35 一緒にお出掛け②
市場は人でいっぱいで、徒歩の人がほとんどだ。でも帝都南の大門から帝城まで真っ直ぐに伸びる大路は、反対側が霞んで見えないほどの広さだ。
歩行者と馬がぶつからないように、大路を三分割している。
中央の太いラインが馬専用で、店寄りがそれぞれ歩行者用だ。これなら馬の「落とし物」も片づけやすそうだね。
市場は活気に溢れていて、あちこちから呼び込みの声、笑い声、時折怒鳴り声や明らかに怪しげな小爆発音まで聞こえてくる。
でもこれがロウエン帝都の日常らしい。
「市場は……今日も異常なしだな」
声がしたので振り返ると、ジン様があたりに視線を配っていた。
普段ジン様は侍従兵隊長として帝都の警備の指揮を執ったりもするそうだから、非番の日でもやっぱり本能的にあたりに警戒してしまうんだろう。これも職業病、というものなのかも。
「やっぱりジン様は、町の保安が気になりますよね」
「ああ。……って、すまない! 今日は仕事ではなくて、君と過ごす時間だったというのに……!」
珍しく慌てた様子のジン様。
ユキアも少し身を震わせたので私は笑い、お腹に回るジン様の左手の甲をトントンと叩いた。
「大丈夫ですよ。ジン様がいつでも国のことを思っているってことですし、そんなジン様たちのおかげで平和が保たれているってことがよく分かりますもの」
「……そう言ってくれると助かるけれど、君はもうちょっと我が儘を言っていいんだよ? 今だって俺を許さずに、『この甲斐性なし!』って言ってもいいくらいだし」
「思ってもいないことは言えませんよ……」
ジン様が甲斐性なしだなんて思ったことはないし、私が我が儘を言うべき場面でもないと思う。
私の突っ込みにジン様はふふっと笑い、市場の方を指で示した。
「それじゃあ、寛大で優しい奥さんのために、奮発しよう。……あそこに新しい茶屋があるから、行ってみよう」
「茶屋……お茶のお店でしたっけ?」
ノックスとロウエンは同じ言語を使うけれど、微妙に言い回しが異なる。前にマリカと一緒に行った別の茶屋では団子のようなお菓子も提供していたけれど、お茶専門の店もあると言っていた。
「基本的にはお茶専門だけど、たいていは菓子や軽食も提供しているよ。あそこは十日ほど前に開店したばかりだけど、ノックスなどの異国の文化も取り入れたお茶や菓子が売りらしいんだ。きっと、フェリスも気に入るものがあるよ」
「へえ、食べてみたいです! ……それにしても、詳しいのですね」
「できる男は下調べも完璧にするものなんだよ」
ジン様はそう言って微笑むと、「行こうか」とユキアの轡を店の方に向けた。
開店間もない店の前には行列ができていたけれど、ジン様がお店の人に名乗ると、彼は心得たようにユキアの手綱を預かり、私たちを店に通してくれた。
「……予約していたのですね。ありがとうございます」
「どうってことないよ」
振り返ってウインクをするジン様、すごく様になっている。
……様になっているのはいいけれど。
お茶屋さんということもあり、客は女性が多い。中には家族連れやカップルもいるみたいだけど、女性だけのグループもあるみたいだ。
そういう人の多くは、入店したジン様を見て目を丸くしている。中には、うっとりとするような目を向けてくる人もいる。
……確かに、ジン様は格好いいから目立つし、モテるよね。
すみません、隣に妻がいるのですが皆様方のジン様鑑賞の邪魔にならないように、小さくなっておきます……。
すぐに席に通されて、可愛い薄桃色のシエゾン姿の店員が注文を取りに来た。
「フェリス、何にする?」
ジン様がそう言ったからか、少し離れたところから「……あれって、外国人じゃない?」という声が聞こえてきた。
ポルンで髪を隠しているので見目からではなくて名前を聞いて、ジン様の同伴者がよその国の女であることに今気づいたみたいだ。
しかも、「あの男ってひょっとして、侍従兵隊長じゃないか?」「ああ、ライカ家のご子息か」「そういえばジン・ライカ様って、ノックスの女性と結婚したとか……」と、どんどん私たちの素性が明らかになっていく。
……まあ、聞こえる限りでは悪口みたいなものはないみたいだし、放っておいていいかな。
「私は……甘めのお茶と、お菓子がいいです。おすすめはありますか?」
「甘いものがお好きな女性には、こちらの果実茶がおすすめです。お菓子は……こちらの焼き菓子はいかがでしょうか」
そう言って店員が見せてくれたボードには、ノックスで言うミルフィーユによく似たお菓子のイラストが描かれていた。
これが、ジン様が言っていた「異国の文化を取り入れた菓子」なのかも。イチゴみたいなのも添えられていて、おいしそう!
