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36 ちょっと立ち話

 お茶屋で食事をした後、ユキアに乗ってぽっくりぽっくりと進みながら、市場の散策をする。


「あっ、あれはアクセサリーのお店でしょうか?」

「宝飾品店だね。でもどちらかというと、男性向けだと思うよ」

「そうなのですね。あっ、あそこは……鶏の声が聞こえますが、鶏を売っているのですか?」

「いや、売っているのは卵の方だね。あの鶏も客引き用だから、オスだと思う。卵は生まないよ」

「そうですか。……ジン様、あの向こうに見えるのは、なんの店ですか? なんだかきらきらしていますが……」

「あれは……。……フェリスは知らなくていい店だよ」

「まさか、違法の店ですか!?」

「違法……じゃないけど……うん、まあ君には必要ないってこと。どうしても知りたいなら教えるけど?」

「……なんとなく嫌な予感がするので、やめておきます」

「そっか、残念」


 ……なんとなく予想は付いたけれどジン様に聞くのはなんだか怖いから、後でこっそりマリカに聞いてみよう。


 そんな感じで市場を進んでいると、警備中らしい兵士たちの姿も見えた。

 彼らはこちらを見るとジン様に気づき、はっとした様子で整列した。


「これはこれは、ライカ様!」

「本日は奥様とお出掛けですか?」


 そう言って馬の周りに集まってきたのは、一般兵姿の男性たち。


 私はロウエンの軍事階級について明るくないけれど、ジン様たち侍従兵とキオウ様たちのような近衛兵、そして市街地警備や弱い魔物の討伐などをする一般兵たちでは服装が違うとのことだ。彼らも、ジン様直属の部下ではないようだ。


 ジン様が頷き、少し体の位置をずらした気配がした。


「勤務ご苦労。今、妻と共に散策をしている。今日は西の市も開催される日であることだし、警備を怠らぬように」

「はっ!」

「ライカ様がごゆっくりお過ごしいただけますよう、尽力します!」

「無理だけはするなよ」


 ジン様はそう言うと手綱を引き、一礼する兵士たちに背を向けた。

 私も兵士たちに向かって会釈をしてから、鞍の取っ手を掴んだ。


 私は前に座っているからジン様の顔は見えないけれど、声がとても凛としていて威厳に満ちていた。


「ジン様……格好よかったです」


 私がポロッと呟くと、私が背中を預けるジン様の胸の筋肉がぴくっと震え、主人の動揺を察したらしいユキアも少し鼻を鳴らした。


「……そう? 俺、格好よかった?」

「はい。兵士たちに労りの言葉を掛けている時のジン様のお顔が見られなかったのが残念ですが、私もなんだか背筋が伸びてしまいました」

「そっか。……まあ、俺はこれでも侍従兵隊長だからね。相応の振る舞いは身につけているつもりだよ」


 そう言うジン様の口調は落ち着いているけれど、少しだけ自慢げな響きも含まれているように感じられて――なんだか、可愛い。


 格好いいと思った直後に可愛いと感じるなんて、変かもしれないけれど。


「それじゃあ、私もあなたの奥さんとしてふさわしいようにもっと……こう、威厳たっぷりになるように振る舞うべきでしょうか?」

「いや、いい。君は今のままでいいよ。……というか君まで威厳たっぷりになったら、俺の立つ瀬がなくなるというか……」

「……おっ! ジンじゃないか!」


 陽気な声が、ジン様の声をかき消した。


 首を捻って声のした方を見ると、黒毛の馬に乗ってやってくる近衛兵の姿が。

 黒い髪に浅黒い肌の、彼は――


「やあ、ライナン。そっちも巡回かな?」

「おう。そんで今は、昼の小休憩中。……おっ、やっぱり嫁さん連れだな! どうも、奥様。ライナン・キオウですが、覚えていますか?」

「もちろんです。お久しぶりです、キオウ様」


 キオウ様はジン様の友人で、近衛兵団に所属している。ノックスで私がジン様にハンカチを贈ろうと思って滞在場所を訪問した時、私の対応をしてくれたのがキオウ様だ。

 その後も結婚式にも参加してくださったし、ちょくちょくジン様と一緒に飲んだりなさっているそうだ。


 キオウ様は私を見て微笑むと、続いて一旦表情を消してジン様を見た。そしてにやりと笑い、いたずら小僧のような顔つきになった。


「おーおー、まさかおまえが非番の日に嫁さんを連れて散策する姿を見られるとはな!」

「うるさいな……」

「だってよ、詰め所でもずっと話題になっていたんだからな! ジンの自慢の奥さんについて!」

「おい、ライナン――」

「自慢……ですか?」


 ジン様が焦ったように言うけれど、つい好奇心をそそられて呟いてしまう。

 ライナン様は私を見るとニッと笑い、私の背後にいるジン様の方を差しながら言った。


「そうなんですよ! どうせこいつ、奥様の前ではできる男の顔をしてるんでしょうけど、いざあなたがいない場所になるとこれでもかってほどのろけてましてねぇ! 妻は異国人だが一生懸命で愛らしい、俺の最愛の人だって……」

「ライナン!」


 ジン様が背後で怒鳴るからびくっとしてしまった。キオウ様は「おお怖」とおどけた様子で頭を庇うように丸くなった後、けたけたと笑いだした。


「ほらほら、可愛い嫁さんが怯えてるぞ! だめじゃないかー、俺ごときの挑発で冷静沈着な侍従兵隊長様の仮面を剥がしてしまうなんてー」

「こいつ……!」


 ぎりぎりと歯を噛みしめる音がしたので、振り返った。


 ジン様はいつも通りの笑顔で私を見ていて、小首を傾げて「どうした?」と聞いてきたけれど……残念ながら、まだ唇の端がひくひくしているし、目が笑っていない。


 ……そっか。さっきまでは怖い顔をしていたけれど、私が振り返ったから私を怖がらせないように、笑顔になってくれたんだ。


 ジン様はぽんぽんと私の肩を叩いてから、笑顔のままでキオウ様を見た。


「……ライナン、あとで覚えておけ。余計な口を叩いたこと、練兵場で嫌というほど後悔させてやる」

「ひゃあ、怖ーい! でもそう言いながら嫁さんを後ろから抱きしめてるジンが羨ましーい! 俺も可愛い嫁さんがほしーい!」

「そう思うならもう少し言動を顧みろ」


 やれやれと肩を落とすジン様と、全く反省の色を見せないキオウ様。


 ……なんだかんだ言って、ジン様が本気で怒っている様子はない。

 多分いつもこんなやり取りをしていて……ジン様も、キオウ様とじゃれるのが案外楽しいのかもしれない。


 それはそれで、いいんだけど。

 気になることがある。

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[一言] 西の市を酉の市に空目して、台東区!?となってましたw
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