72 交渉②
……こうしてその後、ジン様と皇帝陛下で退魔武器と退魔防具の輸出入についての話し合いが進められた。
そうして出された結論は、「ロウエン帝国は諸国に対して退魔防具の輸出を行うが、ノックス王国が退魔武器の輸出額と輸出量を見直したならば、ノックス王国に関してある程度の優遇措置を取る」ということだった。
優遇措置、というのは簡単に言うとたくさん輸出したり安く売ったりするということだけど、あまりにも他の国との差を付けすぎるのはよくないので、もう一つ条件を出した。
ノックス王国は大陸でも屈指の軍事国家だけれど、戦法は昔から専守防衛型だ。騎士たちも重厚な鎧を着ているので、積極的に攻撃するよりも攻撃された際にがっちりと守る方が得意だ。
それはそれで国のやり方なんだろうけれど、ノックスは「うちはこういうやり方なので」と言い張っていて、あまり魔物退治に積極的ではない。
だから……おそらくだけど、世界のあちこちで生じた時空のひずみを潰したり魔物を倒したりするのは、機動力に優れたロウエンの方が経験数が多い。
ノックスは優秀な神官が多く生まれるおかげで、退魔武器をたくさん作れている。
ただそのくせあまり魔物退治には出向かなくて、さらに輸出額をつり上げているのが現状だ。
これを、ロウエンに限らず他の国に対してもなるべくフラットにしてほしい、というのがロウエンの提案だ。
騎士たちの派遣を渋っているというのは事実なので、これには国王陛下も文句は言えなかったようだ。結果、「今後は他国と協力しながら魔物の討伐を行っていく」と、渋々ながら言ってくれた。
……さて、これでジン様が使節団長として皇帝陛下から受けた命は、果たせた。
でも、議事内容をまとめていた書記官が「何か、ご質問やご意見のあるお方はいらっしゃいませんか」と来たところで挙手した男が、いた。
もちろん、声も聞きたくない、あの男が。
「失礼します。わたくし、オランド伯爵家のマードックと申します」
立ち上がった伯爵が、わざとらしい笑顔を浮かべて挨拶をする。
……この、声。
この、笑い方。
体中がぞわぞわとして、お腹を殴られたかのようにみぞおちのあたりが痛くなってくる。
ジン様がテーブルの下で、私の手を握る。
大丈夫。まだ……なんとかなる。
「恐れながら、縫穣の神子殿に質問がございます。よろしいでしょうか?」
「……手短に頼みます」
ジン様が冷たい声で言っても伯爵は動じた様子を見せず、「感謝します」と言って、私を見た。
つい、視線を逸らしてしまった。
「先ほども神子殿の魔力を拝見して、その効力に感じ入りました。……退魔防具は神子殿が退魔の力を込めた針を使い、針子が製作するということですが……これほどまで希有な力を持つ神子殿が自ら針を持って縫われたものの方が効果が高いのでは、と思っております」
「ああ、それはわたくしも思いました。神子様、ご意見を伺っても?」
私にとってはありがたくない、無邪気な援護射撃を放ってきたのは、あの元神官の女性。
伯爵の真意は分からないけれど……女性の方は本当に純粋に気になっているんだろう。私たちの方に少し身を乗り出して、目を輝かせている。
……伯爵からの質問だったら素っ気なく返してやればいいと思っていたけれど、部外者もいるのなら多少の愛想も使わないと。
私は深呼吸しながら頭の中で言葉を組み立て、そして立ち上がった。
「ご質問ありがとうございます。……正直に申し上げますと、縫穣の神子である私自らが針を取って縫ったものは、針子たちに依頼して作らせたものよりも退魔の力をより多く注げておりまして――」
「おお! でしたらそれを――」
「しかし、私が縫ったものは二つの理由により、提供することはできません」
……こういう質問が来ることも予想して、ジン様と一緒に答えを考えていた。
大丈夫。
私は……ちゃんと、自分の言いたいことを言える。
背筋を伸ばして、発言を遮られて鼻白んだ様子の伯爵ではなく、元神官の女性の方を見ながら言う。
「まず一つ目。私は裁縫が苦手で、私が作ったものはとても、戦場に兵士や騎士たちが着ていけるような出来ではございません」
「出来なんて、少々はよろしいでしょう! 解れた部分は針子に――」
「オランド伯爵。フェリス・ライカ殿の発言を遮りませぬように」
