☆ 月光の花嫁③
ライナンの方からはっきりと物申したからか、ジャネットはそれまでのどこかぎくしゃくとした仕草をやめて、かなり自然体に近い物腰で接してくるようになった。
ただし彼女もなかなか頑固で、ライナンのことを「旦那様」と呼ぶこと、そして敬語を使うことだけは頑として譲らなかった。
元々ジャネットは誰に対しても敬語口調で彼女なりの主義もあるようなので、その辺りは好きにさせることにした。
新婚休暇は最長で一ヶ月取れるのだが、近衛兵の中でも重要な立ち位置にある自分があまりにも長期間兵団を抜けるのはよくないだろうということで、十日で申請している。
もちろんこの期間中でも緊急のことがあれば、武装して城に行く。そのことはジャネットも了解していた。
「旦那様。……えっと……お茶、です」
「ん? ああ、ありがとう」
朝のうちはまだどこかぎこちなかったが、夕方になるとジャネットも距離を詰めてくれるようになった。
今も、長いすに座っていたライナンのところに茶を持ってきてから、自分も湯飲みを手に取った。
「……あ、あの、旦那様」
「うん? ああ、あんたも飲むんだな。隣、来なよ」
「よろしいのですか?」
「うん、どーぞどーぞ。密着も大歓迎だぜ!」
「……では、失礼します」
また冷めた目を送りつつ、ジャネットはライナンの座る長いすの隣に腰を下ろして――ぴったりと寄り添うようにくっついてきた。
冗談半分で言ったのにまさか、すぐに実行されるとは。
しかもくっついてきた本人はしれっとしていて、顔色を変えずに茶を飲んでいるとは。
……以前ジンから、「ノックス人の妻が積極的すぎて辛い」という相談を受けたことがあるのだが、なるほど今になってジンの気持ちが分かる。
これは確かに、かなり、辛い。
「……旦那様、質問してよろしいでしょうか」
「お、おう。何でもどうぞ!」
「ありがとうございます。旦那様は、子どもはほしいですか?」
「んぼふっ!?」
茶が気管に入り、ライナンは噎せた。
確かに「何でもどうぞ」と言ったが、まさかこんなことを直球で問うてくるとは思っていなかった。
ジャネットに背中をとんとん叩いてもらったり手巾に顔を突っ込んでゲホゲホ噎せたりして、やっと落ち着いてきたライナンは顔を上げた。
「んあー……びっくりした。えーっと、ジャネット? いきなり何の質問なんだ?」
「子どもがほしいかほしくないかの質問です」
「そ、そうだな。まあ、俺は跡取りじゃないからどっちでもいいけど……俺としてはやっぱり、子どもがいた方が楽しいかなぁ、と思うくらいだな」
「…………そう、ですよね」
「ジャネット?」
ジャネットはしばらく黙って茶を飲んでいたが、やがて思いきったように顔を上げた。
「旦那様。わたくし、もうすぐ二十六歳になるのです」
「ああ、そうなんだな。誕生日には盛大に祝ってやるからな!」
「あ、ありがとうございます。それで、その……わたくし、もうあまり若くないので……」
「……」
躊躇いがちに言われて、やっとライナンにもあの質問の意味が分かった。
ロウエンでもノックスでも、女性は二十歳くらいで結婚して初産を経験することが多い。
世の「平均」と比べると確かに二十五歳で結婚するのは遅い方だし、年齢が上がるにつれて出産も大変になるという。
「ジャネット。俺は、あんたが望まないことはしたくないし、させたくもない」
「……」
「あんたの体に負担が掛かることも、あんたが嫌がることもさせたくない。……俺はあんたがいいと思って求婚したんだから、あんたが辛そうな顔をするのは見たくない」
「え?」
「え?」
「……ちょうどいいから、ではないのですか?」
茶色の目を見開いたジャネットに言われて……しまった、とライナンは過去の自分を殴り飛ばしたくなった。
確かにこれまでバタバタしていたのもあるが、ライナンは自分の気持ちをちゃんとジャネットに伝えていない。
これではジャネットに、「自分は都合がいいから求婚されただけの女」と思われても仕方ないではないか。
「違う。……俺は、あんたがいいと思ったんだ」
「……」
「オランド伯爵に脅されてロウエンに来たあんたと話をして……すげぇいい女だと思った。ご両親のことを大切にしていて、でも弱いところもあって。……あの時は状況が状況だったってのもあるが、それでも俺はあんたという人を嫁にしたいと思ったから、求婚したんだ」
「……ノックス人の女なら誰でもよかった、とかではないのですか?」
「うーん……確かにノックス女性への憧れみたいなのはあったけど、あんたに関しては本当に俺の一目惚れだ。あそこにいたのがあんた以外の女だったら求婚せず、他の方法を提案しただろうよ」
ジャネットの瞳が、揺れている。
まさかそのように思われているとは思っていなかったようで、白い頬がほんのりと赤みを孕んでいった。
「……先ほども申しましたがわたくし、もうそれほど若くないのですよ? ロウエンの作法も習いたてですし、顔には自信がありませんし、子どもも……無事に産めるか分からないですし」
「俺、あんたくらいの落ち着いた大人の女性が好みだよ。それに十分品があるし、顔も可愛いと思う。子どもも、無理はしなくていいって言っただろう。俺、あんたとなら二人きりで爺婆になってもいいし」
「……」
横を見ると、ジャネットの手が細かく震えていることに気づいた。
ライナンは彼女の手からそっと湯飲みを取って机に置き、代わりに自分の手で妻の手を包み込んだ。
自分はロウエン人の中でも大柄な部類に入るし、その分手も大きいが……ジャネットの両手が、自分の片手ですっぽりと覆えてしまった。
「俺が、あんたを幸せにしてみせるよ。……いや、あんただけじゃないな。あんたのご両親もひっくるめて、ロウエンに来てよかった、って思えるようにしてみせる」
「……」
「だから、これから一緒に過ごしていこう。……あんたの話をたくさん聞きたいし、俺もあんたに自分のことを色々教えたい」
「……。……旦那様。わたくしも……わたくしも、あなたのことを知りたい。あなたに、わたくしのことを知ってもらいたいです」
「ジャネット……」
「……これから、よろしくお願いします」
ジャネットはそう言って、ふわりと笑った。
……どこぞの馬鹿貴族がジャネットのことを月に掛かる雲だとかと表現していたが、とんでもない。
微笑むジャネットは穏やかな月の光を纏っているかのように、美しかった。
「おーっす、ジン!」
「ライナンか。もう新婚休暇は終わったのか?」
「ああ。おかげさまで嫁と二人、水入らずの時間を過ごせたぜ!」
「それはよかったな。……おい、この手は何だ?」
「いやぁ、ほら、ねぇ? 俺たち、この国ではまだ珍しい、ノックス人の嫁さんをもらったもん同士じゃん? これから色々と相談したいこともあるし、仲よくやっていこうぜ、ってことで」
「離れろ、暑苦しい。……別にそんなことをわざわざ言われなくても、俺はいつだっておまえの相談に乗るし、おまえにも遠慮なく相談させてもらう」
「ジン……! ありがとう! 持つべきものはやっぱり、友だちだな!」
「よせよ。……それで? 何か相談でもあったりするのか?」
「ああ、それがさ。……この前、偶然嫁が乗馬用の鞭を手に取った姿を見てたら、無性に興奮してきて。どうすりゃいいと思う?」
「俺に聞くな」




