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 ☆ 男たちのろまんす講座・其の壱

ここから番外編です。

「旦那様。取り寄せ注文した書籍が届きましたよ」


 ある日屋敷に帰ったジン・ライカは、妻付き侍女のマリカの言葉を聞いてぴくっと背中を揺らした。


「そうか、ご苦労だった。……ちなみに今日はまだ、フェリスは帰っていないな?」

「はい。奥様は夕餉までにはお戻りになる予定です。もうしばらくしたらわたくしが、奥様をお迎えしにやしろに行く予定です」

「……分かった」

「今の間に、お読みになりますか?」

「ああ、そうする」


 ジンは鷹揚に頷いてみせて、小姓のダイタには先に風呂に入る旨を告げながらも……柄にもなく、緊張していた。


 ジンの妻は、ノックス人だ。

 結婚によりフェリス・ライカと名を改めた彼女だが、ロウエン帝国以外の場所で十八年間生きてきたため、時々ジンと意見の食い違いや感覚の違いが見られることがあった。


 だがたいていのものはジンの方から積極的に譲歩したり妥協案を出したりして、慣れない環境でもフェリスが困らないようにしている。

 それでも、最近ジンの頭を悩ませているのが……。


 風呂に入って汗と埃を流し、体の動かしやすいゆったりとした部屋着に着替えたジンは書斎に上がった。そして、机の上にマリカが置いてくれている書籍を目にして、そのうちの一つを手に取る。


『社交界エチケットブック・紳士の嗜み編』


「……」


 表紙の題名を黙読したジンは微かに眉根を寄せて、他の本の題名にも目を通していく。


『淑女を花開かせる、紳士のボキャブラリー集』

『恋する男性に贈る、百の鉄則』

『必携! スマートなジェントルマンの心得』


 どれもこれも似たような題名のものが、合計四冊。

 そう、これらこそジンがマリカに依頼して、遥々ノックスから取り寄せてもらった書籍である。


 フェリスは最初の頃こそおどおどしていて、すぐに「ごめんなさい」と言ってしまうような消極的な女性だった。

 だがジンと心を通わせることで笑顔を見せ、自分から「これをしたい」ということを言ってくれるようになった。


 どうやら妻はその複雑な生育環境から、己を内側に押し込めてしまうようになったようだ。だが本来の彼女は明るくて好奇心いっぱいな女性で、ジンにも積極的に愛情表現をしてくれるようになった。


 ……そのこと自体は歓迎すべきなのだが、いかんせん妻はノックスの人間。

 ノックス人は、愛情表現が派手なのだ。


 ロウエンではたとえ夫婦でも、人前で口づけるなんてとんでもない。頭の固い人間だと、仲睦まじく手を繋いでいるだけでも「けしからん!」と言ってくるくらい。 

 フェリスもその辺りの都合は理解してくれているが、それでもノックスの人間として長く暮らしてきたからか、ジンと二人きりの時には驚くほど積極的になる。


 妻に甘えられ、愛くるしい言葉を囁かれるのは、ジンも嬉しい。

 嬉しいのだが……フェリスが積極的すぎて、自分が同じくらいの愛情をフェリスに返せているのか、不安になることもあるのだ。


 フェリスは、「ジン様がお嫌にならない程度にするよう、気を付けます」と言ってくれている。

 だが……いくら神官として清らかな生活を送ってきたとはいえ、彼女の想像する「男女交際の在り方」は、ジンの頭の中のそれとは全く違う。


 ……優しくて気の利く彼女に限ってないだろうが、フェリスに、「ジン様は消極的すぎて、つまらない」なんて言われるようなことがあれば、ジンは死ぬ。心臓が止まって死ぬ。


 そういうことでジンは、恋に積極的なノックスのやり方を少しでも学ぼうと、マリカに書籍を取り寄せてもらったのだ。

 ちなみにマリカは同時に、フェリス用の恋愛小説も取り寄せたらしい。神官時代は娯楽小説もあまり読めなかったとのことだから、フェリスもきっと喜ぶだろう。


 ……それはいいとして。


 まずジンは、最初に手に取った『社交界エチケットブック・紳士の嗜み編』を持って籐編みの椅子に腰掛けた。文机には、気を利かせた執事が温かい茶を淹れた椀を置いてくれている。

