77 これからもここで①
ジャネット様とお茶を飲みながらお喋りをしていたら、引き継ぎの責任者が帰ってきた。
そこでジャネット様は――廊下の外で待ちかまえていたらしいキオウ様を、ずるずると引きずりながら――帰っていった。
あ、そういえばジャネット様がキオウ様といい新婚生活を送れているかどうかも、気になっていたんだ。でも、尋ねても「思ったよりも悪くないです」とさらっと返されるだけだ。
キオウ様の方はすっかりでれでれで、「俺の最高の妻! 麗しき女神!」と私相手にものろけるくらいなんだけどね……いつか教えてもらえたらいいな。
引き継ぎを終えて表に出ると、朝から降っていた雨が止んでいた。
それでも道はぬかるんでいて、マリカが待っている馬車の車体下部や車輪に乾いた泥がくっついていた。掃除が大変そう……いつも送り迎え、ありがとうございます!
そうして、屋根なし馬車に乗って屋敷に向かっていたのだけれど――
「フェリス?」
後方から聞こえてくる、声。
私の大好きな人の、声。
「ジン様!?」
「あ、やっぱりフェリスだ!」
振り返ると、ユキアに乗って石畳の道を走ってくるジン様の姿が。夕日を浴びて、水色のシルゾンが淡い色に映えて見える。
そのまま彼はユキアの速度を上げて、馬車の隣に並んだ。
私は座席、ジン様はユキアの鞍の上なので、私たちの視線はほぼ同じ高さにあった。
「ジン様もお仕事終わりなのですね!」
「うん。フェリスはもうちょっと早めに帰宅しているかと思ったけれど、ちょうどよかったね」
「あっ、はい。引き継ぎ作業がありまして……」
……ああ。色々お話ししたいことがあるのに、どうしても距離が開いてしまう。
私がもどかしく思っていることに気づいたのか、ジン様はにっと笑うと手綱を左手に持ち替え、私に向かって手を伸ばしてきた。
「よかったらこっち、乗る?」
「えっ?」
「荷物をそっちに移したら、フェリスが乗るだけの余裕ができるよ。それに、初夏だから日没までまだ時間があるし、フェリスがよければちょっと遠回りでもしないかな、と思って」
「いいのですか? ジン様は、お疲れでは……」
「俺は平気。……どう? こっち、来る?」
「是非とも!」
隣でマリカがやれやれと言わんばかりのため息をついたけれど、止められはしなかったから大丈夫だろう。
それじゃあ、馬車とユキアを停めて――と思ったけれど、御者もジン様も馬の歩みを緩めようとしない。
御者にも、声は届いているはずだけど……?
「えっと……どうやって移るのですか?」
「ん? このままどうぞ?」
そう言いながらジン様は器用に片手で荷物を外し、ぽいぽいとマリカに渡していった。
そうして鞍が空いたところでご自分は少し後方にお尻の位置をずらして、はい、と私に向かって手を差し伸べてきた。
「こっちにどうぞ」
「え、ええっ!? このままですか?」
「うん。俺が体重を支えるから、大丈夫。さっきの荷物もなかなか重かったし、君が乗ってもユキアはびくともしないよ」
確かに、ユキアは足腰が丈夫な軍馬だし以前も二人乗りしたことがある。
馬車から馬に移るなんて……ちょっと怖い。
でも、それよりも好奇心と、早くジン様の近くに行きたい、という気持ちの方が強かった。
「わ、分かりました。マリカ、後ろから支えていてくれる?」
「かしこまりました。……全く。奥様もいつの間にかすっかり、お転婆になられましたね」
既婚女性にお転婆って、どうなんだろう……。でも、マリカも苦笑しているし、ジン様も微笑んで私に手を差し伸べている。
私はシエゾンの裾を少し捲り、馬車の縁に手を載せた。
そして、座面とほぼ同じ高さにあるユキアの鞍めがけて、えい、と踏み込んだ。
途中で一瞬だけ大股開きになったけれど、ふわっとした下衣のスカートが私の脚を隠してくれる。
ジン様が私の体を引き寄せるとすぐに、私のお尻は鞍に着地できた。
「よし! 上手だね、フェリス!」
「ど、どういたしまして。……あっ、マリカ! 晩ご飯の仕度、お願いね!」
「はーい! 遅くならないうちにお戻りくださいねー!」
私がユキアに移ったところで、馬車との距離が離れた。マリカたちは先に屋敷に帰って、私たちは寄り道をする。
マリカとは離れるけれど、ユキアの後方をジン様の小姓のダイタたちが付いてくるから、護衛の面でも大丈夫だろう。
ジン様は手綱を右手に持ち替えると、左手を私のお腹に回した。
「さて……それじゃあ夕餉をおいしく食べる前に、冒険とでも洒落込もうかな!」
「はい! どこに行くのですか?」
「そうだね……君を連れて行きたい場所はたくさんあるけれど、ダイタたちを撒くわけにもいかないし、近場にいいところがあるからそこに行こう!」
ジン様はそう言うと、「鞍にしっかり掴まってね!」と言い、ユキアの速度を上げた。背後でダイタたちが「旦那様ー! 速いですよー!」と悲鳴を上げながら、ユキアに付いてきている気配がする。
ユキアは、町の石畳の道をリズミカルに蹴りながら走っていく。途中、何人もの人が私たちを見て、一瞬動きを止めたのが分かった。
……私はもう、自分の髪を隠していない。
濃い茶色や黒色の髪を持つ人が多いロウエンではひときわ目立つだろう、亜麻色の髪。
前は、これが悪目立ちしてしまったら……ということで帽子を被っていた。
でも、私は「縫穣の神子、フェリス・ライカ」として生きていくことを決めた。
ロウエン生まれではないけれどロウエンの人間として、この帝国のために尽くすと決めた。
だから、もう自分を隠さないことにした。
私の見目は皆と少し違うかもしれないけれど、それは恥じることではない。
私の容姿は父から、能力と名前は母から授かったもの。そのことを誇りながら、生きていきたい。
私たちを乗せたユキアはやがて、帝都南の外壁に近づいてきた。
大門があるから、帝都の外に出るのかな……と思ったらジン様はユキアを方向転換させて、壁沿いに走らせ始めた。
「ジン様、どこに行くのですか?」
「今からここに上るんだよ」
「のぼ……?」
「そう。ほら、あそこから」
そう言ってジン様が示す先には確かに、外壁にくっつく形で造られた緩やかな坂道がある。
幅も結構広くて、馬車二台くらいならなんとか併走できそうなくらいだけど……あ、あそこ、上がるの!?
「大丈夫なのですか!?」
「うん、これまでにも何度も上がってきたし。……さ、行くよ! 念のため、ちょっと前傾姿勢になっておいてね!」
ジン様はそう言って、ユキアを坂道へと誘導した。人間が徒歩で歩く分には問題ないくらいの傾斜に見えるけれど、軍馬はどうなんだろう……と思った。
でもユキアは一切動じることなく坂道を蹴り、順調に坂道を上がっていった。
ダイタたちの馬は坂道を上がれないようで、「僕たちはここで待っています!」と彼が叫ぶ声が聞こえた。




