32 ふたりの帰り道
その後、使用人が立派な裁縫道具箱を持ってきてくれた。
箱のデザインが気に入ったのでお義母様が市で衝動買いしたっきり、ほとんど使わないまましまわれていたそうだ。
中身も充実していて、特に針と鋏は新品同様にきれいなだけでなくて、明らかにいい素材で作られている。
だからお義母様に聞いてみたけれど……予想通り、針と鋏は超高級な金属で作られているという。
なんでも、私たち神子や神官が退魔の力を授ける退魔武器とほとんど同じ素材でできているらしい。
「退魔武器用の鉄鉱石の余りから作られたものだから、たいしたものじゃないわよ」とお義母様は笑っていたけれど……いくら石の残りとはいえ、とんでもない。間違いなく丈夫だろうけれど、大切に使わないと……。
そうこうしている間に夜も更けてきて、私は帰宅することになった。
大体の時間は屋敷の人に伝えているので、私が帰る頃になったら迎えに来るように言っていた。
お義母様たちと一緒に表に出ると既にジン様の屋敷の馬車が停まっていて、ちょうどよかった、と息をついたけれど……。
「フェリス!」
「……ジン様?」
……なぜ、馬車にジン様がいらっしゃるのだろう。
今日は、夜までお仕事のはずじゃ……?
ジン様は御者の手も借りずにひらりと座席から降りるとつかつかとこちらに来て、そっと私の両手を取った。使用人たちが掲げるランタンもどきの明かりを受けて、その美貌が煌々と輝いている。
「待っていたよ。……さあ、家に帰ろう」
「え、まさか、私を迎えに……?」
「他に何がある? 俺の大切な奥さんが母上たちに捕らわれていないか心配で、駆けつけてきたんだよ」
ジン様がそう言うと、お義姉様たちが「まあ、失礼な子ね」「わたくしたちをなんだと思っているのかしら」とぷんすか怒っているけれど、声はものすごく楽しそうだ。
大好きな弟に会えて嬉しい、っていうのが声に表れまくっている。
お義母様も、穏やかな調子で私の肩を抱いた。
「まあ、捕らわれるだなんて失礼な。あなたの可愛い奥さんはわたくしたちがちゃんとおもてなししたわ。そうよね、ヘリスさん?」
「はい。ジン様、お義母様たちとたくさんお喋りができました。それから……ほら、ジン様のためにあんなにお土産もあるのですよ」
帰り際に持たせてくれたお菓子やフルーツなどは木箱二箱分にもなったので、使用人に預けていた。
ジン様はそっちを見ると「俺はもう、子どもじゃないんだけど……」とぼやいてから私の手を軽く引いて、お義母様から私を引き離した。
「それはよかったです。フェリスを可愛がってくれて、ありがとうございました。ここから先は、俺が妻を可愛がりますので」
「まー! 聞いた、姉様!? あのジンがあんなことを言って!」
「聞いたわ聞いたわ! これは父様や兄様にも報告しなければならないわね!」
「本当にやめてくれ……」
きゃっきゃとはしゃぐ姉二人にげんなりとした様子のジン様だけど、私がじっと見上げているとこちらを見て、いつもの優しい笑顔を浮かべた。
「……うるさい姉たちのお守りもしてくれて、ありがとう。それじゃあ、帰ろうかな」
「はい。本日はありがとうございました、お義母様、リンエイ様、エリネ様」
私がジン様と並んでお辞儀をして挨拶をすると、三人は「またね!」「いつでもいらっしゃい」「いい報告を待っているわ」と返事をしてくださった。
いい報告……それはきっと、帯のことだろう。
お義母様から譲ってもらった新品同様の裁縫道具箱と、お義姉様たちが考えてくださったシンプルかつ伝統的な帯用の模様を記した下書きは、マリカに持ってもらっている。
これでジン様に贈る帯を作って……お義母様にもいい報告をしたいな。
「……フェリス、かなり楽しそう?」
馬車に乗り、暗闇の中を屋敷に向けて走りだしたところでジン様が私の顔を覗き込んできた。
どうも、帯のことを考えていて顔が緩んでいたみたいだけど……そう言うジン様の方は、少しだけ元気がなさそうだ。
「もしかして、もっと母上たちとお喋りがしたかったとか、泊まりたかったとか? 俺が迎えに来たの、余計だった?」
「えっ、そんな、まさか。迎えに来てくださったのにはびっくりしましたが嬉しかったですし、家にはちゃんと帰りますよ」
まさか今の私の表情からそんなことを想像されていたとは思っていなくて、慌てて否定した。
「お喋りはとても楽しかったし、晩ご飯もおいしかったです。でも、私の家はジン様のお屋敷ですし、ジン様の許可もなしに外泊したりしませんよ」
「……そっか。ごめん。俺、母親や姉に嫉妬してしまったみたいだな」
ジン様は一気に落ち着いたようで、照れたように頬を掻いた。
そっか、ジン様も嫉妬をするんだな……ん?
