44 胸に降り積もる想いの名前②
ジン様ははーっと大きな息をついてから、表情を改めて私を見た。
「フェリス。俺は……君のことが、好きだ。大好きなんだ」
「……」
「今は、返事を急ぐつもりはない。君だって、いきなり愛だの恋だの言われても困るだろうし……」
「そんなことありません」
……そう、私は決めたんだ。
ジン様に言いたいこと、してほしいことを、ちゃんと口にするんだって。
この、胸に降り積もった感情を……言葉にしたい。
「私は……私も、あなたのことが……す、好き、ですから……」
「……。…………」
「私のために色々言ってくれるし、格好いいし、泥まみれの姿も素敵だし……私も、あなたが好きなんです。だから、困ることなんてちっともありません」
「…………」
「……ジン様?」
ジン様が、返事をしない。
心配になって名前を呼ぶけれど、「無」の表情のままジン様は固まっている。
これは……どういう意味と捉えたらいいんだろう?
「ジン様。ジン様ー!」
「…………あっ。ごめん、ちょっと色々と頭の中で戦争が起きていた」
「……誰と誰が戦っていたのですか?」
「それは内緒。……君がそんなことを言ってくれるなんて思ってもいなくて、つい放心してしまったんだ。……あ、はは。情けないね、俺。嬉しさのあまり、固まってしまうなんて」
「そんなことないです」
自嘲の笑いを浮かべたジン様に、はっきりと言う。
「情けなくなんかないです。私の言葉であなたが喜んでくれたのなら……嬉しいです。もっともっと固まって、頭の中で大乱闘を起こしてください」
「え、ええっと……でもそれって、格好悪くない?」
「別によくないですか? むしろ、いつもクールな感じのジン様が慌てたりするの……可愛いって思っていましたし」
「かわ……俺が、可愛い? まさか、姉上じゃあるまいし、何を……」
「格好いいあなたも可愛いあなたも、私は好きですよ」
それこそ、いじいじする私もすぐに卑下する私をも受け入れ、支えてくれたあなたなんだから。
余裕の笑みも好きだけれど、驚いた顔、困った顔、慌てる顔も……どれもあなたが見せてくれる表情だから、愛おしい。
……もしかすると私も結構ジン様のことを言えなくて、夫に溺れてしまっているのかもしれないな。
私が断言すると、なぜかジン様は「うっ」と呻いて胸を押さえた。
「くっ……いつの間に君は、こんなに強くなったんだろう……」
「私は今でも非戦闘員です」
「そうじゃないよ。そうじゃないけど……うん、まあ、もう何でもいいや」
そんな投げやりでいいんだろうか……多分いいんだよね……?
胸の発作は収まったのか、ジン様は腕を下ろすと髪を掻き上げて、柔らかな微笑みを向けてくれた。
「……君もそう言ってくれて、とても嬉しいよ。つまり俺たち、両想いってことだね」
「そ、そうですね……りょう、りょう、おもい……ですね……」
「はは、さっきまでは流暢に喋って俺を圧倒させていたのに、真っ赤な顔でしどろもどろになって……可愛いね」
最後の一言は、それまでの口調とは全く違うとろりと甘い蜜のようで、思わず背中がぶるっと震えた。
寒気とか、悪寒とは違う。
嬉しくて、でも恥ずかしくて、どきどきしてくるようなこの震えは……。
「……あの、ジン様。私、とても嬉しいのですが……なにぶん恋愛事には不慣れで、いきなりあれこれというのは、ちょっとハードルが高くて……」
「恋愛初心者とか、大歓迎だよ。まあ俺も人のことは言えないし……これから、一緒にちょっとずつ進んでいこう」
そう言ってジン様は立ち上がると、私の隣にしゃがんだ。
そうして椅子の肘置きに乗せていた私の左手をそっと取って、指先に口づける。
ロウエンでは、あまりキスが普及していない。当然、「指先へのキスは尊敬」なんていう格言もロウエンにはないから……ノックス出身の私のために、してくれているんだ。
「俺を好きになってくれて、ありがとう。……これからもっともっと、俺のことを知ってほしい。格好いい俺ばかりじゃなくて、君に笑われるかもしれないけれど……それでも、君には格好悪い俺も見てほしいし、そんな俺のことも好きになってもらいたい」
「……はい。色々なあなたを見せてください。格好いいあなたも可愛いあなたも……たくさん知って、もっともっと好きになりたいです」
「そうしてくれると嬉しいな。……フェリス。顔を、上げて」
優しい口調で命じられて、素直に顔を上げる。
それまでは私の左手を持ち上げていたジン様の手が、私の頬と顎に添えられた。
灰色の目が、じっと私を見ている。
これまでに見たことのない、強い欲求と激しい感情が入り乱れているような灰色の湖面に、私の顔が映り……それもだんだんぼやけて、焦点が合わなくなる。
そっと、口づけられた。
神殿で回し読みしていた、至って健全な恋愛小説。
物語のラストは、主人公と恋人がキスをして結ばれたところで締めくくられていた。
素敵なお話だな、でも私にはこんな経験はできないだろうな、と思っていたシチュエーションが、今、再現されている。
それも、小説よりもずっとずっと素敵で、胸のときめくような形で。
ジン様の唇は薄くて、私のそれよりも少し冷たい。
軽く押しつけた後、唇の表面の感覚を楽しむようにすり、と触れて、離れていった。
マリカ曰く、「ロウエンでは夫婦や恋人同士でさえ、よほどの間柄でないと接吻はしません」ということだから……生粋のロウエン人であるジン様にとって、ノックスでは恋人や夫婦の間では当たり前のようにされる唇へのキスは、とっても勇気の要るものだっただろう。
案の定、顔が離れていった後、ジン様はぱっと顔を背けてしまった。下ろしたままの髪の隙間から見える頬が、真っ赤だ。
「ジン様……ありがとうございます」
「っ……ノックス人は、すごいな……こんなにも緊張するものを当たり前のようにするんだろう? 心臓が痛いくらいだし、顔がすっごく熱い……」
「そ、そうですね。でも……してくれて、ありがとうございます。嬉しいです」
「……うん。君が望むなら、緊張で心臓が張り裂けようと顔が熱くなりすぎて爆発しようと、何回でもしてあげるからね」
「さすがに、命の危険があることはやめてくださいね……」
冗談だとは分かりつつもそう突っ込むと、ジン様は体を震わせて笑い始めた。
釣られて私も、笑みがこぼれてきた。
……こうして、ずっと一緒にいたい。
笑って、真面目な話をして、どきどきしながらキスをして……こういう日を、ずっとジン様と一緒に過ごしたかった。
両想いおめでとう!




