76 今後のこと②
女の子が手際よくジャネット様の分のお茶も淹れてくれたので、それで一服してから切り出された。
「……夫から聞きました。先日、皇帝陛下に呼ばれたとのことですが……」
「ええ、私もその報告をしなければと思っていたのです」
……数日前、私とジン様は帝城に向かった。
私たちがロウエン帝国に戻ってきたのが、約一ヶ月前のこと。諸々の事後処理とかが終わって、ノックス王国とのその後などについて教えてもらったんだ。
私たちが作った退魔防具は早速ノックスに輸出されて、それを身につけた騎士たちが魔物討伐に赴いた。
その結果については、長々とした報告書が届いたそうだけれど――要点だけ述べると、退魔防具の効果は上々だったという。
ノックス王国の騎士が重装備なのは、魔物の爪牙から身を守るため。
ロウエンの騎馬兵が軽装なのは、魔物の爪牙から身をかわすため。
どちらの国も、魔物の攻撃で傷つかないために工夫をしてきたけれど、その結果ノックスは鎧の重みのために遠征がしにくくて、ロウエンは一撃離脱に失敗したら重傷者や死者が出やすいというデメリットを抱えている。
それが、退魔防具の誕生によって変わってくるかもしれない。
ノックスの鎧は軽量化して身軽さを得て、ロウエンの騎馬兵は俊敏さはそのままで防御力を高められる。
ノックス騎士団とロウエン兵団だけでなく、いずれそれぞれの国の防具屋なども協力して、お互いの欠点を補えるようなものを開発していく予定だという。
……このあたりは私、というよりジン様たちの方が専門だからいいとして。
陛下は私に、名誉勲章と貴族地位の授与を提案なさった。
ロウエン帝国の貴族には、ノックスで言う公爵や伯爵のような階級制度が存在しない。代わりに、「どれほどの働きをして、どれほどの勲章を得たか」というのが名誉に繋がる。
ジン様も、これまでにも何度も魔物討伐や皇帝家の護衛などで勲章をいただいている。
それらは執事たちが、屋敷の廊下にずらっと並べているんだけど……私にもその勲章、そして「縫穣の神子」としての地位を授ける、とおっしゃったんだ。
「名誉勲章はいいとして……貴族地位、ですか。それを受けると、何かが大きく変わるのでしょうか。ノックスで言うと爵位の授与に該当するのでしょうが、いまひとつぴんとこないですね」
ジャネット様に言われて、私も少し言葉に迷ってしまう。
「実は私も、貴族地位についてはよく分からなくて。……ただジン様曰く、勲章だけならともかく、貴族地位をもらった場合、私個人で貴族の家名を名乗れるようになるそうです」
ロウエン帝国の男性――特に実家を継がない次男以下の場合、「自分が家長となる」というのに夢を見る人も少なくないそうだ。
実家は兄が継いでも、もし自分が貴族地位を与えられたら――簡単に言うと、自分を初代とした貴族の名家を作ることが許される。だから、兵士になって努力して、貴族地位をもらおうと志す人もいるんだ。
ちなみにジン様は次男だしキオウ様も分家だけど、そこまでの野心はないそうだ。
でも、「見習い兵士時代には、立身出世の野望を抱く同期がたくさんいた」らしい。
……ただしこれは基本的に、男性の場合。
これまでに女性が貴族地位を与えられた例は、ほとんどない。
まずロウエン帝国では、女性は兵士になれない。となると魔物との戦いで活躍することはできないから、勲章や貴族地位を得る機会がそもそも少ない。
これまでのごくわずかな例だと、疫病から国を救った女性医師や新種の作物の開発に成功した研究者くらいだという。
……私はロウエン――いや、大陸初の針に退魔の力を注げる神子ということだし、それまで膠着していたノックスとの関係にも一石を投じることができた。
そういうことで皇帝陛下は、私に勲章だけでなく、貴族地位の授与も提案してくださったんだ。
