47 ジン・ライカの悩みごと
ジンSIDEです。
ジン・ライカはロウエン帝国の侍従兵隊長だ。
艶のある濃い煉瓦色の髪を後頭部で結わえており、睫毛に縁取られた一重の目は灰色。
その流し目には得も言われぬ色気があり、彼に不意打ちで見つめられた女性たちは、心のときめきを抑えることができない。
さらに彼の実家であるライカ家は帝国の名門貴族で、現皇妃は彼の父方のはとこにあたる。
元々ライカ家は馬術と弓術に優れた者が多く、ジンも幼少期から兄と共に稽古に励み、今ではロウエンでも屈指の射手として名を轟かせている。
ジンは次男で兄には既に跡継ぎが生まれているので、彼が家督を継ぐことはない。
そして何でもそつなくできる彼はあまり他者への関心がなく、これまで浮いた話の一つもなかった――のだが。
「おー、おっはよー。元ロウエン随一の色男、今ではロウエン随一の色ボケ男の参上であるぞー。皆の者、ひれ伏せー」
「喧嘩を売っているのか」
ジンが更衣の間に入るなり先客が変な声を上げたので、持っていた荷袋を投げつけた。
へらへらしているとはいえ、相手もロウエンの勇将の一人。
荷袋はあっさり片手で受け止められ、けたけた笑いながら投げ返された。
ライカ家の御曹司であるジンと対等に接することのできる数少ない人物である、ライナン・キオウはにやにや笑いながら、仏頂面な友人の背中を叩いた。
「いいじゃないか。今ここにいるのは俺たちだけだし、恥ずかしいことでもないだろう?」
「おまえがいる時点で、既にだめだろう」
おおよそ妻の前では見せないだろうじとっとした目でライナンを睨み、ジンは自分の衣装棚の扉を開けて、そこに収めている防具を長机の上に広げた。
ジンやライナンのような上級兵の防具は毎日、見習い兵士たちが丁寧に磨いて衣装棚に戻している。
いわゆる雑用だが、ここで真面目にこつこつと働いてジンたちに目を掛けてもらえたら、昇格の道が見えてくる。
革鎧や脛当てなどを目の高さに持ち上げて確認したが、どれもきれいに磨かれている。
現在ジンについている見習いは、仕事ぶりが真面目だ。いずれ、推薦状を書いてやりたいところだ。
既に鎧を装着済みのライナンは始業までの間にジンを弄ることにしたのか、長椅子に座って年下の友人に声を掛けた。
「……んで? 嫁さんとはうまくいっているのか? んんん?」
「下世話な勘ぐりをするな」
「そうは言ってもよー、気になるもんは気になるし。それに俺、個人的におまえの嫁さん――ヘリス様のことが気になっているからさ」
「死にたいのか?」
「待った待った! そういう意味じゃないから!」
ジンはそれまではこちらに背を向けて籠手を装着していたはずなのに、いつの間にか自分の喉元に剣を突きつけていた。
ライナンは慌てて、両腕を水平に伸ばすロウエン風の降参の姿勢を見せる。
「ほら、俺っておまえたちの間を取り持ったようなもんじゃん? だからおまえたちがうまくやっていけているのか、最後まで見届けたいなぁって思って」
「ただ単に首を突っ込みたいだけだろう」
「あ、ばれちゃった?」
てへ、と舌を出して笑うが、ちっとも可愛くないからやめてほしい、とジンは心から願った。
だいたいこのような動作は、ライナンのようにでかくていかつい男には似合わない。
フェリスがしたなら似合うどころかとても可愛らしくて、大概のことなら許してしまいそうだが――
「……」
「……あ、おまえ今、嫁さんのこと考えてただろう?」
「うるさい」
「そうつんつんするなって! ほら、始業まで時間があるし、恋の悩みがあるならこのライナンお兄さんに言ってみなって!」
「おまえに相談することはない。……ない、が」
「ん?」
ジンが言いよどんだところにライナンは鋭く突っ込み、だがすぐに思い直したように表情を改めると長椅子から下りた。
「ひょっとして何か、悩みでもあるのか? 聞くだけなら聞くし……口外もしないと約束する」
「……そうか。じゃあ少し、聞いてくれないか」
「おう、どんとこい!」
こういう頼れるお兄さんの顔を見せるし、そういう時のライナンは本当に頼りになる。
だからジンも彼を無下にできないし、なんだかんだ言って信頼しているのだ。
ジンは防具を身につける手は止めることなく、ぽつぽつと語り始めた。
「フェリスとは……うまくやっていけていると思う。日々の会話は欠かさないし、お互いの思っていることはきちんと言葉にして伝え合うようにしている」
「うんうん、そりゃいいことだ」
「……だが、フェリスはノックスで生まれ育っていて、価値観もあの国の人間らしい。ノックスの人間は、身体接触にそれほど忌避感がないようだ」
「……ほう」
ライナンも大体の話の流れは分かってきたが、あえて先取りせずにあくまでもジンの言葉を待つ姿勢でいた。
