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 ☆ 月光の花嫁①

ライナンとジャネットのお話です。

全3話。

 ノックス王との会談が無事に終わり、ライナンたちは十分な成果を手にロウエン帝国に戻ることができた。


「おまえにも色々無理を言ったな。すまなかった、ライナン」


 帝城の門の前でジンに言われたので、彼と並んで騎乗していたライナンはからっと笑って腕を伸ばし、親友の背中を叩いた。


「どうってことないって! これからノックスとの交流が盛んになるのに手を貸せたと思うとむしろ誇らしいくらいだし、これを通して俺は嫁さんももらえたからな!」

「……まあ、そうだな」

「ああ、そうだ。俺、ひと仕事が終わったことだししばらく、新婚休暇を取るから」

「当然の権利だな。やっとジャネット殿と水入らずで過ごせるのだから、ゆっくりするといい」

「……あっ、キオウ様」


 女性の声がしたので振り返ると、馬車に乗っていたフェリスが片手を挙げていた。

 ライナンはジンと一緒に馬の速度を緩め、馬車と並んだ。


「さっき話が聞こえたのですが、新婚休暇を取られるのですね」

「ええ、申請も通りましたので」

「そうなのですね。……あの、私が言うのも変な話かもしれませんが……」

「はい」

「……ジャネット様のこと、よろしくお願いします。きっと、とても寂しい思いをされているので」


 フェリスの淡い色の目に見つめられて、ライナンは笑みをすっと消した。

 そして手綱を左手に持ち替えて、右手を自分の左胸付近に当てる。


「……もちろんです。ジャネットは……俺にできることを尽くして、幸せにします。……ってことで、ジン。俺たち四人で、幸せになっちまおうな!」

「……そうだな。フェリスも気にしているだろうから、新婚休暇が開けた頃には俺たちも様子を見に行きたいところだ」

「あ、それいいですね! お邪魔してもいいですか、ライナン様?」

「もちろんです! 夫婦揃って笑顔でヘリス様たちをお迎えできるように、嫁と仲よくなっておきますね!」


 ライナンが笑顔で言うと、フェリスはほっとしたように息をついてからジンと視線を合わせ、同時にくすっと笑ったのだった。









 ノックス訪問の事後処理には、思ったよりも時間が掛かった。

 だがこれらの雑務を全て終えると、やっと帰宅だ。


 控え室に行くと、既にキオウ家――ライナンの屋敷で雇っている少年従者が待っていた。


「おかえりなさいませ、旦那様」

「よう、迎えご苦労。……ジャネットはどうしている?」

「一番に奥方のことが気になるのが、旦那様らしいですね」


 従者は微笑むと、屋敷のある方角を手で示した。


「奥様は一昨日まで本邸でお過ごしになっていましたが、昨日から屋敷に移って旦那様のお帰りを待ってらっしゃいます」

「そうか。親父たちは? あと……ジャネットのご両親は、どうなさっている?」

「大旦那様はともかく、大奥様は奥様のことを気に入られたようで、本邸での滞在期間中もよくお茶に招きがてら、礼法などをお教えになっていました。奥様のご両親は既に地方に移動されています。お二人がお望みなので、南の農地にある別荘で過ごしてらっしゃいます」

「南……ヒンカイ地方だな。あそこなら過ごしやすいし、帝都との行き来もしやすい。ご両親も健康に過ごされているのなら、何よりだ」


 ライナンは従者の報告を聞いて、満足そうに頷いた。


 ジャネットの両親とは、結婚の報告の際に顔を合わせたのみだ。だが礼儀正しいジャネットの両親らしくしっかりとした二人で、できることならロウエン帝国に渡っても農作業などをしながら過ごしたいと言っていた。

 キオウ家の嫁の両親なので、農民のような仕事をさせるわけにはいかない。だがヒンカイ地方は温暖な気候で、そこにある別荘には大規模な農園がある。あそこなら趣味の延長で土いじりをすることができるだろう。


 ライナンは一旦兵団詰め所に寄って、遠征から帰還した旨と、これからしばらくの間新婚休暇を取ることを伝えた。

 兵団の仲間たちにはジャネットとの結婚について、「強気なお嬢さんに俺の方から一目惚れしたから」と教えている。

 若い頃から浮き名を流していたライナンがいきなり身を固めることになって皆驚いていたが、「おまえは案外、強い嫁の尻に敷かれる方がいいのかもしれないな」と隊長に言われたことで、皆納得の表情になっていた。


