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50 予感

 翌日は私も仕事がないので、屋敷で本を読んだりして過ごすことにした。


 ノックスの神殿で神官として働いている頃は、読む本もある程度制限されていた。

 でもロウエンの人間になった今はそんな制限はないし、むしろ自由に読書をする機会に恵まれなかった私のために、マリカが色々な本を取り寄せてくれた。


 マリカは普段はクールな感じだけど、恋愛話が大好きらしい。だから私が、「ロウエンの恋愛小説が読みたい」と言うと目を輝かせて、おすすめの小説を集めてくれたんだ。


「奥様は純愛ものやどろどろしない身分差ものがお好きだということで、お気に召していただけそうなものを取り寄せました!」


 えっへん、と胸を張って言うマリカの背後には、うずたかく積まれた小説の山が。


 ノックスの本は表紙が重厚なので、おしなべて大判で重量もそれなりにあった。

 でもロウエンの本は表紙の紙も薄くて、かなり軽い。そんな本がみっちりと積まれている様は、なかなか壮観だ。


「す、すごい……これ全部、読んでいいの?」

「奥様のためのものですから! 先にわたくしの方で、大体の傾向ごとに分けておきました。こちらからあちらに向かうにつれて、糖度が高くなります。一番向こうに積んだ三冊については、これから旦那様と愛を深めていく奥様にとっての教科書にもなるかと」

「教科書……」


 なんとなく興味を惹かれたので、まずその中から一冊を取ってもらった。

 立派な表紙イラストと飾り文字のタイトルが目を引くノックスの本と違ってロウエンの本は表紙もシンプルで、タイトルと作者名がさらっと書かれているだけだ。

 このタイトルは……『湖畔の恋人たち』ね。


 それをぱらぱらと見てみたけれど……ああ、うん……なるほど……これは確かに、なかなか艶っぽいシーンが多い。


「ここまでの山の本は主人公と想う男性が結ばれるまでのお話がほとんどですが、そちらのものは結ばれた後……結婚後の夫婦の生活についても触れております。ロウエンで結婚を間近に控えた女性のための指導書としても、人気があるのですよ」

「な、なるほどね……」


 マリカの前で熟読するのは、ちょっとはばかられるけれど……確かに、いずれジン様とただ一緒に寝るだけではなくなったときのために、予習はしておくべきね。


 神殿では、結婚を機に神官を辞める同僚もそれなりにいた。それに女所帯ということもあり、そのあたりの教育はわりとしっかり施されていた。

 私も神官になるまでは、夫婦が祈りを込めて育てた果実を妻が食べることでお腹に赤ちゃんができるって信じていたからね。


 ……マリカが期待の目でこっちを見てくる。

 うん、この本は一人でゆっくり読むことにして、まずは純愛ものや爽やかな幼なじみもの、身分差を越えて結ばれる王道物語とかから読むことにしよう。


 ――そうして私は午前中、日当たりのいい縁側に椅子を持っていってくつろいだ姿勢で本を読んでいたのだけれど……昼前に、ジン様の小姓だけが帰ってきた。


「ただいま戻りました、奥様」

「ええ、おかえりなさい。……ジン様はまだお城にいらっしゃるの?」


 縁側に来た小姓に、椅子から身を起こした私は尋ねた。もうジン様の分の昼食も作り始めていて、後はお戻りになるだけなのだけれど。


 昨夜ジン様が連れて行った小姓は、丸顔でいつも頬が赤いところが可愛らしい男の子だけど、今は少し顔色が悪い。

 明らかに疲れている様子だから、休ませた方がよさそうだ。


「疲れた顔をしているわ。ほら、あっちで休みなさい……」

「あ、ありがとうございます。しかし先に、奥様にお伝えすることがございます」


 彼はそう言うとシルゾンの合わせ目に手を入れて、そこから書状を取り出した。


 すぐにマリカが受け取って中をあらためてから渡してくれるけれど……普段は眉一つ動かさず内容に目を通してくれるマリカの目が見開かれたことに、気づいた。


「マリカ……?」

「……大丈夫です。少し意外な内容ではありますが、旦那様は帝城で無事に過ごされていますよ」


 ひとまず私が一番心配していたことだけは教えてもらえたので、ほっとした。

 ジン様の身に何かあったわけじゃないのなら、その他のほとんどのことはどんっと受け止められる。


 そうしてマリカから手紙を受け取った。

 これは……ジン様の字だ。急いでいたのか少し走り書きっぽくなっているけれど、そこまで字が乱れているわけではない。


「……ジン様が、帝城に来るようにとおっしゃっているわね」

「ええ。……万が一にも道中にダイタが襲撃されて書状を奪われることがあってはならないからか、子細は記されておりませんが……緊急事態であることは間違いないですね」


 ダイタとは、小姓の名前だ。

 マリカの言葉に、彼も頷いた。


「僕が知る限り、どうやら昨夜行われた式典で、旦那様が何かに巻き込まれ……あ、いえ、すみません、悪い意味じゃないんです! でもとにかく、旦那様は偉い方々と真剣な表情でお話をなさっていました。でも旦那様も、どうしてこうなったのかよく分かってらっしゃらない様子で……ひとまず奥様をお呼びするように、と命じられました」

「そうなのね……ありがとう、ダイタ。よく急いで戻ってくれました」


 疲労困憊らしいダイタを部屋に下がらせて、彼のもとに甘い果実水を持っていくように頼んでから、私はマリカと一緒に仕度を始めた。


 これから私が行くのは、帝城だ。手紙には、「ひとまず帝城の客間の一つに来てほしい」とのことだったから、まさかいきなり皇族の方に会う、なんてことはないはず。

 それにそこに行けばジン様がいらっしゃるのだから、状況を聞けばいい。


 マリカも真剣な態度で、私の着付けをしてくれた。

 私が持っている衣類の中では最高級に値するだろう薄紅色のシエゾンを纏って、ふわふわの毛皮で縁取られた上着を羽織る。髪も後頭部で一房だけまとめて、螺鈿細工の櫛で結び目を隠した。


 化粧も、墨で目尻にすっと長い線を引いたり頬の高い位置で紅を叩いたりと、ロウエン女性が公の場で求められる形に仕上げてもらった。ノックス風の化粧に慣れた私からするとちょっときつめに感じるけれど、圧を感じさせるくらいでいいらしい。


 屋敷のことは執事に任せて、マリカを連れて表に出た。既に馬車も準備されていたのでそれに乗り込み、帝城に向けて馬を走らせる。


 ……それにしても、ジン様の身に一体何が起きたんだろう。


 ジン様が不敬を働いて拘束されている、ということではないようだけど……それに、どうして私まで呼ばれるんだろう。そもそも昨日の式典にも、私は呼ばれていないのに。

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