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9  思いがけない訪問

 ライカ様にお礼を言い、贈り物を渡すという目的はきれいに果たせた。


 ……だというのに、私の気持ちは地中に埋まっている。


 目的達成直後はあんなにふわふわと温かい気持ちになれたというのに、まさに天国から地獄。

 ハンカチを見た時のライカ様たちの反応が忘れられなくて、すっかりへこんでいた。


 どの国でも、ハンカチを贈るのが無礼という風習はなかったはず。それにノックス産の絹製品ならどこでも喜ばれるということだから自信を持って贈り物に選んだのに、私の余計な付け足しが全てを台無しにしてしまった。


 下手くそなんだから、刺繍なんて入れるんじゃなかった。新品そのままラッピングして渡せばよかった。


 過去の自分に助言できるならそう言っていただろうけど、さすがにそんなことはできない。

 そして、へこんでいようと何だろうと、毎日の仕事を放り出して部屋に籠もるわけにもいかない。


 幸い私は仕事とプライベートは切り替えられる質なので、落ち込んでいるからといって作業中にミスをすることはなかった。

 ……まあ私ごときがミスをしたって、たいした事態にならないというのも事実だけど。


 退魔の力を授け終えた矢を束ねながら、ぶんっと頭を振って雑念を払う。


 もうしばらくしたら、ライカ様たちはロウエン帝国に帰る。

 そうしたら……いつか、私のことなんて忘れてくれるはずだ。


 あと、私のことを忘れるついでにあのハンカチもどこかへ葬ってくれれば僥倖だ。できれば、あの刺繍が見えなくなるほど汚く使い古すか、暖炉に放り投げてくれれば。


 束ねた矢をもう一度確認してから、それを抱えて班長に提出した。

 弓矢は他の退魔武器と違い、消耗品である矢の方に退魔の力を込めなければならないので、それだけ仕事量も増える。でも矢が小さいからか、私でも他の武器よりはまだまともに魔力を注ぎ込めた。


 私が新人神官並みには退魔の力を注げるのは、矢と投擲用の細い槍くらいだ。どちらもそれなりに需要はあるけれど、剣と馬上槍が主流のノックス王国ではどちらもいまいちぱっとしない。


 ちなみに私の母であるイングリッドは槍に退魔の力を授けることに長けていたようで、神殿でもかなり重宝されていたみたいだ。……羨ましい。


 新しい矢の束を受け取った私は、それを抱えて席に戻った。

 そうして小休憩を取ろうと部屋の隅にある水飲み場でコップに水を入れたところで、背後から名を呼ばれた。


「フェリス・オランド。少しいいですか」

「あ、はい。何でしょうか」


 私を呼んだのは、神官長の一人だった。彼女は五人いる神官長の中では若い方で、年配の同僚に代わって来客者の案内や荷運びをしたりしている。


 神官長は、来客時に使用するボードを胸に抱えている。ということは来客対応中なのだろうけど、私は特に誰かと会う予定はない。人違いだろうね。


「お客様がいらっしゃっています。フェリス・オランドにお会いしたいと」

「えっ……私ですか?」


 まさか本当に呼ばれているとは思っていなくて、コップを片手に持ったまま私は素っ頓狂な声を上げてしまった。


 他の神官たちのもとにはたまに、家族が訪ねてきたりする。ただし私が神官になって六年間、伯爵家の者がわざわざ神殿を訪問することはなかった。


 でも、神官長は次の言葉で私にさらなる驚きと、憂鬱を与えてきた。


「はい。ロウエン帝国のジン・ライカ様がお越しです。無理は言わない、とは仰せでしたが……異国の使者様を無下にはできません。すぐに仕度してください」










 廊下ですれ違った見習い神官の女の子が、私の顔を見てぴゃっと体を跳ねさせ、早足で通り過ぎていった。

 どうやら年下の女の子を怖がらせるほど、今の私はひどい顔をしていたようだ。


 ……どうしてわざわざ、ライカ様が神殿まで来られたんだろう?


 まさか、あのハンカチのあまりのひどさに立腹して、返却するついでに文句を言いに来た?

 でもライカ様はロウエンの使者の中でも偉い立場にあるみたいだったし、それくらいのことなら部下を遣わせればいい話。


 ま、まさか、「あんなものを公衆の面前で押しつけるなんて、なんという無礼者だ! 斬る!」と、ばっさりやられてしまうの?

 今日が私の命日になるの?


 ……いやいや、ロウエン帝国でもノックスの守護神官は尊敬されているみたいだったし、天誅とか言うくらいの人がそんなことしないよね。


 でも……だとしたら本当に、何のご用なんだろう?


 納得のいく理由がとんと思いつかないまま、私はライカ様がお待ちの応接間に到着してしまった。

 これまでにも掃除のために出入りすることはあった部屋だけど、まさかこんな形で足を踏み入れることになるなんて……。


「……フェリス・オランドです」

「こんにちは、オランド伯爵令嬢」


 重い気持ちを押し殺して入室して挨拶した私を、ライカ様の明るい声が迎えてくれた。


 おそるおそる顔を上げると、柔らかな日が差し込む応接間のソファから、ライカ様が立ち上がったところだった。

 今日の彼もロウエン帝国のシルゾン姿だけど、この前見たものよりも少し装飾が多く、華やかなデザインのものになっていた。腰に下げている剣の鞘にも、蔦のような華麗な模様が刻まれている。


 神殿に来るということで、めかし込まれているのかな? あの剣もどちらかというと儀式用っぽいし、だとすると私の胴体と頭をちょん切るのには使えない。

 少なくとも私はもう少し、生き延びられるみたいだな……はは……。


 ライカ様は長い脚を駆使してドアの前で立ったままの私の前に素早く来ると、人のいい笑みを浮かべてソファの方を手で示した。


「訪問した俺の方が言うのも何だけど、立ったままなのも疲れるだろうから、あの椅子へどうぞ」

「……失礼します」


 ここで断るのは逆に無礼なので、私はお辞儀をしてライカ様が示した椅子――ソファのことだ――に腰を下ろした。


 ライカ様も向かいに座ると、彼は長い脚を優雅に組んでじっとこちらを見てきた。

 きれいな顔の男の人に見つめられると恋愛的な意味でどきどきしそうだけど、今の私は自分の寿命的な意味でどきどきしていた。


「勤務中、いきなり訪問してすまなかったね」

「いえ……お気になさらず。それより、あの、どのようなご用件で……?」


 おずおずと尋ねると、ライカ様はふっと真顔になってシルゾンの合わせ部分に手を入れ、そこから白い布を引っ張り出した。


 それは……ああ、やっぱり、そうなんだね。


「この前もらった、これのことだけれど」

「……すみません、本当に。……つたない出来のものを押しつけてしまい、何とお詫びをすればいいのか……ご命令とあらばこの場で切り刻みますので……」

「え、そっち? いや、俺は別に刺繍に文句はないし……もっと根本的なところを聞きたくて」

「根本的?」


 根本的って……どういうこと?


 ひとまず、刺繍に文句があったわけではないことは分かったけれど、謎は増えるばかり。

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