「……でも、勲章はともかく貴族地位は断りました」
私がそう言うと、ジャネット様は何度かまばたきした。
「……それは、身に余る光栄だから、ですか?」
「……ええと、皇帝陛下の御前ではそのように言いましたが……あの、本当のことを言ってもいいですか? ジン様とライカ家の皆様、それから屋敷の使用人たちにしか言っていないことですが……」
「わたくしに言ってもよい内容であれば、喜んで聞きますよ。もちろん、たとえ夫相手でも他言はしません」
「あっ、キオウ様はいいですよ。……えっとですね。もし陛下から貴族地位を賜って、私が家長となってしまったら……」
「……」
「……ジン様と一緒にいられなくなるかもしれませんもの」
ロウエンの制度にも色々あるそうで、もし私が貴族地位をもらった場合、ジン様と一緒に暮らせなくなる可能性が高いそうだ。
……確かに、私が貴族地位をもらったとしたら、「ライカ家」から外れなければならない。
ノックスならともかくロウエンではその辺の規則が厳しいらしくて、私が別の家名を名乗りながらジン様と一緒に暮らす――というのはだめなんだという。
もちろん離婚するわけではないけれど、それでもジン様と離れるのは嫌だ。
だから断ったんだけど……私の返事を聞いた皇帝陛下は、どこか安心したような顔をなさっていた。
ジン様曰く、「皇帝としての規則上、ひとまずフェリスに貴族地位の授与を提案しなければならないから、フェリスの方からはっきり断りの言葉があって安心なさったんだろう」とのことだ。
本当に……王侯貴族って、大変だ。
ジャネット様もそれを聞いて安心したようで、ほっと表情を緩めた。
「よかったです……皇帝陛下が、あなたたちの別居を暗に提案したわけではないのですね」
「はい。だから勲章だけいただいて、屋敷に飾ることにしました。せっかくなので、ジン様の隣に飾ってもらっています」
ロウエン帝国の勲章は、小さな盾の形をしている。
武勲を立てた男性の場合は、盾そのものがいかつめで立派な彫り模様もあるけれど、戦で手柄を立てたわけではない私の盾は表面がつるっとしていて、繊細な薔薇の模様が彫られていた。
そこに記されている名前は、「縫穣の神子、フェリス・ライカ」。
一旦は箔を付けるために提案された称号は今や、私を形容する名前になった。
これから先、私と同じような能力を持った神官や神子たちが生まれるかもしれない。
でも、全ての始まりである私の名前は「縫穣の神子」として、これからも語り継がれていく――ということだ。
なんだかとてつもなく壮大で仰々しいけれど、今後のことを考えると私の存在をはっきりさせた方がいい。私も毎朝、ジン様の盾の隣に並ぶ自分の名前を見て、気持ちを引き締めるようにしている。
そう言うと、ジャネット様はくすっと笑った。
「そういうことなのですね。……ではあなたはこれからも縫穣の神子として――ライカ家の奥方として暮らしていくのですね」
「はい。本当はもっとたくさんの名誉を手にできる、と陛下にも言われましたが……全て辞退しました」
確かに私は、前代未聞の能力を開花させてそれを国のために使った。
でも、私一人でこれまでのことを成し遂げられたわけじゃない。
私を神官として生んで育ててくれた母、落ちこぼれでもめげずに面倒を見てくれたジャネット様。
私が裁縫をするきっかけを与えてくださった、お義母様やお義姉様たち。
護衛をしてくださったキオウ様に、私の能力を寛大に受け止めてくださった皇帝陛下。
そして――私に愛情を注ぎ、縫穣の神子としての力を呼び起こしてくださった、ジン様。
皆がいてくれたからこそ、私はここまでやってこられた。
だから、私がいただくのは勲章ひとつだけで十分。
私はこれからも、皆の手を借りながら神子として働いていく。
それが――私のあるべき姿、やるべきことだと思っているから。




