49 フェリスからの贈り物
ジン様が、帝城で開催される式典に参加される。
これは数代前の皇帝が、辺境の地で暴れ回る魔物をたった一人で打ち倒したことを記念した式典らしくて、ジン様は侍従兵隊長として出席されるそうだ。
そして……私はこの日のために、帯を仕上げた。
最初にお義姉様にも言われていたけれど、帯用の布はシルゾン用のものよりも生地が分厚くて、針を通すのにも力が要った。
でも縫い方自体はシンプルだし、お義姉様が提案してくださった刺繍のデザインも、マリカの助言を受けながら刺した結果、「……まあ、いいと思います」と言ってもらえるくらいの出来に仕上がった。
「……糸の解れとかがないだけで、私としてはもう十分すぎるくらいだわ」
「ええ、とてもよく頑張られましたね、奥様。想いのこもった、とても素敵な帯ですよ」
マリカもそう言ってくれる帯を、私はテーブルに広げた。
ロウエン帝国の男性が正装として着用する帯は、腰のところでベルトのバックルのようなもので留める仕組みになっている。
当然刺繍をしても隠れてしまう部分があるので、刺繍する時にはこれを着用した際、どこが見えてどこが隠れるのかまで計算しなければならない。
帯の色は、深い青緑色。
マリカが言うには、東側一帯が海に面しているロウエン帝国で観光地として人気の砂浜では、凪いだ海がこんなに鮮やかな色になるそうだ。ノックスの海は灰色でおどろおどろしい雰囲気だから、穏やかな海というのがまず想像できない。
そこに、茶色を基調とした刺繍糸で模様を施す。マリカはもっと明るい色の刺繍糸を勧めてくれたけれど、これくらい地味で落ち着いた色の方がいいと思った。
お義姉様たちが考えてくださったデザインを一生懸命真似して、角張った渦巻き模様や雲のような形を刺繍した。
これはロウエン伝統の模様の一つで、「勝利雲」と呼ばれるものらしい。戦場でこの形の雲が見えたときにはロウエンに勝利をもたらすとされていることから、武人の衣装に好んで施される。侍従兵隊長であるジン様にぴったりの模様だ。
もう一度、糸くずなどが付いていないのを確認して、それをきれいに畳んで部屋を出た。
今、ジン様は式典参加に向けての身仕度をしている。そこには既に正装一式はあるけれど、帯だけは抜かれている。
マリカの後についてジン様の私室に向かいながら……胸が、すごくどきどきする。
ジン様は優しいから、私のつたない刺繍に文句を言ったりはしないはず。それでも、これを身につけて人前に出るのだから、私がずっと前に贈ったハンカチとは訳が違う。
ジン様に喜んでもらえますように。
そして……式典会場でも、ジン様の品位を損なうことがありませんように。
そんな願いを抱えながら、私はマリカが開けたドアからジン様の部屋に足を踏み入れた。
「失礼します……」
「ああ、フェリスだね。ごめん、着替え中で。……帯はどこだ? 衣装箱の中にないようだけど……」
最初の言葉は私に、後半は着替えを手伝う小姓に向けて発されていたけれど、ついどきっとしてしまった。
姿見の前に立つジン様は既に、下衣と深い青色の上着を着ている。
ロウエンの正装シルゾンは光沢のある布地で作られていて、胸元には階級や身分を示す勲章を着ける。この辺は、ノックスと似たようなものだ。
傍らのテーブルには儀典用の飾り剣や冬用の外套もあって、ジン様に身につけられるのを今か今かと待っているみたいだ。
小姓は私を見ると、微笑んだ。そして私の方を手で示す。
「帯ならば、奥様がお持ちくださいましたよ」
「フェリスが? ……え、ちょっと、待って。もしかして、それ……」
「……はい。ジン様のために、作りました」
どくん、どくん、という血の流れを、全身で感じる。
マリカに背中を押されて進み出て、折り畳んだ青緑色の帯を差し出した。
マリカの助言を受けて、勝利雲が一番きれいに見える折り方をしているので、ジン様にも模様がはっきり分かるはずだ。
ジン様はぽかんとして、私を見ている。「まさか」「フェリスが」という切れ切れの声が微かに聞こえるけれど、はっきりとしたフレーズにはならない。
なんとなく気まずくなってきて、私は早口になりながら言う。
「ロウエンでは現在でも、夫の身につけるものを妻が手縫いするという風習があると聞いて……帯なら何とかなるだろうと思って、作りました。あの、私やっぱり不器用で、きれいな出来じゃないですけれど……縫製だけはしっかりしているはずなので、簡単には解れないはずです」
「フェリス……」
「……」
「なんて……なんて素晴らしい帯なんだ……!」
感極まったようなジン様の声に続き、手元が軽くなる。顔を上げると、目を輝かせたジン様が帯を広げてその模様に見入っていた。
ジン様が……喜んでいる。
喜んでくださっている……!
