54 皇帝陛下への謁見
ロウエン帝国の皇帝の間は天井が低い分幅があって、いくつもの部屋をくっつけたような形になっている。
足元はきれいに磨かれた床なので拝謁者は手前で靴を脱いで、靴下だけの状態で謁見を願い出ることになっていた。
ジン様と並んでお辞儀をした私の前には、金色の玉座に腰を下ろした男性の姿が。
三十代後半くらいだろう彼は真っ黒な髭を長く伸ばしていて、ノックスの学者帽のような形の冠を被っている。着ているシルゾンはジン様のものとは比べものにならないほど豪奢で、金の布地にたくさんの宝石が縫いつけられていた。
ロウエン帝国の、皇帝陛下。
威厳たっぷりで厳めしい顔つきだけど、不思議とあまり怖いとは思わなかった。
「面を上げよ、ジン・ライカ、ヘリス・ライカ」
「ありがたき幸せ」
事前にマリカから教わっていたとおりの礼法で、ジン様と声と動きを揃える。
皇帝陛下は私たちを見て重々しく頷き、私の方に視線を向けた。
「官僚長のソンリンと神子長のヨノムより、話は聞いておる。……ヘリス・ライカは神子だが、裁縫に使用する針にのみ強力な退魔の力を注ぐことができる、とのことだったな」
「仰せの通りでございます」
震えそうになるけれど、必死に声を張り上げた。
ノックスではどちらかというと高貴な人の前では無言でいることが好まれたけれど、ロウエンではむしろ声を出してはきはきと喋った方が無礼にならないそうだ。
陛下は顎髭を撫でながら、言葉を続ける。
「……そも、退魔の力は武器にのみ注ぐことができ、退魔の力を防具には注げぬというのが定説である。だがその説は覆された。……いずれの他国でも、退魔の力を持つ防具を作る神子がいるという話は聞かぬ。これこそ前代未聞の発見と言えよう。……ヘリス・ライカよ」
「はい」
「昨日、ソンリンから話があったかもしれぬが……我としては是非とも、そなたの類い希なる力を我が国のために役立ててほしい」
来た、やっぱりこの話だ。
皇帝陛下自らが私をお呼びということだからスカウトしてくるんだろうとは、ジン様も予想していた。もちろん、どう答えるかについても話し合っている。
そうして、ジン様と一緒に出した結論は――
「お言葉、ありがたく存じます。……私としても、この力を世のために使いたく存じます。願わくば、夫の生まれ育った地であり私にとっての第二の故郷である、ロウエン帝国のために」
「そうか、それは助かる」
「しかし……僭越ながら申し上げます。私が最大限に能力を発揮できるのは、私が着用対象者のことを想って縫ったものでございます。そもそも私は大変……その、不器用でして。大量の衣類を作ることもできませんし、皆に披露できるような腕前でもございません」
「……」
「よって……私が心を込めて縫う衣類は、夫だけに捧げたいのです」
「っ……」
隣で、ジン様が顔を真っ赤にしている様が容易に想像できる。
皇帝陛下に質問されたらこう答えますよ、と事前に報告はしているのに、やっぱり照れているみたい……。
私の申し出に、皇帝陛下は鷹揚に頷いた。
「もちろん、そなたの意向に添おう。……もとより、神子の力は何者かに強制された状態だと真価を発揮できぬものだと聞いておる。であれば、ヘリス・ライカに衣類の作成を命じたといえ、ジン・ライカに捧げるものよりも上質なものができるべくもない。そなたが想いを込めて作ったものは、夫のみに捧げるとよかろう」
「陛下……ありがたく存じます」
「うむ。基本的には、そなたが退魔の力を込めた針で針子たちに衣類を縫わせて、それらを兵士たちの防具として魔物退治の際に着用させるとしよう。だが……時にはそなたにも裁縫を依頼するかもしれないが、それでもよいか?」
「はい、微力ではございましょうが、お力になれればと思っております」
「十分だ。……それに、そなたらが作った防具の効果が広まれば、他国との交易も円滑に進むことになるだろう。優秀な退魔武器を多く産出するノックスといえど、魔物の邪気を弾く防具は喉から手が出るほどほしがるだろうからな」
「……」
「陛下、そのことに関して発言よろしいでしょうか」
ジン様が発言の許可を願い出ると、陛下は頷いた。
ジン様は感謝の言葉を述べると一瞬だけ私と視線を合わせ、そして陛下に向き直った。
「妻も、ロウエンのみならず魔物の脅威に怯える世界中の人のために力を役立てたいと申しております。……しかし、それで妻が他国の権力者から狙われたりするようになってはなりません。私も夫として妻を守る所存ではございますが……どうか、希有な力を持つ妻が悪しき者に狙われることがなきよう、お願い申し上げます」
「……ジン、か。妃のはとこということで前々から目は付けていたが、妻のためとなるとここまで強い眼差しになるものなのだな」
陛下はぼそっと呟いた後、頷いた。
「無論、ヘリス・ライカのことは我が国が責任を持って警備しよう。我からの提案としては……退魔防具の存在を他国に知らしめて、いざとなれば流通もする予定ではあるがひとまず、ヘリス・ライカの名を出さぬようにするというのはどうであろうか」
つまり、他国に伝わるのは「ロウエン帝国の神子が、退魔効果のある防具を作っている」という情報だけだ。
一昨日の立食会でジン様が披露した以上、いつか私の名前はばれるだろう。
でも、たとえ問い合わせる者がいたとしても国や神子の社が頑として私の名を出さなければ、「そうかもしれないし、そうではないかもしれない」の憶測で終わる。
それに、たとえ漏れたとしても私は名門であるライカ家の嫁で、陛下の後援も受けられる。
ロウエンの皇帝陛下の庇護を蹴破り、皇妃様の実家でもあるライカ家に楯突き、ジン様と剣を交える覚悟のある人でないと無理だろう。
……これからは気軽に市場を歩いたりはできなくなるかもしれないけれど、仕方ない。
私が自分で、決めたことなんだから。
「陛下のご配慮に感謝いたします」
「……そなたも、先日市で夫のために声を張り上げ、民衆の説得を行ったということだが、そなたらは夫婦であってこそ、真の力を発揮できるのだろうな」
そうおっしゃる陛下の目は、笑っている。
……あ、ああ、そうだ。前にジン様が魔物を射落としたとき、私も陛下からお褒めの言葉をもらって、書状までいただいたんだ。
……あの書状、一度読んだ後は恐れ多すぎて触れなくて、マリカに頼んで大切に保管してもらっているんだ……。
……でも、陛下のおっしゃるとおりだ。
私はジン様がいてくださるから、強くなれる。
強くなろうと、志せるんだ。




