73 断罪
「あなたはっ……どこまで、私を馬鹿にすれば気が済むのですか……!」
「な、にを、おっしゃる――?」
私に噛みつかれるとは思っていなかったのか、さっと顔色を変えた伯爵を睨み付ける。
「この十年間、私のことを役立たず扱いしてきたのは他でもない、あなたでしょう! イングリッドの娘だから引き取ったのに、とんだハズレくじだった。きっと実の父親がろくでなしなんだろう。穀潰しの役立たず――散々私に、そんなことを言ってきたでしょう!」
「なっ……伯爵、それは事実ですか!? まさか、イングリッドの娘だから使えると思って、引き取ったのですか!?」
どうも母のことを知っているらしい元神官が声高に問い、周りの貴族たちもざわざわしている。
国王陛下はずっと無表情だけど、血気盛んらしい第一王子は明らかに顔をしかめているし、書記官たちも何かをさらさらと書きながら私たちの様子を見ていた。
……その時点で、とんでもないことをしてしまったと思った。
いくら恨み辛みがあったとはいえ、こんなことを口にしたら会議の場が崩壊するかもしれない。
せっかくジン様が、ノックスと交渉してくださったのに――
「……フェリス」
へなへなと座り込みそうになった私の背中を、誰かが支えてくれる。
大きな手と、力強い腕。
私を明るい場所に引っ張り出してくれた人が、倒れ込みそうな私の背中を支えてくれる。
「……大丈夫。後の憂いを断つためにも、今君が発言するべきだ」
横を見ると、ジン様が真剣な眼差しでそう言っていた。
私が伯爵に刃向かったのは、声を荒らげたのは……間違いではない。
そう肯定してくれる瞳が……私はずっと、大好きだった。
テーブルの下でそっと指を絡み合わせてから、手を離す。
そして私はテーブルに手を突いて身を乗り出し、怒りか混乱のためか赤ら顔になっている伯爵を真っ直ぐ見た。
……私がこうして、ほぼ同じ視線で伯爵を見るのは、これが初めてかもしれない。
子どもの頃はあんなに恐ろしくて、あんなに強大だと思っていた男が……今ではただ、情けなくてろくでもない人間にしか見えなかった。
元神官にも詰られた伯爵は、じろっと私を見てから首を横に振った。
「滅相もございません! まさか私が、縫穣の神子様を――」
「伯爵、それは違うでしょう。……今は、過去の話をしているのです。まさか……あなたは冷遇した娘御が縫穣の神子としてやって来たから、過去の虐待をなかったことにしようとしているのでは?」
元神官の指摘は、すっごく的確だった。
伯爵という立場にある人が、「思っていたほど、才能が豊かではなかったから」という理由で、養女を虐待する。
それは――残念ながら普通なら、「貴族社会ではよくあること」「仕方のないこと」として闇に葬られてしまうようなことだ。
これまでに何人、何十人もの子どもたちが、同じように辛い思いをしながらその涙を踏みにじられてきたのだろうけれど――今は、状況が違う。
過去の私は落ちこぼれだったかもしれないけれど、今はロウエン帝国の貴族の妻で、珍しい力を持った神子。
そんな女を過去の出来事とはいえ、「思ったより使えなかったから」という理由で虐待していたなんて――今後ロウエンと親密な関係を築くべきノックスとしては、なんとしても潰さなければならない事案だ。
「……あなたは、ジン様と結婚する旨を報告した際、私に言いましたよね? おまえのことは死んだものとして扱うから、二度と帰ってくるな、と」
「そ、そのようなことは――」
「言っていない、とはおっしゃらないでくださいね? 私も、やっと伯爵家から逃げられると思ってせいせいしました。……でもあなたは、私を連れ戻させようとしたでしょう?」
ここでジャネット様たちの名前を出しても、「証拠がない」で一蹴されてしまうだろうから、あえて名前は出さない。
伯爵の動揺を誘い、周りの人たちの関心を集められれば、それで十分だ。
「あなたの娘であるフェリス・オランドは、あの時に死にました。……それなのに、あなたは自分が殺した娘の屍に縋って、その恩恵を啜ろうとしているのですか?」
「そのようなことは、決して!」
「では先ほどの、伯爵家が私の実家である、という発言はどういうことですか?」
「っ……!」
伯爵の顔が赤から青っぽくなり、そしてだんだん白っぽくなっていった。
紙のように白い顔、っていう比喩があるけれど……本当に、血の気を失った人間の顔って、こんな色になるんだ。
「……私は、ロウエン帝国の人間です。ジン・ライカ様の妻で神子でもある、フェリス・ライカ。私の家族は、ロウエン帝国にいる夫の縁者だけ。……あなた方のことを家族として優遇するつもりはさらさらありませんし、たとえ天地がひっくり返ろうとも、私があなた方のために雑巾一枚縫って差し上げることさえありませんので、そのおつもりで」
なるべくゆっくり、一音一音丁寧に告げる。
そうして私が着席するとほぼ同時に、伯爵もへなりと椅子に座り込んだ。生気が失せた……というのは、こういうのを言うんだろうか。
これだけ意気消沈するということは、伯爵はやっぱり、「縫穣の神子の養父」として偉そうな顔をしたり、貴重な最上級の退魔防具を縫わせたりしようとしたんだろう。
でもあまりにも魂胆が見え見えだし、そもそも私はジャネット様の件を抜きにしても、伯爵家に戻るつもりは最初からなかった。
せめて大人しくしてくれれば、知らないおじさん扱いして放っておいたのに……。
「……元とはいえノックスの神殿に仕えていた神官に対する仕打ちとしては、あんまりです。陛下、この件、わたくしにも任せてくださいませんか?」
ため息をついた元神官が、国王陛下にそう申し出た。
「わたくしは二十年前に神官を引退した身ですが、神官たちの様子を見るためにたびたび神殿に伺っておりました。……今後、このように辛い思いをする神官が生まれないように、わたくしも尽力したいのです」
「……そうだな。神殿の調査については、女史に依頼しよう」
国王陛下はそう言い、私を見てきた。
「フェリス・ライカ殿。そなたも、それでよいか?」
「……ノックス王国にお任せします。その……神聖なる会議の場で声を荒らげてしまい、申し訳ありませんでした」
「気にするでない。……神官たちの想いが退魔武器を鍛える、ということをわしも失念していた。それに、今後ロウエンを始めとした諸国と手を携えるというのならば、障害となるべきものを除くのも必要なこと。……そなたの証言に感謝する、神子殿」
そう言う国王陛下は、少しだけ疲れたような眼差しをしていた。
何かに気づいたらしい第一王子殿下が隣を見て、「父上……」と気遣わしげな声を上げていた。
ざまーみろー




