53 そうしたいと思ったから
――このままではいけない、と背中を冷たいものが走り、私は握られたままのジン様の手をぐいぐい引っ張った。
「おやめください、ジン様!」
「フェリス、止めないでくれ。……妻の持つ力が希有なものであることは、分かりました。……妻は努力家で、他人の役に立つことを喜びとしています。そんな妻のことを、俺は誇らしく思っていますが……妻の良心を刺激するような発言だけは、許せません」
「……他に類を見ぬ退魔の力を、己一人で独占するつもりですか?」
「違います。俺が大切なのは妻と、妻が縫ってくれた衣類です。……人並み外れた退魔の力が惜しい気持ちは、全くありません!」
ジン様の必死の訴えに、それまでおろおろしていた私は頬を叩かれた気持ちになり――そしてだんだん、胸の奥が温かいもので満たされていった。
ジン様は私の持つ退魔の力ではなくて、「フェリス」を見てくれている。
私の針に、そして私が縫ったものに強力な退魔の力が宿されると分かった以上、「フェリス」と「退魔の力」を切り離して考えることはできない。
それでも……ジン様は、私を、私の自由を、私の意志を、守ろうとしてくれている。
武官が文官に対して声を荒らげるなんて、とんでもないことだろうけれど……全ては、私のために。
「ジン様……いいのです。どうか、お気持ちをお鎮めください」
「だめだ。君は優しいから、すぐにこういう話に乗って……」
「乗りませんよ」
私の言葉に、ジン様のみならずソンリン様たちもぽかんとしたようだ。
ただ一人、これまでのやり取りの間も動じなかったヨノム導師様だけ、穏やかな目で私を見ている。
「もちろん私は、私を受け入れてくれたロウエンのためになることはしたいですし、お人好しの自覚もあります。でも、私はその前にジン様の妻ですからね。悩みがあればあなたに相談するんだって決めているのです」
「……」
「それに、ロウエンのやり方は私もなんとなく知っています。……社で働く同僚たちは皆、生き生きとしていますし、強制労働のような形で連れてこられた人は一人もいません。そんなロウエンのことを信じていますし……いざとなったら『嫌です』と言います」
「い、言うの?」
「……まあ、かなりの勇気と捨て身の覚悟は必要でしょうが……どうしてもという時には嫌だと言って、神子も辞めます。あなたと一緒にいられれば、それでいいので」
「……っ」
じわじわとジン様の頬が赤く染まっていって、とうとう顔を伏せてしまった。
導師様はそんな私たちを微笑ましく見守っていたけれど、やがて首を捻って後ろを見た。
「ソンリン殿。どうやら、あなた方の負けのようですよ」
「……ええ、そうですね」
なぜか顔が赤いソンリン様たちもやれやれと言わんばかりに肩をすくめ、そして私たちに向かって深く頭を下げてきた。
「……無礼な発言をしましたこと、お詫びします。ライカ殿も、挑発するような発言をして申し訳ありませんでした」
「……え?」
「……本当に皆、お人が悪い。俺たちを試しましたね?」
成り行きがよく分からない私だけど、ジン様はぶすっとした様子で腕を組み、ソンリン様たちを睨んでいる。
「あなたのことだから、本心ではないだろうとは思っていましたが……いくら俺やフェリスの心の内を読むためとはいえ、あなたは迫力があるのですから、手加減してください。さすがに俺も背筋が冷えました」
「申し訳ありませんね。こういう性分なので」
ソンリン様はジン様にはにやりと笑ってみせ、私を見るともう一度頭を下げた。
「ヘリス様方のお気持ちを読み取るべく挑発したのは、事実です。……それでも、あなた方の偽りのない考えが知りたかったのです」
「……そのためにジン様を挑発なさったのですね」
「申し訳ありません。今後、あなたがより強大な権力に目を付けられた際にどうなさるのか、そしてそんなあなた方を守るべく我々がどのように動くべきなのか、早めに把握すべきだということになりまして」
「……ロウエン帝国は決して、神子たちに無理を強いてはならない」
ソンリン様に続いて歌うように言ったのは、導師様だ。
「たとえノックスの守護神官をも上回るような力を持つ者が現れたとしても、その力はその者だけに許された才能です。力を役立てるか役立てないか……ひいては『どの国に対して』その力を捧げるかは全て、その者の判断に委ねます」
「導師様……」
「もちろん私としても、ヘリスがロウエンのために協力してくれたら嬉しく思います」
導師様はそう言うと、なおも少しピリピリしているジン様を見て小さく笑った。
「……しかし私も、侍従兵隊長の剣の錆になることはご遠慮願いたいですし……何より、ヘリスに辛い思いをさせたくありません。もしヘリスが生まれ故郷であるノックスのために力を使いたいと言うようであれば、名残惜しくはありますが快く送り出しましょう」
「……」
ヨノム導師様やソンリン様たちは、静かな目で私を見ている。
