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68 縫穣の神子・フェリス

 翌朝……といってもまだあたりが暗い時間だけど、ジャネット様はこっそりと帝城へ戻っていった。


 ジャネット様と私たちは、昨夜帝城で別れている――という設定になっている。

 私は作戦には加われなかったため全てジン様から聞いた情報になるけれど、今朝キオウ様は皇帝陛下の前で、「ジャネットに惚れたから嫁にする」と宣言して、ノックスの騎士たちを愕然とさせたらしい。


 夜のうちに婚姻に関する書類の準備をして今朝すぐさま受理されたので、ノックスの騎士たちではこの結婚に異議を唱えることはできない。


 当然、騎士たちは婚姻が結ばれたことを知るなり部下をノックスに向かわせたようだけど――昨夜既に、キオウ家の兵士たちがジャネット様のご両親がいらっしゃる村に向かっていた。


 キオウ家の兵は、「ライナン・キオウがジャネットと結婚する」ということを、ジャネット様のご両親を捕らえている伯爵家の兵士に告げる。

 この時点ではまだ「結婚した」と断定することはできないけれど、伯爵家の手の者を抑えるだけで十分だ。


 遅れてノックス騎士の部下が村に到着するだろうけれど、既にそこにはキオウ家の兵士がたむろしている。

 これで、ジャネット様のご両親を殺すことはできなくなるんだ。


 そうしてキオウ様は皇帝陛下の許可を得た上で、キオウ家の軍と自分の麾下きかにある帝国兵の一部の者を連れて、ジャネット様のご両親を迎えに行くことになった。

 もちろん、そこにジャネット様も同行する。


「……皇帝陛下も、ノックスへの対応をここで決めようとなさっている」


 帝城から帰ってきたジン様は、テーブルを世界地図に見立ててロウエンとノックスの位置関係について指で示しながら言った。


「ジャネット殿のご両親の件について、伯爵家は知らぬ顔を貫くかもしれない。でも、その件について伯爵家を糾弾できなくても、ジャネット殿のご両親を無事に連れ出せたらそれでいい。……ここでジャネット殿は、ご両親と一緒にキオウ家の兵士に護衛されながら帰国する」

「キオウ様は同行されないのですね」

「ライナンはここから王都へ兵を進める。最終目的は……退魔武具に関してノックス王と交渉する場を持つことだ」


 ……なるほど。

 ただ単に「ロウエン貴族がノックスへ妻の両親を迎えに行く」という理由だけでは、私兵ならともかく帝国兵を動かすことはできないけれど、「ノックス王にまみえるため」という目的が追加であるのなら話は別だ。


「それで、ここからは俺たちも絡むけれど……俺たちはジャネット殿ご一家が無事にロウエンに来たところで、帝国軍正規兵を率いてノックスへ行く。……皇帝陛下からの命を授かった使節団としてね」


 ……思わず、ごくっと唾を呑み込んだ。


 この前来たノックスの使節団は話にならなかったのですぐに追い返したそうだけど、今回は本気で交渉するつもりだ。


 退魔防具を作る基となる、退魔武器としての針。

 ……現時点でそれを作れる唯一の人間である私を連れて行くというのが、ロウエン帝国としての「本気」の表れということだろう。


「分かりました。……ノックスに、行きます」

「……うん。君にとって、辛いことが待ちかまえているかもしれないけれど……」

「大丈夫です。……私は、自分の力をよく使うと決めましたから」


 それに、退魔武器の生産大国として大陸に名を馳せるノックスとは、遅かれ早かれ交渉しなければならない。

 私は……ロウエン帝国に所属すると決めたのだから、帝国にとって不利にならないように物事を進めたい。


 私の言葉を聞き、ジン様は微笑んだ。


「……いい表情だね。そう言ってくれると、俺たちも助かるよ。……ああ、もちろん、国王陛下との交渉とかは使節団代表として、俺が全て請け負う。君はロウエン帝国が誇る神子の一人として、堂々と俺の隣にいてくれればいいよ。……あ、そうだ」


 そこでジン様は執事に言って、巻物みたいなものを持ってこさせた。

 これ……前に皇帝陛下からもらった感謝状と似ている。間違いなく、皇帝陛下からの書状だ。


「君を使節団員としてノックスに派遣することについて、陛下からひとつご提案があってね。退魔防具を作れる希有な力を宿した神子として、君に称号を与えるのはどうかということになったんだ」

「称号……名前のことですか?」

「そんな感じ。ここ、読んでみて」


 ジン様がテーブルの上に巻物を広げて、一点を示した。


 ……皇帝陛下の字は正直結構独特な……いわゆる達筆すぎて、ちょっと私には読みにくいので、ジン様が必要なところだけ示してくださって助かった。


 その部分だけ、傍線が引かれている。


「……『縫穣ほうじょうの神子』……?」

「うん、これを君の称号とするというご提案だ」


 ジン様の方を見ると、灰色の目が私を安心させるかのように柔らかく緩められた。


「裁縫によって、国を豊かにする神子……君にぴったりの称号だと思うよ」


 縫穣の神子、と口の中でもう一度、その名を転がしてみる。


 私が魔力を注げるのは、魔物との戦闘では全く役に立たないだろう、小さな針。

 でもこの針は武器にはならなくても、魔物の爪牙そうがや邪気から兵士たちを守る、防具を作ることができる。


 戦うためではなくて、守るための力。

 それが……「縫穣の神子」の能力。


「……あ、あの……なんだかすごく、もったいないし恐れ多いです。……でも、嬉しいです」

「うん。俺も、君にぴったりの称号だと思うよ」


 ジン様はそう言って、くるくると巻物を元に戻して執事に渡した。


「それじゃあフェリスがこの称号を拝領するということを、伝えておくね。……これから君は、縫穣の神子・フェリスと呼ばれることになるだろう」

「……な、なんだかとんでもなく偉い人になった気がしますね」

「まあ実際、珍しい力を持っているし偉いんだけどね。……でも、フェリスはフェリスだよ。立派な称号をもらったとしても……俺の奥さんの、フェリス・ライカであるのは揺るがないからね」


 そう言うジン様の口調は柔らかくて、私の肩にこもっていた力がふっと抜けていった。


 ……ひょっとしてジン様は、称号を受けることを誇らしく思う反面、恐れも感じてしまった私の気持ちに気づいてくださったのかもしれない。


 立派な称号をもらえるのは嬉しいけれど、私が私じゃなくなるような気もして、少しぞくっとしてしまった。


 でも……ジン様のおっしゃるとおり、私は私だ。

 縫穣の神子である以前に、ジン様の妻であるフェリス・ライカなんだ。












 ジャネット様が戻ってくるまでの間、私はジン様やヨノム導師様、ソンリン様たちと一緒に、使節団としてノックス王国を訪問する計画を立てた。


 ノックス王国の人たちは退魔防具の性能のことも噂に聞くのみだから、半信半疑状態かもしれない。

 だから私が針に魔力を込めて退魔防具を作れる――縫穣の神子であることを示さなければならないし、その代わりに退魔武器の流通に関する注文を付けることも忘れてはならない。


 そうして、一ヶ月ほど経過して春が盛りを迎えた頃。


 ジャネット様がご両親と共に帰国なさり、入れ違いに私たち使節団はノックス王国に足を踏み入れることになったのだった。

タイトル回収です。

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