね。凡俗の感性に染まった私が無茶だ無理だって叫んでる。たぶんこれは私死んだな、っていうのは何となく思ってて、それでも私がそれなりに冷静でいられるのは、たぶん人外だとか人食いだとか不死人だとかに囲まれて、感覚がおかしくなっちゃってるんじゃないかな。

 ……あー、いや、違うっぽいかも。

 たぶん私、このシチュエーションに興奮してるんだ。

 死地で見つけた光明、生きるか死ぬかの大博打、誰も知らない大立ち回り。そういう類の言葉たちが頭の中を駆け巡って、私の心を酔わせてくる。

 たぶん、すごくまずいんだと思う。

 冷静にならなきゃいけないはずの場面で、頭の熱に浮かされてる。死ぬかもしれないっていうのに、危機感が全然働かない。

 だけど、なんか、別にいっかな、みたいな気持ちだ。

 だって楽しいんだもん。

 すごく楽しくて、脳内麻薬ドバドバ出てる感じでさ。

 意味わかんない謎の全能感が全身駆け巡っててさ。

 今なら何でも言えちゃいそうな感じでさ。

 だから私は透視の力を迷いなく開いて、それと同時に大きな声で叫んだんだ。


「来いよ古明地こいし《ルビ:ベネット》!

    銃なんか捨ててかかってこい!」


 言いながら、バカじゃないのって私は思った。

 いや実際バカでしょ。よりにもよってよくも知らないネットでよく聞くだけの台詞を、さもキメ台詞みたいに叫んでるんだもん。どう考えても黒歴史入りのシロモノじゃん。

 でも、恥ずかしいって気持ちにはなんなかった。むしろいくらかすっきりしてた。なんでだろうって考えてもたぶん分からないような気がした。




「――――なーんだ」




 そしてその瞬間、私の目の前にこいしが立っていた。

 こいしはその手で包丁を、私の首に当てていた。

 ぞわりと寒気が背中を走った。死ぬかもって恐怖がようやく全身を走り抜けた。背中を壁に預けていたから倒れることこそなかったけど、足が震えて全く力が入らなかった。だけどこいしは直前までの殺気がまるで感じられないとっても嬉しそうな笑顔でもって、その手に持った包丁を、突然後ろに放り投げた。


「菫子ちゃんたら、やっぱりほんとは子供なのね」


 その言葉だけを残して。

 私が瞬きする間に、再びこいしは消えていた。




 後日談。っていうか、今回のオチ。

「簡単に言えば、貴方が幻想郷にこのまま訪れ続けても良いか否か、その資質を問う試験だったのよ」

 あの後、突然現れたスキマに吸い込まれた私は、そこで満面の胡散臭い笑みで私を迎え入れたゆかりんに、結局この一連の出来事はなんなのって問いただしてた。

「本来は、専用に作った私の式が対応する筈だったのですけれど……彼女が下手に知られた所為で、習合されてしまったのよね」

「集合?」

「混ざる、或いは取り込まれるという意味ですわ」

 難しい言葉を使わないでよって思わず文句を言ったんだけど、ゆかりんは気にしてすらもいないみたいだ。

「理知的で凡庸な弾幕少女なんて、幻想郷には不要だと思うのよね。人間ならばなおのこと」

 なんで?って首を傾げた私に、ゆかりんは首を振りつつ口を開いた。

「菫子さん、貴方は長命のものの死因で最も多いものを知っているかしら?」

「退治されることじゃないの?」

「退屈ですのよ」

「あー」

 そういえばなんか、前に妹紅さんが似たようなことを言ってたような気がする。

「幻想郷は妖怪のための楽園。人里の単なる一般人ならともかくも、無味凡庸な人間が弾幕遊戯に混ざり得るという状況は私達にはまず害にしかなりません。ですからそういった輩には、幻想郷から“卒業”して頂く必要があるのですわ」

 にこりと笑ってそう言ったゆかりんに、私は冷や汗を流した。「卒業」がそのまんまの意味じゃない、なんてことぐらいは私にも分かる。やばかったんだなーって、改めて私は実感した。

「……いやいやいや、それは分かったんだけど、ほんとに私は大丈夫なわけ? あの正直さ、こいしに殺されかけた私と今の私、何か違うって気がしないんだけど」

「あら、気付いてないのかしら?」

 不思議がってる私の言葉にゆかりんは笑った。いつもの胡散臭い笑みじゃない、心底嬉しそうな笑顔。たぶんこういうのを妖絶っていうんじゃないかな。

「貴方の姿、若返ってるわよ」

「……まじ?」

 慌てて服装を確認すると、確かにゆかりんの言う通りだ。紫のマント、黒帽子、そして何より、慣れ親しんだ学生服。私は女子高生の姿に戻っていた。

「姿の若さは精神の若さ。故に先程までの貴方は折を見て排除されるべき存在であったのですけれど。ですが昔の姿に戻れた以上、貴方がその姿のままでいられる限り幻想郷から“卒業”する必要はないでしょう」

「えーっと、そりゃどうも?」

 何とも言えない気分。よく分からないっていうか、狐に化かされた、みたいな。

 許されたって分かってきて、安心してきたところはある。でも本当に?って思っちゃうんだよね。なーんか嫌な予感がするっていうか。

「……ゆかりん、まだなにか隠してない?」

 ゆかりんに振ると、そうねえって首を傾げられた。

「例えば、貴方の精神がこれからゆっくり昔のようになっていくこと、とかかしら?」

「えっ」

 一瞬、頭が固まった。

「姿の変化は単なる契機に過ぎませんもの。今の精神が十分に幻想郷に適しているとは言い難いということなどは、貴方も自覚した筈よね。にも関わらず許されたということは、つまり将来性を勘案されたということ」

 分かるかしら?って微笑みかけられたんだけど、いやちょっと待って。

「ちょっとゆかりん、さすがにそれは困るんだけど! そりゃこれからもこっちに来れるのは嬉しいけどさ、そんなことされたら外の私が死にかねないって!」

「あら、大変ね」

「大変ね、じゃなくて!」

 思わず大声を張り上げちゃったんだけど、ゆかりんは全然聞いてない感じだ。ニコニコと、いつもにも増して胡散臭い笑顔で私に笑いかけてきた。

「問題ありませんわ。貴方がもしも死にかけたならそのときは、しっかり外の世界を“卒業”して頂いて、幻想入りさせてあげますもの」

 ……なんていうかさ。ゆかりんが信用できないって、そういう意味だとは思わなかったわ。

 私はがっくりと膝をつきながら、そう思った。

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