「さて、帰るかな……」


 従者を連れて城を歩いていると、貴族たちとも顔を合わせることになる。

 ライナンも武人の名家・キオウ家の子息なので、知り合いもそれなりに多い。だが、だからといって全員と懇意にしているわけではないし……中には明らかにそりの合わない者もいる。


「……今そちらを通ったのは、キオウ家のご子息では?」

「ええ。確か数ヶ月前に、ノックス人の女性を娶ったとか」


 貴族たちとすれ違った後、従者に「帯が解けそうです」と言われたため立ち止まって帯を締めてもらっていたら、背後から声が聞こえてきた。


 彼らは、ライナンたちが既に通り過ぎていると思って噂話に興じているのだろう。

 彼らはキオウ家よりもずっと格下で、社交界ではライナンや当主である伯父たちにごまをすっているものの、心から尊敬しているわけではないとライナンも知っている。


「そうそう。確か、縫穣の神子様の知人だとか」

「であればその奥方も神子様のように、淡い色の御髪をお持ちなのだろうか」

「一度だけ神子様を見たことがありますが、いや、なかなか麗しいお方でしたよ。太陽の輝きのごとき淡い御髪に、白い肌。侍従兵隊長様が溺愛なさるのも仕方ない、愛くるしいご婦人でした」


 帯の位置を調節しながら、なるほど、とライナンは一人頷く。


 国際化が進んでいるとはいえ、残念ながら今でもノックス人に対して偏見を抱く者もいる。

 フェリスもその煽りを受けたことがあったようだが――縫穣の御子という称号を得てからは、皆は手の平を返した。


 ライナンもこれまで何度も、フェリスの髪を「ぎらぎらと目立つ、はしたない色」「枯れ草のような髪」「もつれた紐のようにくしゃくしゃ」と嘲笑う者たちを見てきた。

 それらの者たちは顔を覚えて後日、きっちりお返しをしたのだが……フェリスが縫穣の御子の名を持つようになってからは、そういう者たちもとんと減った。


 それはそれで別にいいし、フェリスも自信を持って表を歩けるだろうから、ライナンも嬉しいのだが――


「いえ、実はそうでもなかったのですよ」

「おや……そうなのですか?」

「キオウ家の奥方の姿は、一度だけ拝見しましたが……なんというか、ぱっとしない感じでしたね。くすんだ色の髪で、目つきもぎょろっとした感じで。縫穣の神子様ほどのお方ならともかく、あの奥方よりも美しい令嬢はロウエンにも多くいるでしょう」

「おやおや、それは残念なことで」

「キオウ家のご子息も、物好きですね。さては、ノックス人であれば誰でもよかったとか?」

「そういうことでしょうね。神子様が太陽なら、その奥方は月――いや、月に掛かる雲くらいかもしれませんな」

「はは、これはお上手……な…………」


 男たちの笑い声が、途切れる。

 なぜなら彼らの目の前に、既に立ち去ったと思っていたキオウ家の子息がおり、胡散臭いほどの笑顔で「どもっす」と声を掛けてきたからだ。


「すみませんね。ちょっとそこで立ち止まっておりまして。話、聞こえてました」

「……え、あ……」

「そ、その、我々は決して……」

「うん、もうそういうの、いいっすから」


 ライナンは微笑み、正面にいる男たちの胸元を順に指差しながらそれぞれの名前を挙げていった。


「あんたたちの名前、よく覚えておきますよ。俺の嫁さんについて、とーっても素敵なお褒めの言葉をくださった方々だ、ってね」

「そ、そんな、キオウ様、お許しを……!」


 背を向けかけていたライナンが、振り返る。

 それで男たちは一瞬だけ安堵の息をつくが、ライナンの瞳が笑っていないことに気づいて呼吸を止めた。


「……俺に謝ってどうすんの? 謝るなら、おまえたちが罵倒した人に謝罪しろよ」

「……」

「それじゃ。ごきげんよー」


 ひらひらと手を振り、ライナンは従者を連れて歩きだした。

 もう、振り返る価値もなかった。

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