61 冬から春へ
冬の間に、ロウエン帝国は密かに退魔防具の研究と開発を進めていった。
その結果、相変わらず針子としてはへっぽこな私が縫ったものはもうどうしようもないにしても、プロである針子たちが作ったものは専用の箱に収めて、なおかつ箱の中に防虫剤や乾燥剤などを入れて衣類にとって最適な環境に整えておくと、退魔効果がかなり長続きすることが分かった。
そのあたりは私の管轄外なので、私は官僚たちが作ったデータを後から見せてもらうくらいだったけど……いや、本当にすごかった。
「どのようにすれば退魔防具の効果が持続するか」についてあらゆる仮説を立てて、それぞれの結果をグラフ化してまとめる。
防虫剤でも、どの種類の防虫剤をどれくらい使い、どの頻度で取り替えるか……まで細分化されていて、報告書を読む目が滑るかと思った。研究者って、すごい……。
衣類の素材についての研究も進めたけれど、これには針子たちの知識に頼ることになった。
退魔防具としての効果の持続性はもちろんだけれど、これはお飾りとして展示するのではなくて、あくまでも兵士たちの衣類として着用されるものだから、「着る側」の気持ちを忘れてはならない、と言われて私も納得した。
結果として、やっぱり素材は大きく変更できないけれど、退魔の力の効果を受けやすい金属の欠片を裾に縫い込んだり、アクセントの一つとして取り入れたりといった工夫をしてもらうことになった。
そうして、ロウエン帝国にも優しい春の風が吹き始め、帝都の外に広がる草原にぽつぽつと草木が芽吹き始めた頃。
退魔防具としての肌着がほぼ完成に近づき――他国にも、その存在がじわじわと伝わっていくようになった。
「……なるほど。ついに諸国も、退魔防具の噂を嗅ぎつけてきたようだね」
ジン様が呟いたので、私は頷いた。
「今のところ流れている情報は、『ロウエンのとある神子が、退魔防具の製作に成功した』ということくらいですね。でも、これからどんどん情報が流れていくのは仕方のないことです」
「そうだね……まあこれも元は俺が、皆の前で自慢したからであり……」
「それはそうですけど、仕方のないことですよ。いずれ私の名前もばれるかもしれませんけれど、ロウエン帝国が全力で守ると約束してもらっていますから、大丈夫です」
なんとか冬の間は情報が流れるのを阻止できたけれど、春になって人の往来が活発になったからか、退魔防具の噂はあっという間に広まっていた。
まあ、皇帝陛下もヨノム導師様も、箝口令を敷けば万事うまくいくとは最初から思っていない。
流れるものは流れるから仕方ないとして、諸国が手を伸ばしてきたときにきちんと対応できるよう構える方に力を注ぐべきだというお考えだ。
私としても、いずれ「フェリス・ライカ」の名前まで広まってしまう覚悟はできている。
でも私はロウエンに嫁いでロウエンの人間になったのだから、もし諸国からスカウトされても「私はロウエンの者ですので」の一点張りでいい。
皇帝陛下も、困ったことになればすぐに上層部にぶん投げてしまってもよいとおっしゃった。
むしろ私一人が交渉の場に立てば、口八丁手八丁な相手にやられてしまうだろう。どのような場合であれ、ジン様や護衛のキオウ様、マリカたちとの連携を欠かすことのないように、と言われている。
「……ここまで広まった以上、いつか……ノックスも動くだろう」
ぱちん、と暖炉の火が爆ぜた。
暖炉の前に並んで座ってお茶を飲んでいた私は空になったカップをマリカに渡し、ジン様の肩にもたれかかった。ジン様もカップを置いて、私の肩を抱いてくれる。
「……ノックスは、どう出てくるでしょうか」
「どうだろうね……一つ面倒なのは、君がノックス王国の伯爵家出身であるというところまでばれた場合だね」
「……」
こくり、と呑んだ唾は、さっきまで甘いお茶を飲んでいたというのに苦く感じられた。
