43 胸に降り積もる想いの名前①
「嘘でしょう……」
「うわ俺、信頼されていないんだね……でも、本当だよ。君に下心があって、ロウエンの風習を知りながらわざと無知なふりをして俺に手巾を押しつけたのかも、と疑っていた。でも……一生懸命仕事をする君を見て、君を疑った自分を恥じた」
そうしてジン様が語ったことによると、ジン様は「ロウエン帝国の一般兵」と名乗って、私のことをそれとなく神官たちに尋ねていたそうだ。
神官たちも意地悪ではないから、正直に私の評価や人となりを教える。
そこでジン様が知ったのは、守護神官としての私は低ランクであること。一方で勤務態度は真面目で、退魔武器作成が苦手だけれど勉学は頑張るし、時間や約束なども守るのでそれなりに皆から信頼されていること。
……そして、実家である伯爵家では辛い思いをしているらしい、ということ。
情報を集めたジン様は、もう一度私の様子を見に作業部屋に来た。その時はもう既に終業時間になっているから、作業部屋にいるのは居残り組だけ。
「……薄暗い部屋で、君は大ぶりの剣に一生懸命集中していた。そして、やっと完成したらしい君はとても嬉しそうに微笑んで、剣を撫でていた。……その横顔を見てから、君にもらった手巾をじっくり見ていると……なんだか、不思議な気持ちになってきた」
「不思議な気持ち……?」
「知っているかもしれないけれど、俺ってたいていのことはそつなくできるんだ。馬術も剣術も弓術も得意だし、勉学も一通り身につけている。あと姉上たちのおもちゃになっていた時期があるからか、裁縫や料理、絵画や音楽もできる」
……な、なんとなくそんな感じはしていたけれど……私の予想以上に、ジン様は万能だったようだ。
あ、ということはやっぱり、私がハンカチに刺した刺繍がどへたくそだって、気づいているよね……?
私がおそるおそる見上げると、自慢話をしているはずなのにジン様はどこか冴えない笑みを浮かべていた。
「ただ、武術と馬の世話は好きだったけれど……他は正直、ちっとも気が乗らないんだ。別にやっていて楽しくはないけれど、やればできる。相手が指示したとおりのものを完成させられるけれど、作っているこっちは全然楽しくない。……自分でも、つまらない人間だと思っている。でも、前にも言ったように何にも執着しない方が楽だから、俺はこれでいいや、って思っていた」
でも、だからこそ、そんなジン様の目に映る私の姿は新鮮で、とても好意的に思われたのだという。
「君の刺繍は確かに、つたないものかもしれない。でも、一針一針頑張って作ったことがよく分かるし……守護神官としての能力は低めの君が、完成した剣にあんなに晴れ晴れとした表情で触れているのを見ると……君が羨ましいし、素敵な人だと思えたんだ」
「……」
「そう思うと次には、もっと欲求が生まれてきた。君を、側に置きたい。何事にも一生懸命な君が隣にいたら、俺の人生はもっと輝くかもしれない。つまらない、と思えたことにも楽しく取り組めるようになるかもしれない。……そう思えたんだ」
「だから、私に、プロポーズを……? でもそんなこと、今まで一度も……」
「うん。我ながら情けないよね。……君に言ったら幻滅されるかも、重い男だって引かれるかも、って思うと尻込みしてしまって、なかなか言えなかった。それに……君だって俺のことが好きで求婚したわけじゃないし、こんなことを言われたら、君を困らせるかもしれないと思って」
そう語るジン様の瞳に、わずかな怯えの色が見えた。
ジン様は、ずっと私のことを考えてくれていたんだ。
本当は好いてくれているけれど、私はそうじゃないかもしれないからということで、本当の気持ちを伏せて、隠して、今日までやってきた。
「でもね……君と結婚して一緒に暮らすうちに、どんどん俺は君に溺れていった。生育環境が理由だろうけれど、最初の頃の君はあまり笑ってくれなかった。遠慮がちな態度で、自分のしたいこともなかなか言わない。……ああ、責めるつもりはないよ。でもとにかく俺は君に、このロウエン帝国を第二の故郷と思ってほしかった。そうして君がだんだん笑うようになって、神子の仕事を始めたいとか言うようになって……すごく安心したし、いっそう君が愛おしくなってきた」
「……そ、それじゃあ、ジン様は……私のことが……」
「うん。……フェリスのことが、好きだよ」
……ひらり、と私の胸に舞い降りてきたそれは、ロウエン帝国に咲く花のように優しい色合いをしていて、私の心を染めてくれる。
「遠慮がちだと思っていたら、意外なところで強気になって。俯いていたと思ったら、きりっとして前を向いて。か弱いから俺が守ってあげなきゃと思っていたら、とんでもない勇気を見せてくれて。……そんな君のことが、好きなんだ」
ひらり、ひらり。
あなたの色の花びらが、私の心を染めて、埋め尽くして、包んでくれる。
あなたが向けてくれる愛情が、言葉が、眼差しが、私の胸を歓喜で満たしてくれる。
「ジン様……」
「はは、ごめん、困らせてしまったかな?」
「いいえ、いいえ、そんなこと……。……でも、ちょっと変な感じがするんです」
「えっ、変? 俺、そんなに変?」
「あ、いえ、ジン様が変というわけではないです」
途端に慌てだしたジン様は、やっぱり可愛い。
「あなたが好きになってくれた私は……あなたによって作られたのです」
「俺が? 俺、何かしたかな?」
「あなたは私を大切にしてくれました」
その大きな手の平で私を支えて、力強い言葉で励まして、その腕で私を抱きしめてくれた。
「あなたは私をたくさん甘やかしてくれますが、甘やかすだけじゃないんです。私がいけないことをしたらいけないと言ってくれて、どうすればいいのかをちゃんと教えてくれる。私がこれをやりたいと言ったら助言を加えながら、私の気持ちを肯定してくれる。私が頑張ったら、たくさん褒めてくれる。……だから私は、強くなれました。あなたに好いてもらえるような女になれました」
本当の私は、ひとりぼっちで震えているしがない女だ。
お母さん、お母さん、と泣いて、亡き母に縋ることしかできない少女。
大きくなってからもまともに人の役に立てなくて、ジャネット様たちに縋っていた。
それが、過去の私。
あなたが変えてくれたから、今の私がある。
「だから、あなたが私を好きになってくれるとしたら、それはジン様のおかげになるということで……そういうところがちょっと変だな、って思ったのです」
「……もしかして俺、無意識のうちに君を理想の女性に仕立てていたってこと?」
「あ、そうですね。でも私自身も今の自分にすごく満足していますし、あなたに好きになってもらえる女になれたのなら……とっても嬉しいです」
「……そ、そっか。よかった、愛が重いとか束縛系の男だとかって言われなくて……」
「言いませんよ……」




