65 助けるために①
浴室から出たジャネット様はとても疲れていたので、その日はもう休まれることになった。
ただ、今回お茶をぶちまけたのは帝城に仕える使用人の失態なので、是非とも城の客室を使ってほしいということで、ノックスから来た三人は帝城内に宿泊することになった。
騎士二人はずっとジャネット様を見張っていたそうだけれど、寝室まで行ったところで追い払われた。
ドアの前はロウエンの女性使用人が待機するので、お二人は窓の外でも廊下にでも張っておけばいい、と言って。
……そうして騎士たちはジャネット様が逃げたり、私たちと接触したりしないか警戒していたようだけれど……残念ながら、城の客室で寝ているのはジャネット様ではない。
珍しい灰色の鬘を被った、ロウエン人の使用人だ。
本物のジャネット様も暗い色の鬘を被りシエゾンを着て、私の侍女のふりをして帝城を抜け出し、ジン様の屋敷に連れて帰っている。
ここなら警備もしっかりしているし、キオウ様が出入りしても不審がられない。
「……なるほど。ジャネット殿は、フェリスの養父だった男に脅されていたのですね」
マリカが淹れてくれた温かいお茶で体を温めながら、私たちはテーブルを囲んで座っていた。
私とジン様が並んで座り、向かいにロウエン風の普段着姿のジャネット様が座る。その後ろには腕を組んだキオウ様が立っていて、ジャネット様の後頭部をじっと見下ろしているようだ。
ジン様が問うと、ジャネット様はこっくりと頷いた。
帝城での面会時が嘘のように、しおらしい態度だ。
「……はい。詳しい事情までは聞かされなかったのですが……オランド伯爵家は、フェリスを再び迎え入れようとしているのでしょう」
「でも、私はノックスの神官にさえ戻るつもりもないのに、ましてや伯爵家に戻るわけがないのですけれど……」
「ええ、わたくしもそう思っています。ですから……きっと伯爵家は少なくとも、『伯爵家とフェリスの仲は良好だ』という事実を作っておきたいのでしょう」
「……いざ退魔防具がロウエン帝国の主要な輸出物になった際、かつて伯爵家の養父から虐げられていたことをフェリスが暴露するかもしれない。そうすれば伯爵家の面子ががた落ちで、最悪ロウエンとノックスの交流が断たれるかもしれないことを危惧しているのか」
ジン様はチッと舌打ちすると、「どこまでも自分本位の奴らだ」と毒づく。
「……俺としては、このまま伯爵家の連中には報復を恐れて怯えさせておきたいくらいだが……そうもいかないな」
「……わたくしのこと、ですね」
ジャネット様の声が震えている。
ジャネット様が私を連れて帰れなかったらご両親が殺されて、ご両親を生かして私を連れ帰らなくてもよくするためには、ジャネット様が死ななければならない。
「……あの護衛騎士二人くらいなら瞬殺できなくもないが、それは今後のことを考えると避けたい。大義があったとしても騎士を殺せば、ノックスとの国交に障害を来す」
ジン様の言葉に、私は何も言えずに頷くしかできない。
ジャネット様も、ご両親も、私も、誰も傷つかずにこの場を乗り切るのは……難しい。
「さすがに個人間の問題となると、陛下にご相談するのも難しいですよね……」
「そうだね。それによしんば陛下の庇護でフェリスとジャネット殿は守れたとしても、ジャネット殿のご両親の安全の保証はできない。……そもそも、『オランド伯爵家がジャネット殿のご両親を人質にしている』ということさえ、ジャネット殿の言葉でしか証明できない。そんなことはしていない、と言われればおしまいだし、名誉を傷つけられたとして逆にこちらが攻撃されかねない」
「……申し訳ありません。わたくしが……わたくしが弱いばかりに……」
「そりゃあ違うだろう」
憔悴しきった様子のジャネット様に声を掛けたのは、それまで黙っていたキオウ様。
キオウ様は振り返ったジャネット様を見て、ふん、と鼻を鳴らした。
「武人ならともかく、あんたは一般市民だ。いきなり貴族の問題に巻き込まれたというのに、肉親と自分の命を天秤に掛けて決断を迫られて、平気でいられるはずもない。……あんたは被害者だ。欲張りだろうと何だろうと、自分も親も助かる道だけを考えていろ」
「っ……。……申し訳ありません。本当に……」
「いいってことよ。……で、解決策だが……ジン、何か案は?」
「ないわけではないけれど、実現が難しかったり手間が掛かったりするな」
「あるのですか!?」
思わず横を見て問うと、ジン様はこっちを見て頷いた。
「一番手っ取り早くて整合性もつきやすいのは、ジャネット殿をこちらの陣営に入れてしまうことだ。つまり……フェリスの時のように、ジャネット殿の国籍をノックスからロウエンに変えてしまう」
「……あ、なるほど! そうすれば、伯爵家がジャネット様のご両親を捕まえておけなくなるんですね!」
ジャネット様がロウエンに正式に迎え入れられた場合、ご両親は間接的ではあるけれど「ロウエン人の両親」になる。
となると、ノックス人である伯爵家がロウエン人の肉親を捕らえていると、国際法に抵触しかねない――抵触させられる。
私の言葉に、ジン様は満足そうに頷いた。
「そういうこと。屁理屈と言われればそれまでだけど、国際法やそれぞれの国家の法律の穴を突いたやり方だ。……ただその場合、いくつかの手順が必要だ。もちろん、ジャネット殿ご本人にその意志があるべきだし」
「……家族三人無事でいられるのならば、どのような方法でもお受けするつもりです」
ジャネット様はそう言って、ジン様を真っ直ぐ見た。
その目には、さっきまでは消え失せていた生気が宿っていた。
「……わたくしは守護神官としての才能にはそれほど恵まれておりませんが、体力や学力はある方です。どのような仕事でもしますし、どのような環境でも生きていきます」
「ほー、肝が据わってんじゃん!」
「からかって差し上げるな、ライナン。……ジャネット殿の意志があるのなら、話は進めやすい。ただ、養子……となるとご両親との縁を切らなければならなくなるから、意味がない。ご両親の縁を持ったままロウエン側に迎え入れるとなると、方法は……」
「……んあー! まどっろしいな、ジン! 手っ取り早い方法があるだろ!」
キオウ様はガシガシと頭を掻いてから叫ぶと、仏頂面のジン様の胸元をびしっと指差した。
「昔からこの手法は存在していたが、大概は結婚で解決できる! おまえだって分かってんだろう!」
「……いやまあ、分かっている。でもさすがにそれは、俺たちの勝手な都合では……」
「……け、こん……ですか」
あ、ジャネット様の声が震えている。
その目に驚きの色はないから、ジャネット様もある程度想像はしていたのだろうけれど、狼狽えるように茶色の目がきょときょとと左右に揺れている。
……うん。私もひょっとして……とは思っていたけれど……ここまではっきりと言われると動揺してしまうよね。