「では、それでお願いします」
「俺は緑茶と焼き餅で。味は焦がし醤油をお願いします」
「かしこまりました」
店員が去って行ってから、私は正面に座るジン様を見てみた。
名門ライカ家のご子息で、侍従兵隊長。
眉目秀麗でかつ、店員に対する物腰も柔らかで口調も丁寧。
……ああ、お店中の女性たちがいっそう、こっちに熱い視線を向けてくるのが伝わってくる……すみません、正面に座っているのがちんちくりんな妻で……。
「ジ、ジン様はあまり甘いものはお好きではないのですか?」
どうせ周りの人たちにジン様の正体がばれているみたいだからと、名前も呼んで尋ねると、ジン様は首を傾げて「そうだね……」と考え込んだ。
「特別好きでも嫌いでもないかな。あ、でも甘すぎるものと匂いがきついものはちょっと苦手かもね。……昔、姉上たちがとんでもなく甘い菓子を寄越してきたことがあって。あの日はその後、どんなに味の濃いものを食べても口の中の甘さが消えなかったんだ……」
「そ、それは大変でしたね」
ジン様のお姉様といえば……前に、リンエイ様たちがジン様の好き嫌いの話をしていたっけ。
確か、ジン様にはどうしても食べられないものがあるって……。
「ジン様は嫌いな食べ物はないのですか?」
「ん? ……んー。……ひょっとしてフェリス、この前姉上たちに何か言われた?」
うっ、正解です。まあ、今の流れからだとそう予想できても仕方ないよね……。
やんわりと真偽を確かめようと思ったのに早速バレてしまったので私が言葉に詰まっていると、ジン様は微笑んで手をひらひら振った。
「ああ、そんな顔しないでよ。……あの人たちは本当に、弟への接し方……というか距離感がおかしい」
「でもジン様もそんなお姉様方のことが嫌いではないですよね?」
「う、うん、そうだね。……ちょっと鬱陶しいなぁ、と思うことはあるけれど、でもやっぱり大切な家族だし、無事でいてほしい、幸せになってほしいって思っちゃうんだよね」
そう語るジン様の表情は、穏やかだ。
本当に、素敵な家族に恵まれているんだな。
――私と違って。
「……私も、お義母様やお義姉様たちと、もっと仲よくなりたいです」
「うん、そうしてくれると皆も喜ぶよ」
ジン様は、あれこれ言ったりせずにシンプルに返したけれど、それでいい。
私が伯爵家で真っ当な扱いをされていなかったことも、実の母親とは十年前に死別していることも、ジン様は知っている。知っているから下手に過去のことを突いたりせずに、未来のことを語ってくれる。
そんなジン様が、私は好きだ。
……ただし。
「お待たせしました、ご注文の品をお持ちしました」
「ありがとうございます。……わあ、とてもおいしそうだね。食べよう、フェリス」
「はい!」
しんみりとした話の後においしそうな料理が来たから、私はジン様に苦手な食べ物を問うたのにそれの答えをもらいそびれてしまったのだと少し経ってから気づいた。
……まあ、お菓子もお茶もおいしかったから、よしとしよう!