「俺も、できるならフェリスの考えに沿いたいと思っている。ただでさえ、ロウエンのしきたりや風土に無理に合わせて生活させているんだ。だから、夫婦として過ごす時間くらいは、フェリスのやりたいようにさせたいと思っている……んだが……」
「んだが?」
「……妻が積極的すぎて……俺は、辛い……」
胸を押さえて俯いてしまったジンの言い分は、こうである。
ジンは屋外ならともかく、部外者のいない屋敷の中、それも使用人すら追い出した二人きりの空間でなら、フェリスのお願いを何でも叶えて身体的接触も一緒に楽しもうと考えている。
フェリスもジンのロウエン人としての考えを理解してくれたようで、きちんと時と場合と場所を考えてふれあいを求めてくれる。
それはいいのだが、二人きりになった時のフェリスの甘えっぷりに、ジンは驚いていた。
いつもマリカたちと一緒にいるときは淑やかで大人しい雰囲気のあるフェリスが、まるで猫の子のように擦り寄ってくる。
とろけるような瞳で迫ってきて、もっと触れてほしい、もっと近くに来てほしい、と言っているかのように甘えてくる。
しかも、彼女の吐く言葉はいちいち爆発力がすごい。
先ほど神子の社で別れる際も、ジンは人前でだらしなくにやけたり赤面したりしないようにと堪えるので精いっぱいだった。
求められるのは嬉しいし、ジンの方も溢れる愛情を形にしてお返ししたいと思っている。
だが――最初の頃はどちらかというとジンの方がフェリスを甘やかし翻弄できていたはずなのに、今では積極的なノックス人としての素質に目覚めたフェリスによって、すっかり翻弄されてしまっているのだ。
フェリスに「可愛い」と言うのは平気どころかどんどん妻を褒めたいくらいなのに、いざフェリスの方から「あなたは素敵です」と言われると、嬉しさやら照れやら驚きやらのあまり、頭の中が真っ白になってしまうのだ。
……ということを聞かされたライナンは、色々な感情を顔に出しそうになったのを堪え、「頼れるライナンお兄さん」の仮面を被ったままでしっかり頷いた。
「なるほど。つまりおまえは、嫁さんに迫られて嬉しすぎて頭がぱーんってなっちまいそうなんだな」
「そこまでじゃない! ……そこまでじゃないが、このままでは俺の男として、夫としての面子に関わりそうなんだ」
「いや、別にいいんじゃねぇの? ヘリス様だって人前ではべたべたしないように気を付けてらっしゃるようだし、おまえも嫌じゃねぇんだろ?」
「嫌では……ない。ちっとも嫌ではなくてむしろ嬉しいくらいだが、かといって俺がノックスの男のように振る舞える自信がない……」
マリカに聞いたのだが、どうやらノックスの男は女性に対して日頃から、甘くて胸のときめくような台詞を平気で吐くそうなのだ。
一度、マリカが取り寄せてくれたノックスの恋愛小説に目を通してみたのだが……羞恥のあまり、本を壁に投げつけてしまうかと思った。
同じことを妻にしろ、と言われればジンは頭を抱えてしまうだろう。
「おまえって基本的に秀才肌だけど、嫁さんには弱いみたいだもんなぁ」
ライナンは小さく笑って、友人の肩をとんとんと叩いた。
「別にヘリス様だって、おまえに過分なことを求めちゃいないだろう。むしろおまえがノックスの男の真似をしたって見苦しいだけだ。ヘリス様は、今のおまえのことが大好きなんだろうから、ロウエン男子らしいジンでいろよ」
「……それでいいのだろうか」
「俺はヘリス様じゃねぇから絶対にとは言えないけど、ヘリス様がおまえを見る目を見りゃあ分かるって。……俺だって、変に背伸びしたり誰かの真似だけをしたりするジンは見たくねぇよ。おまえはおまえらしい方法でヘリス様の愛に応えるのが、一番いいに決まってるさ」
「……俺らしい方法で」
ジンはゆっくり顔を上げると、いつの間にか途中で止めていた革鎧を装着する手を再開させながら、ぽつんと言った。
「……分かった。ありがとう、ライナン」
「おう! 礼なら、俺にもヘリス様みたいにぐいぐい迫ってくれる美女を紹介してくれよ! 案外俺も、ノックスのご婦人にならもてるかもしれないからな!」
「……俺にそんな伝手はないし、あったとしてもおまえには紹介しない」
「えーん、ひどーい! ジン君がいじめるー!」
「やめろ気持ち悪い……」
そう言いながらも、ジンの口元には苦笑が浮かんでいる。
そして彼が革鎧を身につけ終えたところで、始業十分前の鐘の音が鳴り響いた。
「よし、それじゃあ悩みも吐いたところで今日も張り切るぞ、ジン」
「ああ。……今日はおまえのところの部隊と合同訓練だったか。せいぜいうちの精鋭たちに泣かされないようにしろよ」
「おー、言ってろ! 俺が鍛えた可愛い部下たちが負けるわけねぇだろ!」
ジンとライナンは軽口をたたき合いながら、更衣の間を後にした。
ジンはしょうゆ~塩顔のイケメンで、ライナンはケチャップ~ソース顔のイケメンです。