私の癖のある淡い色の髪は、白い肌は、その顔つきは――愛しい人の故郷ではない、別の土地で生まれた証し。
「ノックス王国はそこまで権力欲は強くないそうだけど、ロウエンで活躍している神子がノックス出身だと知ると……どう出るかは分からない」
「……私を、連れ戻そうとするとか……?」
「あり得るね」
ジン様の言葉は、容赦がない。
容赦がないけれど……「絶対ないよ」という根拠のない励ましの言葉よりはずっと、私の心にとっても優しかった。
おまえは、ロウエンの人間ではない。
おまえを生んだ母親は、ノックスの人間だ。
おまえを十八歳まで育てたのは、ノックスだ。
だから――帰ってこい。
「……もしそう言われても、私は絶対に帰りません」
「……」
「私は……もう、この国の人間です。癖毛だし、色は薄いし、顔立ちも違うけれど……私はもうフェリス・ライカです。ロウエンの神子として生きることを決めたんです」
「うん、君がそう言うのならそうであるべきだよ」
ジン様はそう言うと微笑んで、空いている方の手でそっと私の髪を撫でてくれた。
「確かに君の見た目は、俺たちとはちょっとだけ違うけど……君は、俺たちの仲間だ。ロウエン帝国ライカ家のお嫁さんで、俺の奥さんだ」
「……はい」
「君は君の意志を貫くべきだ。その意志が俺たちと共にあることもとても嬉しいし……君がロウエンの人間だと主張する以上、俺たちも君の誇りを守るよ」
暖炉の火に照らされて、ジン様の顔が眩しく感じられる。
私を導き、支えてくれるジン様は、とても格好いい。
「だから君は、胸を張っていて。それから……一度決めたことを、決して曲げないで。君を懐柔しようとする者がいれば間違いなく、君の弱みを突き、傷口を狙ってくる。君の意志が揺らげば、その傷口を大きく開こうとするだろう」
「……はい」
「俺はこれからもずっと、君と一緒にいたいんだ。だから……どこにも、行かないでね」
……珍しい。ジン様の方からこうやって、縋ってくるなんて。
でも、ジン様が心配になるくらい私は弱くて、風が吹けば飛ばされてしまいそうな、危うい存在なんだ。
「……行きません。私があなたを、あなたが私を望む限り……私の居場所は、帰る場所は、ここです」
「この屋敷ってこと?」
「それもありますが……一番はここ、ジン様の腕の中です」
そう言って、えい、とジン様の懐に抱きつくと、ジン様の体が一瞬びくっと震えた。
でもすぐに彼はくすくす笑い始めて、私の体をぎゅっと抱きしめてくれた。
「なるほど、これは一本取られたね。……それじゃあ俺は、君をいつでも迎えるし、君が迷わないための道しるべになるよ」
「はい……これからも私を、導いてくださいね」
「うん。これからも……ずっと」
――そうして唇が重なったけれど、その音はぱちん、と火が弾ける微かな音の中に消えていった。
ジン様とこれからの約束をした、約一ヶ月後。
周りの景色もすっかり春めいて、ロウエン帝国が一年の中で最も美しく映えるという春が本格的に訪れた。
毎日使用人が手入れしてくれる庭には色とりどりの花が咲いて、帝都の町並みも赤みがかった白色の花びらの色に彩られている。
最近は以前のように気軽に外を出歩けなくなったけれどその分、マリカが市でおいしいお菓子を買ってきてくれたり、お義母様やお義姉様方がわざわざ屋敷まで来てくださって、「花園集会」を開いてくれたりした。
……家主であるジン様は、微妙な顔をなさっていたけれど。
そうして、ノックス王国の高峰の雪も溶け始めるのではないかという頃。
帝城にノックス王国の使者を名乗る者がやってきた、という知らせが入った。
ラストに向かって、因縁の対決(?)もします。
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