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8  感謝の贈り物を③

 広々とした庭の先。迎賓区に向かって、馬に乗った一行がやってきていた。

 彼らが着ているのは、ノックスの騎士が着る重厚な鎧ではないし、馬たちにも重そうな馬具は付いていない。鞍に色鮮やかな布を取り付けているようで、重々しさは感じられなくてむしろ華やかな雰囲気だ。


 馬も騎乗する人も軽装なあれは……ロウエン帝国の騎馬衣装だ。

 これまでは資料集でしか見ることのなかった異国の服装だと分かって、どきっとする。

 しかも……彼らの先頭を走っている人の姿がはっきり分かると、胸の高鳴りがますます強くなってきた。


「わ、すげぇ偶然」


 キオウ様が呟いて、間もなく。

 一行は門の前で馬を止めて、先頭にいた男性はひらりと地面に降りると、その場に突っ立っていた私を見て意外そうに目を丸くした。


「……ノックスの守護神官?」

「よう、おかえりジン。ちょうどいい、おまえに用事があるっていう神官様なんだけど……」

「……え、まさか君、この前の夜会の……?」


 最初は目を細めて私を見ていた男性だけど、はっとして声を上げた。


 十日ほど前の夜会で私を助けてくれたライカ様は、以前のようなノックス風の礼服ではなくロウエン帝国の衣装を着ている。


 深い青色の上着は太めの帯でウエストを絞めていて、だぼっとしたスラックスを穿いている。

 確かこの、袖が大きめのガウンのような衣装はロウエンの伝統装束で、男性用をシルゾン、女性用のものをシエゾンといったはず。


 ついさっきまで馬上の人だった彼だけど、靴もがっちりとした軍靴ではなくて、足の甲が見えるデザインでヒールがほとんどないぺたんとした革靴だ。

 長めの髪を縛る紐の端には玉飾りのようなものが付いていて、それとよく似たものが彼の両耳も飾っている。ノックスでは耳飾りは女性専用の装飾品だけど、ロウエンでは男性も普通に装着するみたい。


 彼は、目の前にいる神官と以前夜会で助けた女が頭の中で一致したみたいだ。

 何か言いかけたようだけど一旦口を閉ざし、そしてふわりと如才ない様子で笑みを浮かべた。


「久しぶり。この前は……助けられたね。どうもありがとう」

「いえ、こちらこそ……その、その件で、こちらを」


 一瞬あれ、と思ったけれど、そういえば夜会では「道に迷ったライカ様を私が助けた」ということにしていたんだと思い出す。


 私が鞄から生成り色の袋を出すと、それを見たライカ様は首を傾げた。


「これは?」

「……なんというか。せっかくあなたとお知り合いになれたので、ご挨拶にといいますか……」


 本当なら「この前のお礼です。ありがとうございました」と言いたい。でもそれを言うと、せっかく彼が迷子の称号を得てまでして私を助けてくれたことの意味がなくなってしまう。


 ついもごもごと言い訳するように言ってしまったけれど、ライカ様は私がまごつきながら何を言いたがっているのかに気づいてくれたようで、くすりと笑うと袋を受け取ってくれた。


「……そういうことか。神官様からの贈り物となれば、突っぱねれば神からの天誅が下るかもしれないし、受け取っておこう」

「すみません……。……あの、ありがとうございました」

「どういたしまして。……君が無事に家に帰れたなら、それでいいんだよ」


 小声で礼を言うと、ライカ様も小声で返してくれた。


 ライカ様に会って、お礼を言って、贈り物を渡す。

 予定していたことを、全て完遂することができた。


 キオウ様は肩をすくめて、「まあ、確かに天誅は怖いよな……」とぼやいているし、周りにいたライカ様の部下らしきロウエン人たちも、「神官様か」「そういうこともあるかな」と納得した様子だ。

 これなら、伯爵にあれこれ言われたり神殿に報告が行ったりすることもないはず。


 ライカ様は手元の袋を弄んでいたようだけれど、おもむろに「ねえ」と言った。


「これ、今中を見てもいい?」

「……。……はい、もちろんです」


 できればこっそり見て、気に入らなかったらこっそり処分してもらいたかった。

 でも彼からすると、万が一にも私が変なものを寄越していないか、皆の監視の目がある中で確認したいというのは、当然のことだろう。


 まさか皆の前で「不細工な出来だね」と言われることはないと思いつつも、自然と私はぎゅっと拳を固めて、ライカ様の指先を凝視していた。


 手甲を嵌めたライカ様の細い指先が袋を開いて、中を探る。そして折り畳んだハンカチを出すのを、私は固唾を飲んで見守っていた。


 ――胸が、どくどく鳴っている。

 心臓は胸元にあるというのに、耳の後ろあたりで激しい血の流れを感じる。


 ハンカチを広げたライカ様の灰色の目が、かっと見開かれた。

 その瞳に浮かんでいるのは……驚愕の色?


「これは……」

「ハ、ハンカチです。その、絹製なので、手触りはいいと思います……」


 ライカ様の驚いたような呟きに私が急いで説明すると、周りでざわっと皆が動揺する気配が伝わってきた。


 ……え? 何、このざわめき?


 前を見ると、ライカ様の部下たちが驚愕の眼差しで私の方を見ている。背後を見ると、キオウ様が目を丸くして「ほー……」とぼやいている。


 ちなみに様子を見ていたノックス人の兵士もこのざわめきの理由が分からないようで、不思議そうにあたりを見回し、私と視線が合うと首を傾げてくれたので、独りぼっち状態にならずに済んだ。


 ……でも、こんなにロウエンの方々がざわつくのは何でだろう?

 ……あ、ひょっとして、あまりにも刺繍が下手くそすぎて衝撃を受けている……とか……?


 悲しいかな十分あり得ることで、私は反射で頭を下げた。


「す、すみません、その、刺繍は頑張って入れたのですが……不格好でしたよね」

「君がこの刺繍を入れたのか」


 ライカ様の呟きは、私に問うというより自問しているかのようで、彼は難しい顔でハンカチをじっと見ていた。


 その視線が、いたたまれない。


 いらないならいらないと言って、突き返してほしい。

 ……でもできるなら、汚い出来だろうと何だろうと受け取ってほしい。


 そんな我が儘な自分の心をねじ伏せて、私はひとまず――この場から撤退することにした。


「あ、あの、材質だけはいいので、よかったら使ってください。だめだったら、雑巾代わりでもいいので……」

「……君」

「すみません、これで失礼します!」


 ライカ様の声がやけに低く――男性の低く唸るような声が苦手な私は、無礼とは分かっていても、プレッシャーに耐えきれなかった。


 ぺこりとお辞儀をしてローブの裾を摘み、ライカ様に背を向ける。

 周りのロウエン人の兵士たちが「あっ!」と声を上げるけれど、上官であるライカ様が何も言わなかったからか、追ってくる人はいなかった。

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