「この色も模様も、今日の俺の装束にぴったりじゃないか! ああ、これは勝利雲だね。魔物討伐の大英雄を称える式典で着用するのに、これほどふさわしいものはないよ!」
「……あ、あの、気に入っていただけたのなら……嬉しいです」
「もちろんだよ! ありがとう……本当にありがとう、フェリス! ああ、俺は本当に、幸せ者だ!」
ジン様は声を震わせながら言うと、急ぎ帯を腰に回した。すぐに小姓も手伝って、お義姉様が想定したとおりの位置でバックルが留められた。
濃い青色のシルゾンに、青緑色の帯。
下衣はすっきりとした象牙色で、飾り剣を身につけるとそのきらめきが増したかのように思われる。
「……素敵です、ジン様」
「ありがとう。……間違いなく、君のおかげだ」
ジン様はそう言うと、私との距離を詰めてきた。
目線の高さに、ジン様の喉元がある。
顔を上げると、嬉しそうに目を細めて頬をほんのり赤らめたジン様の顔が。
「一生懸命、俺のために作ってくれたんだね。……本当に嬉しいよ。俺、今夜この帯を皆に自慢しまくるからね」
「そ、そこまでしなくていいです! 大切な式典なんですから!」
「ん? 式典の後には立食会があるし、そこで妻から手縫いの衣装を贈られた者は自慢するのがならわしなんだよ?」
「え、ええと……そうですね。でも、ちょっと恥ずかしいような……」
「だめかな?」
……そんな、しゅんとうなだれた子犬のように寂しそうに言わないでほしい。
「……だめ、じゃないです。でも、その、ほどほどにお願いします……」
「うん、それもそうだね。可愛い奥さんが一生懸命作ってくれた帯が目立ちすぎて、君によからぬ想いを抱く輩が出没したら嫌だしね」
そんな物好きな輩は決して出没しないと思うけれど、もう突っ込まないでおいた。
ジン様はそのまま私の背中に腕を回して、ぎゅっと優しく抱きしめてくれた。
きれいに洗濯された衣類の香りに、帯の布地の独特の香りが混じり……それらも全て、ジン様の匂いに包まれてしまう。
……私は、ジン様の匂いが好きだ。
花やお菓子、紅茶やパンの焼ける匂いも好きだけど……そういうのとはちょっと違う、でもとっても安心できる匂いが、大好き。
私もジン様の体に腕を回して、背中にぎゅっとしがみついた。
「……喜んでいただけて、本当によかったです」
「俺も、君からこんなに素敵な贈り物をもらえて、嬉しくてたまらないよ。……離れがたいけれど、君の帯の魅力を皆に伝えるためにも、そろそろ行かないとね」
「お帰りは……明日の昼になるのでしたっけ?」
「うん。立食会がお開きになるのは毎年夜更けだし、俺も詰め所にある仮眠室に泊まっていく。明日は……フェリスも仕事がお休みだったよね?」
「はい。ですので、昼食をご一緒できるのを楽しみにしています」
「うん、俺も楽しみにしているよ」
もう一度ぎゅっと抱きあってから、抱擁を解く。
名残惜しいけれど、ここでぐずぐずと引き留めるわけにはいかない。ジン様はこれから、仕事として帝城に行くのだから。
門のところまで見送るつもりだったけれど、玄関まででいいと言われた。
「夜は冷えるからね。フェリスが風邪を引いたらいけないから」
ジン様はそう言って、微笑んだ。
「それじゃあフェリス、いってきます。温かくして寝るんだよ」
「はい、いってらっしゃいませ。……夢であなたに会えることを願っています」
「……。……っ……本当に、うちの奥さんは……」
それまでは威厳と余裕に満ちた笑顔だったのに、ジン様はいきなり顔をしかめて、胸を押さえ始めた。
一瞬、心臓の発作でも起こしたのかと思ったけれど、隣にいた執事が真顔で背中をパンッと叩いたら復活したから……大丈夫みたいだ。
ジン様が出発して、私は大きく息をついた。
「……本当に、喜んでいただけてよかった」
「そうですね。……まだ本日の便に間に合うでしょうし、せっかくですから旦那様に無事帯をお渡しして喜んでいただけたことだけでも、本邸の方にお伝えしませんか?」
「それもそうね。すぐに手紙を書くわ」
マリカの言うとおり、こうしてジン様に喜んでもらえるような帯を作れたのも全ては、お義母様やお義姉様たちのおかげだ。
すぐに、報告とお礼の言葉をしたためないとね。