ちょっと前にマリカに、ジン様が嫉妬云々って言われた気がするけれど……何の話題の時だっけ?
でも考える間にジン様に声を掛けられたので、思考を中断せざるを得なかった。
「俺、ちょっと前に仕事から上がって屋敷に帰ったんだけど……なんだか、変なんだよね」
「変とは?」
「帰宅したら、使用人たちがいる。皆が玄関に出てきて、おかえりなさいませ、と言ってくれる。……あの屋敷を持ってから君と結婚するまでの間はそれが当たり前だったのに、君が出迎えてくれなかったら、なんとも空虚で、寂しくて……気が付いたら迎えの馬車に乗って、ここまで来ていたんだ」
ジン様はそう言って、「俺も変わったよね」と照れ隠しのように鼻の頭を掻きながら言った。
「君と結婚してもうすぐ二ヶ月だけど……君がいるのが、こんなにも当たり前になっていたんだね」
「……。……私も同じです」
「フェリスも?」
ジン様に問われて、私は頷いた。
「私も、気が付いたらあなたのことを考えるようになっているのです。今日もお義母様やお義姉様方にいろいろとあなたのことを質問されたりもしましたが……本当に自然に、あなたのことが頭に思い浮かぶようになったのです」
「……そっか」
ジン様が嬉しそうに微笑んだので、私も何となく調子が乗ってきて――思いきって、手を伸ばした。
狙いは、隣に座るジン様の左手。
手持ちぶさたそうに座席の上に添えられていた左手に私の右手を重ねると、びくっ、と大げさなくらいそこが震え、ジン様が目を丸くして私を見下ろしてきた。
「フェ、フェリス? ええと……寒いとか?」
「寒くは……ないです。でもなんとなく、こうしていたくて」
「……」
「だめでしたか?」
もしも「やめてほしい」と言われたらすぐに引っ込めようと身構えながら尋ねると、ジン様は数秒沈黙した後、ゆっくりと首を横に振った。
「……だめじゃないよ。ただ、できれば俺の方が君の小さな手を守りたいんだけど……いいかな?」
笑顔で聞かれた。
つまり……今は私がジン様の手を包み込んでいるけれど、ジン様としては逆の方がいいと。
「もちろんです。私、ジン様の大きな手に包まれていると、とてもほっとするのです」
「……。……そっか。俺も、君の柔らかくて小さくて……でもすごい力を秘めた手が、大好きだよ」
そう言いながらジン様はするりと私の手の中から左手を抜き取り、そしてきゅっと上から包み込んでくれた。
大きくて骨張っていて分厚い、私とは全然違う……剣や弓矢を手に戦う人の手。
『あの子ね、結構無茶をしているのよ』
そう言っていたのは、確かエリネ様だ。
『わたくしたちは見ての通り緩い家族だけど、あの子が弟子入りした武術の師範はとても厳しい人で、ジンにもとても期待していたみたいなの。それは嬉しいことだけれど、皆の期待に応えなければ、完璧でなければ、って思い詰めるようになっている時期があったのよね』
もしかすると。
ジン様に迷惑そうな顔をされつつもお義母様やお義姉様たちがジン様に構っていたのは……無意識のうちに肩に力を込めてしまいがちなジン様に、少しでも心穏やかになってもらいたかったから、というのもあるのかもしれない。
私の手は小さくて、ジン様の手を包むことはできないけれど。
彼が肩の力を抜いて過ごせるような場所を、私が作っていきたかった。