ぴしゃっと言ったのは、書記官。書記官は伯爵家以下の貴族の男性が就く仕事だから、彼は伯爵よりも立場が下だ。
でも、その指摘はどこまでも正しいし、周りの人たちもじとっと伯爵を見ている。
何よりも面子を重んじる伯爵はグッと言葉を呑み、なぜか私の方を睨みながら黙った。
「また、ロウエンの研究者の報告により、防具に注げる退魔の量と持続時間は別問題だということが分かりました。持続時間は縫製の正確さに比例しているので、私が縫ったものは数日もすれば効果が消えてしまいます。よって、輸出品としては全く向いていません」
「……そうですか」
女性は、少し残念そうだ。
伯爵はともかく彼女には恨みはないので、ご期待に添えずすみません……と、ちょっとだけ申し訳ない。
「それから、二つ目の理由です。……単純に、私が『縫いたくないから』です」
勇気を出して言うと案の定、場がざわつき始めた。
……これだけだと確かに誤解されてしまうだろうから、説明しないと。
「これは私の作る退魔防具だけではなくて、退魔武器全般にも言えることですが……ノックスの神殿でも、退魔の力を込める際に神官の強い祈りの力が必要だと説かれています。つまり……私が強力な退魔防具にもなる衣類を縫おうと思ったら、それなりの想いが必要なのです」
「……それもそうですね」
「ですから……私は、つたないながらに自分で縫ったものは、ただ一人にだけ捧げたいのです。……適合武器が見つからなくて、神殿で落ちこぼれ状態だった私にも優しくしてくれて、この人のために針を取りたいと思えるようになった……夫のためだけに」
ざっと、部屋中の人々の視線がジン様に向けられる。
でもジン様は堂々とした態度で皆の視線を受け止めて、立ち上がった。そうしてシルゾンを締める帯に、そっと触れる。
「この帯は、妻が私のために縫ってくれたものです。……先ほど妻が自分でも言っていたように、彼女は裁縫や刺繍が得意ではないようです。しかし、式典に出席する私のために丁寧に一針一針縫って完成させたのが、これです」
「……その帯も、最初は退魔防具だったのですか?」
元神官に問われて、ジン様は頷いた。
「私は神子ではないので退魔の力を目視することはできないのですが、ロウエンの神子たちが証明していました。……妻はこの希有な力を、国のため、そしてロウエンと親交を結ぶ多くの国の人のために使いたいと志しました。……どうか、妻の願いを聞き入れてください」
そう言って、ジン様はロウエン風のお辞儀をした。
私も彼の隣で同じように、お辞儀をする。
皆、私たちの言葉をしっかり吟味してくれているようで、納得の表情になっている。
――ただ一人を除いて。
「……で、では最上級の退魔防具を身につけられるのは、その男だけということですか?」
皆がしんみりとする中で一人だけ明らかに動揺しているのは、毎度おなじみオランド伯爵。
もう、声も聞きたくないから黙っていてほしいんだけど……。
「それではさすがに、宝の持ち腐れでしょう! ここは神子殿の生まれ故郷でもあるノックスにも是非、手製の退魔防具を――」
「おやめなさいませ、オランド伯爵。……神子殿のお言葉が聞こえなかったのですか?」
伯爵に噛みついたのは、あの元神官の女性だった。
彼女はテーブルに手を突くと首を伸ばして、テーブルの反対側に座っている伯爵をじろっと睨んだ。
「たとえ我々が神子殿を無理に働かせようと、彼女が夫君のために縫ったものほどの効力は得られません。それに、一度籍を外したノックスのためにこれだけ譲歩してくださるのですから、お言葉を甘んじて受けるべきです」
「ですが、世のため人のためというのでしたらもっと幅広く活用するべきでしょう! もしくは、夫君以外の者に貸与すればよいのでは? また、家族だけに縫いたいというのであれば、僭越ながら我々伯爵家も神子殿の実家で――」
「伯爵」
声が、出た。
これまでの十年間、養父を前にこんなに低い声が出たことはないし、そもそも相手の言葉を遮って喋るなんて、過去の私では不可能だっただろう。
でも、我慢できなかった。
部屋中の人々が、私を見ている。
こんなことを言ってもいい場所ではないと分かっていても……我慢できない。




