75 今後のこと①
約二ヶ月ぶりに戻ってきたロウエン帝国は春の盛りを過ぎて、短い雨季に突入しようとしていた。
ここから少しずつ気温が上がって、蒸し暑い夏を迎える。私は去年の秋に嫁いできたから、ロウエン帝国で夏を迎えるのはこれが初めてだ。
からっとしていることが多いノックスよりも暑さや湿度が厳しくて、行商に来たノックス人もよく体調を崩すということだから、体調管理に気を付けないと……。
ジン様を代表とした使節団の活躍によって、ノックスからは従来よりもずっと手の届きやすい価格で退魔武器が輸入されることになった。また私たちが作った退魔防具の研究も進んで、他国に輸出できる形に整えられた。
ノックス王国も重い腰――比喩ではなくて、本当に鎧が重いらしい――を上げて、遠方への魔物討伐に乗り出すようになったという。それを聞けただけでも嬉しかったし、ノックスの方では更に変化が起きたそうだ。
まず、初老の年齢に差し掛かっていた国王陛下が退位して、第一王子殿下が即位なさった。
前国王陛下は前回の使節団訪問やオランド伯爵の処分、神殿で働く女性神官たちの立場の見直しなどを通して、色々思うことがあったようだ。
新国王陛下は元々騎士団にも所属していたため、血気盛んな行動派の彼の指揮のもと、改革が進められるという。
騎士団内の問題はもちろん、貴族の家にも調査を入れて、虐待されている子がいないかなどについて、調べ始めるそうだ。
……これで、私みたいな辛い思いをする子どもが減るといいな。
「昨日話題に挙がったばかりなんですけど、いずれノックスの騎士団と合同訓練を行えたら、ってなっているんですよ」
そのことを教えてくれたのは、キオウ様。
神子の社の裁縫室で仕事をしていた私は休憩時間中に護衛のキオウ様に教えてもらい、思わず声を上げてしまった。
「そうなのですね! でも、ロウエンとノックスの間には他の国もありますし、そう簡単にはいきそうにないと思われますが……」
「ええ、今すぐに、というのは難しいでしょう。……しかし俺たちも、ノックスの戦い方について勉強不足なことがあります。これから手を携えて魔物討伐をしていくとなった以上、共に高みを目指すのはいいことですからね。それに、大陸でも強豪国に数えられるロウエンとノックスが親睦を深めることで、近隣諸国にもよい影響を与えられるだろう、って新国王陛下がおっしゃったそうなんですよ」
それは……文官よりも武官としての実力がある新国王陛下らしい提案だ。
退魔武器の主要生産地であるノックスの重装兵と、退魔防具の発祥の地であるロウエンの軽騎馬兵。
両者が合同訓練を行えば、他国もそれに倣おうとするはず。
大陸中の国々は、一枚岩というわけではない。
敵対しあう国や、鎖国を貫く国、内乱が絶えない国など、いろいろある。
でも、時空のひずみから飛び出してくる魔物を憎み、退魔の力をもって討伐しようとしているという点はどこも共通していて――対魔物ということだと、どの国も味方になる。
人と人が協力して敵に立ち向かうべき、ということをロウエンとノックスが模範として示せたら、とてもいいだろう。
……まあ、若い頃から「武具マニア」「筋肉王子」と呼ばれていた新国王陛下の個人的な趣味もあるだろうけれど、結果としていい方向に向かうのなら言うことはないね。
休憩の後で午後の仕事をしたら、退勤だ。
この裁縫室でも、朝組と昼組の制度を設けている。私やキオウ様は基本的に朝組として夕方には退勤するので、その後には責任者に引き継ぎをすることになっている。
でも昼組である責任者が現在ちょっと出払っていたので、彼が戻ってくるまで社内の休憩室で待つことになった。
私の方はもうじきマリカが迎えに来るし、キオウ様とはここで別れることになっているんだけど……。
「むっ! 嫁の気配!」
「え、何ですか?」
休憩室でのんびりとお茶を飲んでいたら、背後に立っていたキオウ様がいきなり声を上げた。
だから私は湯飲みを見習い神子の女の子に預けて、辺りを見回したけれど――
「失礼します。……フェリス、今よろしいですか?」
ドアがノックされて、女性の声が聞こえてきた。
途端、キオウ様はぱっと顔を輝かせてドアの方に向かい、開けた。
そこに立っていたのは、ジャネット様だ。キオウ様の妻であるけれど、彼女がここにいるのは何らおかしなことではない。
なぜなら、ジャネット様も神子になったからだ。
私たちがノックスにいる間にジャネット様は、キオウ家で花嫁修業を行った。
そうしてロウエンの作法などを身につけてから、ロウエン人として社で働きたいとキオウ様に申し出られたそうだ。
そういうわけでジャネット様も神子になったけれど、彼女は主に年少者の指導に当たっている。
最初は普通にソイルたちと一緒に退魔武器を作る業務をしていたそうだけれど、ヨノム導師様からの提案もあり、教育方面に配置換えになったそうだ。
ご本人も、「やはりわたくしは、こちらの方が性に合っています」と笑顔でおっしゃっていた。
ジャネット様も朝組でこの後帰宅だから、作業服から薄緑色のシエゾンに着替えていた。
ジャネット様は私よりも豊満な体つきをなさっていることもあってか、体にぴったりとしたシエゾンもばっちり着こなしてらっしゃる。
……本人は最初の頃の私と同じく、体の線がはっきりしてしまうシエゾンが恥ずかしいそうだけど、キオウ様はすごく喜んでいるみたいだ。
ジャネット様を見て、キオウ様が歓声を上げて両腕を広げた。
「ああ、愛しの妻よ! 俺を迎えに来てくれたのか! そうだよな!?」
「違います。フェリスに用があって来ました」
飛びついてきたキオウ様をひらりとかわして、その勢いのまま廊下の外に追い出してから、後ろ手にドアを閉めた。
すごく鮮やかな手つきだから、普段からこういう動作に慣れているんだろうと分かる。
ジャネット様は私を見て、ほんのり微笑んだ。
「……さて、勘違いばかりする夫はいなくなりましたし。引き継ぎの待機中とのことですが、少し聞きたいことがありまして。時間、いいですか?」
「もちろんです」
私も、ジャネット様とゆっくり話したいと思っていたところなんだ。
……廊下の方からキオウ様の悲しそうな声が聞こえてくるけど……うん、まあ、きっと大丈夫だよね?




