59 実験遠征へ
一年を通して比較的温暖なロウエン帝国とはいえ、冬を迎えるとさすがに気温も低くなる。
ノックスの方では雪が本格的に降り始め、退魔武器の輸入も完全に止まったという知らせが入った。これからは春になって雪が溶けるまで、ノックスとの交信もほぼ絶えてしまう。
……皇帝陛下は、この冬の間に退魔防具の製作について進めるように、と仰せになった。
交信が絶えている今だからこそ、ノックスなどからの横槍を入れられることなく開発に勤しみ、実験を行うこともできた。
実験とはもちろん、私たちが作った衣類を身につけた兵士たちが魔物退治に行って、退魔の力の効果を確かめるんだ。
冬になったからといって魔物の侵略の手が止まることはない。むしろ、寒さに強い種族は冬になって動きが活発になり、国内のあちこちに時空のひずみを生じさせて人間界にやって来るくらいだ。
ロウエン帝国でも毎年、魔物被害に関する報告が上がっている。
そして今回、退魔防具の強度を確かめるという目的も兼ねて、魔物の討伐部隊が組まれた。
帝都から離れて魔物退治をしていく部隊に、侍従兵隊長であるジン様や近衛兵のキオウ様などが加わることは滅多にない。
でも今回は……私が手ずから作った衣類と他の針子が作った衣類の強度を比較するという目的もあるので、特別にジン様が隊に組み込まれた。
「……すみません、ジン様まで遠征に行くことになって……」
「何を言っているんだ。君の実力を確かめる、またとない機会だ。それに俺が体を張って証明しに行けるんだから、光栄なことだよ」
旅支度をするジン様は実際そこまで焦った様子もなく、慣れた調子で小姓のダイタに指示を出している。
遠征といっても、今回はごく近隣までしか行かない。それは、私が作ったジン様のための退魔防具は威力こそ破格だけど、持続性に問題があるからだ。
ちょうど、帝都から東に半日ほど移動したあたりに時空のひずみができて魔物が出てきているという警備隊の報告が上がったから、その加勢に行くことになった。
私は今回、ジン様のためにハンカチを縫った。
……ハンカチといっても、白い布の周りをぐるっと縫って申し訳程度に刺繍を入れた程度のもので、製作者である私の感想としては、「ハンカチというよりむしろ小さい雑巾」だ。
でもジン様はそのぞうき――ハンカチをいたく喜んでくれて、今もダイタには触れさせずにご自分で荷袋に入れていた。
ちなみにユキアのシルエットを刺繍として入れたつもりだけど、マリカには「花」、執事には「なんだかどろどろしたもの」、ダイタには「剥いた後の柑橘類の皮」と言われた。
でもジン様だけは、一発でユキアを横から見た姿だと当ててくれた。
「今回の魔物には飛行系はいないそうだから、遠距離から弓矢で攻撃できる。戦闘方法も単純なものだから、心配しなくていいよ」
「……はい」
「顔が『はい』って感じじゃないんだけどね……それじゃあしばらく屋敷を離れることになるし、今日はいつも以上にくっついて寝る?」
……あ、ジン様の向こうでダイタが荷袋を引きずって部屋を出ていった。本当に、まだ幼いのに空気が読める子だ。
対するジン様はにこにこ笑顔で、腕を広げている。
私がその胸に飛びこむと、嬉しそうに笑う声が頭上から聞こえてきた。
……これまでは絶対に、寝台に入ってから「寝る」以外のことはしなかったけれど、最近はちょっとしたふれあいをするようになった。
ジン様の手が私の寝間着の裾から入ってきて、腰を撫でるとか。お返しに私もジン様の寝間着をたくし上げて、背中に触れるとか。
それでちょんっと触れるようなキスをして、くすぐり合いに発展したり、たまにはちょっと深めの甘いキスまで続いたり。
それで最後には抱きあっておやすみを言い、眠りに就く。
……うん、私たちが「教科書」にあるような展開になるまでは、もうちょっと掛かりそうだ。
でも、こうやっていちゃいちゃするのも楽しいし、十分心が満たされるから……今はこれくらいでいいかな、と思っている。
これからジン様は遠征に出掛けられる。その間は一人で寝ることになるし……寂しくなるだろう。
「そうですね。いっぱいぎゅってして、触ってくださいね」
「……んっ、ふ……」
ジン様が変な声を上げて、顔を手で覆った。最近はあまりしなくなったと思ったけれど、やっぱり照れたときにはこうやってしばらく悶えるみたい。
そうして十秒ほど待つと、ジン様は余裕のある笑みを浮かべて私を見てきた。
「まったく、俺の奥さんは……積極的すぎて俺を困らせるなんて、悪い子だね」
「耳が赤いですよ、ジン様」
「そ、それには触れないでほしかったかな……」
慌てたように両耳を手で隠すジン様が可愛くてつい笑ってしまうけど、ジン様に「可愛い」と言うと拗ねてしまうし、場合によっては「お仕置き」をされると実体験済みなので、口には出さない。
代わりにジン様の腰に抱きついて、シルゾンの滑らかな布地に頬を押し当てた。
「……あなたが遠征に行ってる間も、妻として神子として、頑張りますね」
「……うん。しばらく屋敷を空けるけれど、フェリスなら大丈夫だよね。よろしくね、俺の奥さん」
ジン様は体を震わせて笑うと、ぎゅっと私を抱きしめてくれた。
どうか、この温もりが失われることがありませんように。
私の作ったぞ――ハンカチが、ジン様を守ってくれますように。




