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62 望まぬ形の再会

 こぽぽ、と静かな音を立てて、湯飲みにお茶が注がれる。


 この淡い緑色のお茶は、花茶と呼ばれている。ロウエン伝統のお茶のような苦さがほとんどなくて、すっきりとした味わいが魅力だ。

 男性にはあまり好まれないそうだけど、甘いものが好きな女性や子どもに人気で――また、ロウエンのお茶に舌が慣れていない異国の人をもてなす際にもよく提供される品だ。


 使用人は最後に湯飲みに白い花――食用花なので、食べられる――を浮かべると、一礼して去っていった。


 部屋には、私とジン様、護衛のキオウ様というロウエン帝国側の人間と、ノックス王国からやって来た使者とその護衛二人という三対三の構図ができあがっている。


 ……「ノックス人の使者が来て、退魔防具の製作者との面会を求めている」という知らせが屋敷に届いたのは、昨日のこと。


 それを読んだジン様は明らかに不機嫌で、執事やマリカも「お断りの手紙を送りましょう」と言ったんだけど……そこに記されている使者の名前を見ると、無視なんてできなかった。


 使者は花茶の湯飲みを手にして、上品に啜った。

 ノックスで使われるティーカップと違って、ずんぐりとして持ち手もない湯飲みだけど上手に扱えているのは――彼女が、とても器用な人間だからだろう。


 彼女は昔から、私と違って器用だった。

 私がうまく裁縫ができなくて靴下をぼろぼろにしてしまったときも、こっそり手を貸してくださったりして――


「お久しぶりですね、フェリス。元気そうで何よりです」


 その人は微笑みを浮かべて、私の名を呼んだ。


 私の名前を滑らかに「フェリス」と、しかも敬称もなく呼ぶことが許されている人。

 さらりとした癖のない灰色の髪に、理知的な茶色の目を持つ……私の憧れの人。


「……はい。ジャネット様もお変わりがないようで。お会いできて、嬉しいです」


 ……本当に。


 こんな形での再会じゃなかったら、嬉しさのあまり抱きついていたかもしれないくらいだというのに。













 ノックス王国の神殿で、私の指導係になってくれたジャネット様。

 彼女は私がロウエン帝国に嫁ぐと聞いて心配してくれた数少ない人で、結婚後もまめに手紙を送っていた。


 ついつい便せんいっぱいに近況報告を書いてしまう私と違って、ジャネット様からの返事は基本的に短かった。

 でも、「あなたが元気そうなら、それが何よりです」「ご夫君といつまでも仲よくしてくださいね」という優しさが感じられる文面で、ジン様にもお見せしていた。それに挨拶をしたときにジン様もご一緒したから、ジャネット様のことはジン様もご存じなんだけど――


 花茶の湯飲みを置いたジャネット様は、穏やかな微笑みを浮かべている。

 着ているのは、私にとってはもはや懐かしいとさえ思われるノックス王国風のドレス。……そう、ドレスだ。


 ジャネット様は一般市民階級出身だから、こんなドレスを持っているはずがないのに。


 私の隣に座るジン様もその横に立っているキオウ様も、険しい眼差しでジャネット様を見ている。

 ……でも、それも仕方がない。


「……ジャネット殿。妻に代わり、いくつか質問してもよろしいでしょうか」

「何なりと」


 そう答えるジャネット様は、どこまでも落ち着き払っている。


 元々大人の女性らしい落ち着きを備えた人だったけれど……今はその落ち着きから、なんだか嫌な予感……というかむしろ、不気味ささえ感じられる。


「あなたはノックス王国の使者としていらっしゃり、妻との面会を求めたということですが……先日既に別の使者がノックスの国王陛下の書状を手にいらっしゃったことは、ご存じですよね?」

「もちろんです。わたくしは、そちらの使者とは別で参りましたので」


 ジャネット様はあっさり認めた。


 確かに数日前に、ノックスの国王陛下の命を受けた正式な使節団が来て、皇帝陛下に面会を申し出たということは聞いていた。


 私はもちろん、ジン様もその場には同席しなかったから伝聞でしかないけれど……退魔防具の存在を聞きつけたノックス側は、自分の国にも融通するように願い出たという。

 それに対して皇帝陛下が「ならばそちらの退魔武器の輸出額の見直しをしろ」と言い返し使者が黙ってしまったことで、話し合いは終了したとか。


 使節団は既に、皇帝陛下のお返事を携えて帝城を出発している。

 ということは……ジャネット様は本当に、使節団とは別枠でやって来たということだ。


 ……普通なら、一般市民階級のジャネット様が護衛の騎士を連れて単身交渉に来るなんて考えられない。


「……それは、ノックス王国の神殿の代表としていらっしゃったからですか?」


 ジン様が問う。でもジン様だって、こちらの可能性は限りなく低いと分かっているはずだ。


 ジャネット様が平民出身の神官で、こんなきれいなドレスを持っているはずがないこともジン様はご存じ。

 それにもしジャネット様が神殿代表として来たのなら普通は、神官の正装であるローブ姿で来るはずだ。


 ジャネット様は微笑むと、ジン様から私へと視線を動かした。

 かつて私を見守ってくれていた、その茶色の眼差しが――今はとても怖い。


「神殿は関係ありません。今回わたくしは、わたくしの意志でこちらに参りました」

「……あなたの意志?」

「フェリス。あなたは結婚によってロウエンの人間になったようですが……まさか、忘れていないでしょう? あなたはノックスで生まれ育ったノックス人です」


 ……とくん、と心臓が鳴り、不快を訴える。


 これまで、ジャネット様に諭されたことは何度もある。

 今みたいに優しく、正しいことをおっしゃるから、私も素直に従っていた。


 でも……違う。

 今のジャネット様に従うことは、できない。


「……そうだったかもしれませんが、違います。私はもう、ノックスではなくてロウエンの人間です。私の身元は、皇帝陛下も承認してくださっています」

「いいえ、あなたの心はノックスで育った人のそれです。……不遇な立場にあったため、ロウエンの人々に受け入れられたことで染まってしまったようですが……本来ならばあなたは、ノックスのために力を尽くすべき立場なのです」

「ち――」


 違う、と叫びそうになった自分を、なんとか制した。


 私はもう、フェリス・ライカだ。

 ノックスの人間だったのは、過去の話。


 そんなこと……ジャネット様は分かっているはずなのに。

 分かっているはずなのに、ここまで強引に見解を押しつけてくるジャネット様の意図が――汲めない。


「……ちょっとすみませんが、あなたのおっしゃることはあまりにも身勝手すぎませんかね?」


 迷う私を助けるように割り込んでくれたのは、キオウ様。

 いつも人なつっこい笑みを浮かべて私を支えてくれるキオウ様は――今、笑顔だけれど目だけは凍えるように細めて、ジャネット様を見ていた。


「あなたはヘリス様の恩人で、ヘリス様もまたあなたとの面会を望まれているということでこの場を設けましたが……あなたはヘリス様の教育係、いわゆる先生っていう立場だったのでしょう? だったら何よりも、教え子の気持ちを尊重してあげるべきじゃ――」

「わたくしがフェリスの教育係だったのは、過去のこと。今のわたくしはあくまでも、フェリスと対等な立場で物申しておりますので」


 ……まさかここまでばっさりと言われるとは思っていなくて、私の喉がぐぐっと変な音を立てた。


 違う。

 これは、ジャネット様では……ジャネット様の意志ではない。

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