74 いつかまた、この場所へ
こうして、ノックス王とロウエン使節団による会議は、お開きとなった。
オランド伯爵はその後、ぷりぷり怒る元神官に引きずられていたけれど、それが私が見た最後の彼の姿だった。
その後で私たちが迎賓区に滞在している間に、オランド伯爵家への処罰が決まった。
過去の私への虐待行為は証拠不十分だとしても、叩けばいくらでも埃が出てきたようで、伯爵は身分剥奪の上でノックス北端の僻地に幽閉処分となった。
そして他の家族については、私の意見も求められた。
まずは、養母だった伯爵夫人。
彼女は私に対して声を荒らげたりはしたけれど、絶対に手は出さなかったし、食事を抜きにするとか寒い日に外に出されるとか、そういうこともなかった。
そして、兄と姉だった二人。彼らが私に対して行ったのは、徹底した無視だった。
名前を呼んでも無視、泣いても無視。無視して睨んでくるだけで、手も口も出さない。どちらかというと私も兄姉もお互いを避けていたから、そもそも屋敷の中で接触することもほとんどなかった。
この三人については、複雑だ。
だってそもそも私の養子入りも伯爵が勝手に決めたことらしくて、伯爵夫人は最後まで反対していたくらいだった。
夫人が私を怒鳴った理由は、昔から知っていた。
それは、「自分の子どもたちを蔑ろにされたくないから」。
そして兄姉たちが私を無視した理由も、「父親がよそから連れてきた子どもを認められなかったから」。
彼らは、好きで私の家族になったんじゃない。
本当は嫌だけど、夫や父親に言われて仕方ないから家族になっただけ。
ある意味三人も被害者だし、彼らから致命的な攻撃を受けたわけでもない。
それでも、助けて、お父様が怖いの、と泣いて縋る私を助けてくれなかった、というのも事実で、胸の奥がモヤモヤとする。
結局ジン様やキオウ様の助言もあり、伯爵夫人は貴族社会から離れて修道院で勤務することになった。
伯爵が飛ばされる場所ほど立地条件の悪い場所ではなくて、きちんと働いていれば十分食べていける環境だし、修道院としての評判もいい場所だ。本人も色々なことに疲れていたようで、その処罰をすんなり受け入れたという。
そして兄はオランド伯爵家を継ぎ、姉はオランド伯爵家出身という肩書きを失った上で、嫁ぎ先で暮らすことになった。
……親の言いなりになるしかない子どもという点では、私も彼らも似たようなものだったから、罰は与えるべきではないと思った。
ただしオランド伯爵家と私は今後無関係で、もし伯爵家が傾こうと今回の件で中傷されようと、私は一切助けないということが条件だ。
「無視」されてきた私が、これからは逆に二人を「無視」することで報復とする……ということに決めた。
それから、私に共感してくれたあの元神官の女性。
彼女は一度引退した身だけれど、「親の命令で無理矢理働かされる神官の少女たちが生まれないように」ということで一念発起して、神殿で神官たちのための助言役になることにしたそうだ。
彼女は私の母と同時期に神殿で働いていたけれど、私が来るよりも前に結婚で引退していたので、私がその娘だとは知らなかったようだ。
去り際には、「あなたはイングリッドのよさをしっかり引き継いでいますね。これからも、あなたの信じるように自分の力を使いなさい」とアドバイスしてもらった。
こうして短期間ではあるけれど慌ただしいノックスへの滞在は終わり、私たちは春もそろそろ終わろうとしている頃、ノックス王都の門をくぐった。
「……色々あったけれど、当初の目的は達成できたね」
「そうですね。……本当はもうちょっと、懐かしい場所とかをジン様にも紹介したかったのですが、今回はお仕事で来ていたので仕方ないですね」
馬車の中で、そんな会話をする。
最初車窓からは緑豊かな草原地帯や集落の家並みが見えていたけれど、しばらく東に進むとあたりは少し荒れた土地に変わって、草木もまばらになってきた。
この荒れ地の先にそびえる山脈に、国境がある。
それを越えたら……次にノックスに来ることは、あるんだろうか。
ほんの少しだけ懐古的な気持ちになった私を、隣に座っていたジン様が見てきた。
「……フェリスはやっぱり、ノックスが懐かしい?」
「そうですね。伯爵家はどうでもいいとして、神殿ではジャネット様たちと一緒にそれなりに楽しく活動したりもしましたし、風景がきれいな場所もたくさんあります。おいしいものもあるので……色々な場所をジン様に紹介したいですね」
「うん、俺も君が見てきた風景、知っている情報、食べたことのある料理……色々、知りたいな」
ジン様の穏やかな声が、耳を擽った。
そう……ジン様に教えたいものが、たくさんある。
神殿にある、お気に入りの隠れ場所。
城下町にある、おすすめの店。
とっておきのおいしい料理に、夜になると星がきれいに見える丘。
それから――
「……いつか、私が生まれ育った場所にもジン様と一緒に行きたいです」
ぽつんと言うと、ジン様はあっ、と小さな声を上げた。
「それもそうだね! その場所には、ご母堂のお墓もあるんだったっけ?」
「はい。母が死んだ後、近くの村のおじさんたちが埋葬に協力してくれました。……昔住んでいた家はもう壊されているでしょうけど、お墓は石屋のおじさんが特別にくれたものを墓石にしているので、まだそこにあるはずです」
「そっか。……こんなに素敵なお嬢さんをお嫁さんにもらったというのに挨拶しなかったら、俺はとんだ無礼者になってしまうからね。是非ともご挨拶に伺わないと」
「ふふ……そうですね。きっと母も、ジン様のことをとても気に入ってくれますよ」
座る位置を少しずらして、ジン様の肩にちょっとだけ寄り掛かる。そうしたらジン様は私の肩を抱いて、しっかりと身を預けられるようにしてくれた。
「……今はちょっとごたごたしているし、俺も君も忙しい身の上だ。でも……いつか落ち着いたら、色々なところに行きたいな」
「ええ、行きましょう。……ノックスも、きれいな場所がたくさんあるんですよ。真冬なんて、北の山脈が真っ白になる様がとっても見事で」
「あ、はは……そうだね。ノックスの冬はとんでもなく寒いから俺は苦手だけど、君が一緒なら温かいだろうからね」
「ええ。ふわふわのコートを着て、耳当ても付けて……」
ジン様の肩に寄り掛かりながらお喋りをしていたら、だんだんまぶたが重くなってきた。
「眠かったら、寝ていいよ。国境を越えられるまでまだまだ距離があるから、休めるときに休んでおこう」
「……はい。おやすみなさい、ジン様」
ジン様の許可を得られたことだから、思いきってその腕にしがみついて目を閉じる。
ジン様の体がちょっとだけ震えたけれど、くすっと笑って私の髪をそっと撫でてくれたようだ。
「うん、おやすみ。……本当に、俺の奥さんは積極的で……そういうところもすごく、可愛いんだよね」
あと4話で完結です!




