表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
64/88

64 企み

 帝城の客間にある浴室は、とても立派だ。


 ジン様の屋敷の浴槽もなかなか大きいけれど、ここはその比じゃない。間違いなく、泳げる。私は泳げないけれど。


 私は入浴補助用の薄手のシエゾンに着替えて、浴室に続く立派なドアを開けた。

 もわっとした蒸気が立ちこめる中、使用人の女性に背中を流されながらぼんやりしていたジャネット様の姿が見える。


「ジャネット様……」

「……」

「ここには、私たちしかいません。ノックスの騎士たちは、ジン様たちが厳しく見張ってらっしゃいますよ」


 私がそう言うと、黙って背中を流されていたジャネット様がゆっくり顔を上げた。その瞳が潤んでいるように見えるのはきっと、蒸気だけが原因ではない。


 私はジャネット様の正面でしゃがんで、浴室用椅子に座るジャネット様と視線を合わせた。


「ジャネット様、どうか正直にお話しください。……ジャネット様はご自分の意志ではなくて、脅されてロウエンに来たのですよね?」

「っ……」


 ジャネット様の瞳が揺れて、さっと口元を手で覆う。

 ……やっぱり、そうだったんだ。


 それで、ジャネット様に立派なドレスを贈れるくらいの財力があって、なおかつ使節団とは別件で騎士を動かしてでも私を連れ戻そうとする相手となったら――


「あなたを脅したのは……オランド伯爵、ではないですか?」

「……。……フェリス……ああ、フェリス……ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 途端に堪えきれなかったかのようにジャネット様は慟哭して、私に抱きついてきた。

 ちょうど使用人の女性がお湯を掛けたところだったので私も一緒にびしょぬれになったけれど、元々そのつもりだったから構わない。


 ジャネット様が震えながら、私にしがみついている。

 いつも真っ直ぐ背中を伸ばして、私の手を引いてくれたジャネット様が……泣いている。


「ジャネット様は……伯爵に脅されたのですね? 私を連れて帰れ、さもなくば……って」

「……っ……はい……両親を人質に……」

「っ、なんてことを……!」


 何を脅しの材料にしたのかまでは分からなかったけれど……これは、許せない。


 ジャネット様はノックス王国南の田舎出身で、ご両親がいらっしゃるということだった。

 一人娘だけれど神官になったこともあり婚期は逃しそうだから、せめてしっかり働いて仕送りをしたい……って笑いながらおっしゃっていたっけ。


「両親のいる村に、伯爵家の騎士がいて……わたくしがフェリスを連れ戻せなかったら、両親を殺すと……」

「……それで、ジャネット様はロウエンに……」

「ごめんなさい……」

「謝らないでください! でも……あんまりにも無謀です」


 だって、私の目から見てもさっきの話し合いは破綻していた。ジャネット様の言い分は二転三転していたし、ジン様やキオウ様を煽るような発言さえしていた。

 あれでは、ロウエン帝国に対する不敬罪で罰せられても仕方がないのに――


 ジャネット様は頭を振って、洟を啜った。


「もう一つ、条件を出されたのです。……交渉が決裂した場合も、わたくしがロウエンで物言わぬ骸になれば、両親だけは許してくれると……」

「……ま、まさか、だからさっき、あんな発言を――」


 ……鈍い私にも、大体のことが分かった。


 ご両親を人質に取られたジャネット様は、私の良心を擽る作戦で迫ってきた。でも人情では私を絆しきれないと分かったから……舵を切って、ご自分が犠牲になる道を選んだ。


 やっぱりあの騎士たちは護衛ではなくて、見張りだったんだ。

 ジャネット様が少しでも不審な動きをしないかを監視して、見張る。……さっきジャネット様の体が不自然に揺れたのもきっと、後ろから小突かれたりしたからだろう。


「でも……だめですね。私は両親の命ほしさにあなたを売ろうとして――今では両親も自分も死にたくないと思う。もう、どうしようもないのに……あなたに明かしたからといって、助かるわけでもないのに……!」

「やめてください! ジャネット様、あなたは悪くありません!」


 ジャネット様の肩を掴んで、揺さぶった。

 尊敬する恩師にこんなことをするなんて本望じゃないけれど……そうでもしないと、ジャネット様だけじゃなくて私の心まで、壊れそうだったから。


 伯爵は……あの男は、ロウエンの神子の正体が私であると気づいて、今になって私を手放したのが惜しくなった。

 だから、私とゆかりのあるジャネット様に目を付けて、脅した。


 ジャネット様は平民で独身だから、守ってくれる人もいない。そしてジャネット様が「自分の意志で」ロウエン帝国に行くと宣言するなら、神殿も彼女を止めることはできないんだ。


 ……私のことを散々罵倒して、「二度と帰ってくるな」「死んだものとして扱う」と言ったくせに、手の平を返して擦り寄るだけじゃなくて、ジャネット様の家族をも巻き込んだ。


 ……許せない。


「ジャネット様……一緒に解決策を考えましょう!」

「……一緒に?」

「ええ! ……ジン様もキオウ様も、事情を話せば納得してくださいます。お二人とも、私よりずっと聡明なので、きっとよい助言をくださいます!」


 さすがに個人的な事情に皇帝陛下やヨノム導師様たちを巻き込むわけにはいかないだろうけれど、私の夫や護衛ならきっと、相談に乗ってくださる。


 あの見張りの騎士たちの目をかいくぐって、ジャネット様を……そしてできるなら、無関係なのに巻き込まれて人質にされているジャネット様のご両親も、助けたい。


 あんな卑劣な伯爵に、負けたくなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