 それを啜りながら、膝に載せた本を捲った。


 ノックスとロウエンで使用する言語に違いはないが、微妙な言い回しや方言的表現などの違いはかなりある。

 ノックスで製作されたこの本にも当然、「マナー」「レッスン」「スマート」など、ロウエンではまず見られない表現が多く出てきている。


 だが、ジンは武官だが外交官の任務も任されるくらいの才能がある。

 当然、ノックスの言葉遣いも礼法も完璧だ。


 そんな完璧人間のジンだが、本を読み進めるうちにその涼しげな眉間に縦皺が刻まれていった。


『淑女をエスコートする際は、さりげなく腰に手を回し、その体を抱き寄せるようにしましょう』

『淑女を褒める際、社交辞令であれば衣装くらいで十分ですが、本気で口説く場合は女性が持っている身体的魅力をしっかり褒めましょう。

(例)あなたの瞳は、美しいですね。まるで今宵の夜空のようです』

『二人きりになれたら、口説く大チャンスです。あなたが持つ語彙の知識をフルに使い、淑女の心を射止めましょう。

(例)我が麗しの姫君よ、あなたと出会えた幸運を神に感謝いたします(以下略)』


「……」


 ぱたん、と今読んでいた本を閉じ、次の本を手に取る。


『(事例1)デートした女性を見送る際

男:「今日はご一緒できて、光栄でした」

女:「こちらこそ。とても楽しい時間が過ごせました」

 注意! ここで対応を間違えると、女性からの好感度が一気に下がります!

次のデートを取り付けられるように、女性の心を掴みましょう!

男:「ええ。……とても、残念です。このまま、あなたとここで別れなければならないなんて……私の胸は悲しみのあまり、張り裂けてしまいそうです」

 注意! ここでの女性の反応を、よく見ましょう!

感銘を受けていないようなら潔く諦めますが、脈がありそうならさらに攻めていきます!

女:「わたくしもです。……楽しい時間というのは、あっという間に過ぎてしまうのですね」

男:「全くもってその通りです。……美しい人。どうかこの哀れな男に、再びあなたとまみえる許可をいただけませんでしょうか? あなたともう一度語り合えるのでしたら、私は火の中に飛びこむことも荒波の中に身を投じることも厭いません!」』


「……言えるかッ!」


 ジンは叫んだ。

 そして、持っていた本を壁に投げつけそうになったが――マリカがせっかく取り寄せてくれたものなのだと思いとどまり、代わりにダン、と拳を文机に叩きつけた。

 幸い、椀の中の茶は量が減っていたので、少し揺れたが中身が零れることはなかった。


 ノックス人を、甘く見ていた。

 あの、フェリスとの出会いを果たした王城では――普段から、このようなやり取りをする者たちで溢れかえっているというのか。


 考えてみれば、フェリスは守護神官として働いていたが、オランド伯爵の養女でもある。

 あまり社交界に出ることはなかったようだがそれでも、甘い言葉で淑女を誘う紳士たちの姿を見たことはあるはずだ。


 だが……だからといって、ジンもこんな台詞を言わなければならないというのか?

 今日帰宅したフェリスに、「俺の愛しい姫君は、仕事帰りで疲れた姿も麗しい。いますぐその頬に接吻する許可を賜りたい」なんて言わなければならないのか。


「……無理だ」


 剣術や馬術、弓術においてはそうそう並ぶ者のいない侍従兵隊長は、白旗を揚げた。

 今も、「フェリスは可愛いね」「愛しているよ」という簡潔な愛の言葉を贈るだけで精一杯なジンには、高度すぎる。

 あんな舌の絡まりそうな美辞麗句をぽんぽんと言えるなんて、ノックスの男は恐ろしい。どんな教育を受けているものなのだろうか。


 肩を落としたジンは熱を持ち始めた頬を軽く叩き、四冊の本を丁寧に積んだ。

 ……ここに書かれていることを実践する勇気は出ないが、参考書として読む価値はあるはずだから、しばらく置いておこう。


「……そろそろ、フェリスが帰る頃か」


 暗くなりつつある窓の外を見て、ジンは立ち上がった。


 ……彼では、帰宅した妻に「おかえり、今日もお疲れ様」という無難な声掛けしかできないだろうが……まずは、自分にできることから少しずつ進めていこう、と決めたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ジンの真面目な人柄がよく現れていますね [気になる点] 翌日には、屋敷中の噂になっているんでしょうね [一言] 私はいつも思います 欧米人は映画のアレを リアルでもやっているのでしょうか…
[良い点] 番外編嬉しいです! 其の壱というと弐や参もあるんでしょうか!? お茶を啜りながら読んで噴き出してしまわないか心配(笑)でしたがジン様は机ドンなんですね( *´艸`) 冷たくされる妄想で死…
[一言] スパダリへの道は遠い(ノ∀`)
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