隣を見ると、ジン様はまだ複雑そうな目をしているけれど、私を見ると微笑んでくれた。
私は……私は、何をしたいのだろうか。
この力を、誰のために、どのように使いたいのか。
『あなたならきっと、幸せになれるから……』
母も、そう言っていた。
私は、幸せになりたい。……誰かに強制されたのではない、私が選んだ道を歩きたい。
――だから、私は。
「……まだ今すぐには、決められそうにないです」
「それもそうでしょうね」
「でも、もし私に類い希なる力があるのなら……どのようなものなのかについては知りたいです。だからまずは、私の力について調べてくれませんか」
「フェリス……君はそれで、いいの?」
「はい。私が、そうしたいと思ったんです」
ジン様の顔を見上げて、そっと服に触れる。人前だけど、これくらいならきっと許していただけるはずだ。
「そうして自分の力を知った上で、この力をどう使うかを決めたいのです。……ジン様も、私が悩んだときには相談に乗ってくれますよね?」
「当たり前だ! ……あ、すみません、大声を――」
「いえいえ、我々のことならお気になさらず」
「そうそう、あの侍従兵隊長が奥方の前ではでろでろに溶ける姿なんて、そうそうお目に掛かれませんからね。じっくりどうぞ」
……導師様はともかく、ソンリン様は絶対に楽しんでいるな。
ジン様もソンリン様には険悪な眼差しを向けて、咳払いをした。
「……俺はいつでも、君の味方だ。君が何かをしたいというのなら支えるし、悩みがあるなら相談に乗る。……もちろん、内容によっては俺の方から待ったを掛けることもあると思うけれど、なるべく君の意向に添えるようにしたい。……その気持ちはずっと変わらないよ」
「はい、そう言っていただけるだけで十分です。……ありがとうございます、ジン様」
「当然だよ。……君のためだからね」
最後の一言だけは、周りの人には聞こえないようにこっそりと耳打ちで伝えてくれた。
こそばゆさに少し身をよじると、ソンリン様の後ろにいる他の官僚たちがげほごほ噎せる音が聞こえてきた。……ちょっと、接触が多すぎたかな?
「……そういうことでしたら我々の方で、準備を進めましょう」
この空気に一切動じることなく、ヨノム様がマイペースに言った。
「現在のところ、ライカ様の帯について皇帝陛下には、『調査中』としか申していませんが、なんといっても帝城で開催された立食会の途中に問題が発生したわけですからね。ヘリスにも協力してもらって調査をした上で、陛下にもご報告するつもりです」
「あ……それもそうですよね。お願いします」
「こちらこそ。……ライカ様も、そちらでよろしいでしょうか?」
「……はい。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
落ち着いたらしいジン様が頭を下げたので、私もお辞儀をした。
その後、私は丸一日使って調査を受けた。
といっても痛いことや怖いことは一切なくて、まずは私が針以外にも退魔の力を注げるのかという確認から始まった。
その後、「フェリスが退魔の力を込めた針は、どこまでの効果を及ぼすか」という実験をするべく、針子たちを呼んで実験を行った。
諸々の検査の結果――まず、私が最大限に力を注げるのは縫い針と刺繍針だけで、柄が長くて先端が尖っていない編み針はだめで、ナイフや包丁となると効果がほとんどないことも分かった。
やっぱり私の適合武器は針で、ついでに先端が尖っていて細い形状である槍と矢ぐらいだそうだ。
それから、私が退魔の力を……無意識とはいえ注いでいたということだけれど、その針を誰が使っても退魔の効果があるのかという実験の結果だけど、なかなかおもしろい報告書ができた。
色々試した結果、あの青緑色の帯ほど強力な力を持つものは作れなかった。
私も念のためにということでハンカチに刺繍をしたけれどヨノム導師様曰く、「強力な力は注がれていますが、帯ほどではありません」とのことだった。
針子たちにも私が魔力を込めた針を渡して、色々なものを縫ってもらった。
その中には神子もいたけれど、裁縫者や縫うものの種類による違いはほとんどなくて、おしなべて「フェリスが手縫いしたものよりもかなり効果が弱い」ということだった。
つまり……私が最大限に能力を発揮できるのは、一針一針丁寧に心を込めて縫ったものだけで、私が特に何も思わず義務感だけで縫ったものは、効果が薄れる。
そして、私以外の人が縫ったものは圧倒的に効果が落ちる――ということだ。
……私の本当の能力は、ジン様専用、ってことなのかな。
自分の気持ちが丸見えみたいでちょっと照れるけれど、ジン様は「こういうのってなんだか嬉しいね」って照れながらも笑ってくれたから、私も悪い気はしなかった。
色々な検査を終えてジン様と一緒に帰宅して、ゆっくり休んだ翌日。
私は、皇帝陛下に呼ばれて帝城に再び向かった。




