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37 魔の気配

「……あの、ジン様。さっきキオウ様がおっしゃっていたことですが」

「えっ!? う、うーん……それはだね……。……」


 困ったように視線を泳がせていたジン様が、ふと、顔から表情を消した。そして馬の上で背中を伸ばし、どこか遠くを見るような眼差しになる。


 でもそれはジン様だけではなくて、さっきまでけらけら笑っていたキオウ様も真剣な顔になって、ジン様と同じ方向――西の空の方を睨んでいた。


「……おい、ライナン。聞こえたか?」

「ああ。まずいな、さては『はぐれ』が――」


 キオウ様が言った直後、西の方角から悲鳴が聞こえて、動揺が漣のように市場に広がっていった。


 ……一体、何? 皆、ざわざわしていて、嫌な気配が……。

 ……あっ!


「ジン様、今、西の空に黒いものが……!」

「フェリスにも見えたか。……ごめん、フェリス。降りてくれるかな」


 ジン様は淡々と言うと先に馬から下りて、ユキアに付けている馬具を外し始めた。

 キオウ様も同じく下馬して、それまで黒馬に装着していた重そうな鞍や轡、垂れ布などをどんどん取り払っていった。


 ……今さっき西の空に見えた、黒い点。

 あれの正体は――なんとなく予想は付くけれど、確信はない。


 それよりも、ジン様の邪魔にならないように早くユキアから降りないと!

 ジン様は馬具を外す方に専念しているから、私を下ろす余裕がない。余裕がなくて当然だ。


 といっても、馬上から地上までそれなりに距離がある。

 今私が座っているのが普通の壁とかだったら両手を壁について慎重に降りればいいけれど、ここはユキアの上だ。ただでさえ不安定だし、両手をついて体重を掛けたりしたら、ユキアが暴れるかもしれない。


 ……ここから地上まで、やけに遠く感じる。でも、上がるのと違って下りるだけなら、なんとかなる。

 怪我はするかもしれないけれど……ジン様の手を煩わせるわけにはいかない。


 私は座る位置をずらして、地面に向かってぎりぎりまで脚を伸ばした。

 そして思いきって飛び降りたけれど――ユキアがぶるっと震えたために手が滑って、左足の変な位置から着地してしまった。


「いっ――!」

「フェリス、大丈夫か!?」


 ユキアの鞍の紐を外していたジン様が、私の小さな悲鳴を聞きこぼすことなく振り返った。


 左足首を、捻った。

 患部がずくんずくん痛み始めたけれど……ジン様の手を止めさせるわけにはいかない。


「は、はい。少し手を擦りむいただけです!」

「……それならいいんだが」


 私は丈の長い下衣や羽織を着ているから、痛めたのは手ではなくて足だと、ジン様にはばれなかったようだ。


 そうしてジン様とキオウ様がほとんどの馬具を外し終えたところで、民衆のざわめきの向こうから大きな声が聞こえてきた。


 現れたのは、兵士たち。先頭にいる近衛兵姿の大柄な男性が、今の状況を喧伝しているようだ。


「市中に魔物出現! 魔物が、町の幼児を取り込んで飛行中! 皆、避難を!」

「ええっ!? 魔物!?」

「子どもが……!?」


 ざわめきが大きくなる中、空を見上げた私は……それ・・に、気づいた。


 翼を持つ大きな影。

 鳥……にしては大きいし、腹部が変な形にぼこっと盛り上がっているようだ。


 それが見えたのは一瞬のことで、すぐに建物の向こうに消えてしまったけれど確かに、あれは魔物だ。きっと……「はぐれ」と呼ばれるもので、単独で行動して人間を襲っているんだ。


 町中に魔物が出没することは、あまりない。特に帝都は周囲を頑丈な壁で囲まれているから、よほど強力な魔物でないと壁を壊して市中に入り込むことはできない。


 でも、飛行型は別だ。どんなに高い壁を作っても、飛行型の魔物の侵入を完全に防ぐことはできない。

 普通なら、被害が出る前に撃ち落とすんだけど……もう既に、子どもが捕まってしまっている。


 魔物の中には、人間を取り込むものがいる。あの飛行型の魔物の場合は……確か、子どもを攫って体内に取り込み、巣に持ち帰ってしまうのだとか。


 ジン様はチッと舌打ちすると、近衛兵の方に向かって叫んだ。


「近衛兵団! 俺は侍従兵団のジン・ライカだ!」

「なんと……ライカ隊長でしたか!」


 すぐさま近衛兵たちが集まり、ジン様は軽い鞍と鐙、轡だけになったユキアにひらりと跨がって、隊長格らしい大柄な男性に声を掛けた。


「魔物はあの一匹か?」

「はい。すぐに弓と聖矢の準備をしたのですが、家屋の屋根に上って遊んでいた子どもが攫われてしまい……」

「……外壁で煙筒けむりづつの準備はしているな? あの魔物を決して帝都の外に出すな。あの種のものは、巣に戻るまで獲物を消化せず生かす傾向にある。確実に射落とし、子どもを助ける」

「はいっ。しかし、魔物単体ならともかく子どもが取り込まれた状態で射落とすのは――」

「俺がやる」


 ジン様のはっきりとした声が、私の耳に届いた。


 彼が、振り返る。

 その灰色の目に何かを堪えるかのような痛みの色が浮かんでいることに気づき、私は足の痛みを無視してぐっと背筋を伸ばした。


 今、ジン様が何に迷っているのか、分かっている。

 私が言うべきことも、分かっている。


 私はジン様の妻で――ジン様は、この国を守る侍従兵隊長なのだから。


「ジン様。……ご武運を、お祈りしています」


 私は大丈夫だから、魔物を倒してあの子を助けてあげてください。


 その気持ちを込めて告げた言葉は、喧噪の中でもきちんとジン様に伝わったようだ。

 彼は頷くとユキアの横腹を蹴り、私に背を向けた。


「弓と聖矢を貸せ! 全員で市民を避難させ、子どもを救出するための緩衝材を持ってこい!」


 ジン様が指示を出すと、大柄な近衛兵やキオウ様を中心とした兵士たちが動き始めた。


 傍らにいた若い兵士から、ジン様が何かを受け取る。細長い袋から取り出したそれは――銀色のボディを持つ弓と、光り輝く矢が収められた矢筒。


 退魔武器。あの黒い鳥を射落とすための、聖なる武器。

 もしかするとあの矢筒の中に、私が力を授けたものが混じっているかもしれない――


「……きゃっ!?」

「おっと、悪いな、お嬢ちゃん!」


 ぼうっと立っていたら、誰かがぶつかってきた。その人はすぐに謝ってくれたけれど、慌ててさっきの方向を見てももう、ジン様たちの姿はなかった。


 兵たちが、動いている。ジン様も、ここを離れた。


 私も、自分にできること――皆の邪魔にならないようにこっそりと逃げないと。

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― 新着の感想 ―
[一言] 慣れない街中で足をくじいて、旦那様は仕事モードに 入ってしまう… フェリスの身に何もなければよいのですが
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