31 ライカ家本邸にて④
私がそわそわしていることに気づいたのか、お義姉様たちもお喋りを止めてこっちを見てきた。
「あら、ヘリスさんも裁縫に興味がおありなの?」
「そういえばジンが、ヘリスさんからもらった手巾を家宝のように大切にしているって噂だけど……」
「そ、それはいいのですが。ええと、裁縫も刺繍もどちらかというと苦手ですけれど、もしかして私も苦手を克服しなければならないのかと思いまして……」
「そうね……今は専門のお針子がいるから、わたくしたちがシルゾンなどを手縫いすることは基本的にあまりないわ」
お義母様はそう言ったけれど、「でもね」と言葉を付け足した。
「今でも、服飾小物なら妻が作ることが多いわよね」
「そうなのよ。それで、夜会とかでは妻が縫ったものを持参する人が多いのよ」
「わたくしや姉様は裁縫が得意だから、日頃から夫の衣類を縫っているだけで、義務ではないわ。ただやっぱり、わたくしが縫ったものはとても喜んでくれるし、夜会でも見せびらかす人が多いそうね」
「妻の手縫いのものは自慢する、というのが社交界での殿方の常識らしいわ」
「……そうなのですね」
確かに、これまでジン様が私に贈ってくれたシエゾンもジン様が普段お召しになっているシルゾンも、お抱えの針子に製作を頼んでいると言っていた。
だから、裁縫がへたくそな私が無理をして縫う必要はない、みたいだけれど……。
「……作った方が、ジン様のためにもなるでしょうか」
「そうね……あの子のことだから、ヘリスさんの作ったものなら何でも大喜びしそうだけれど」
「額縁に入れて屋敷に飾る、とか言ったり?」
「本当に言いそうで怖いわー」
「まあ、そういうことだからヘリスさんも無理に作ろうとしなくていいのよ。もちろん、あなたが何かを作りたいというのなら、応援するけどね」
お義母様にしっとりとした笑みを向けられて、私は少し考えた。
……私がジン様に最初にプレゼントした……プレゼントしてしまった、刺繍入りのハンカチ。
求婚の意味はなくて誤解だったとしても、ジン様はハンカチをとても大切にしてくださっている。
それに、ロウエンでは夜会で妻が縫ったものを見せびらかす方が多いそうだし、ジン様が結婚したと聞いて、「妻の手縫いのものはないのか」って聞かれることもあるかしれない……?
それなら、腕前には自信がなくても。
「……私、何か作ってみたいです」
そう言うと、三対の目が私を見てきた。
「その、大きなシルゾンとか下衣は絶対に無理なので……ジン様が夜会に身につけていけるような小物でも作って、贈りたいです。いつもありがとうございます、という気持ちも伝えたくて……」
「ヘリスさん……とてもいい心がけね」
リンエイ様が優しい顔で言い、エリネ様も大きく頷いた。
「正直、出来なんて二の次なのよ。大切なのは、妻が夫のために心を込めて縫ったという事実。というか今の時代、裁縫が下手だからって妻を詰る夫の方があり得ないからね」
「そうそう。妻の方から離婚を突きつけてもいいくらいだわ」
「わたくし、一生懸命作ったシルゾンを夫に夜会で笑いものにされたご夫人を知っているわ。結局夫の方が大顰蹙を食らって離婚して、妻は優しい別の男性と再婚したらしいのよ。新しい旦那様は、奥方が縫った衣類を毎日大切そうに身につけているって」
「いい話じゃない!」
「……それで? ヘリスさんは何なら作れそう?」
お義姉様たちの方では自由に話が盛り上がっているようなので、お義母様の方が尋ねてきた。
「そうですね……あまり複雑な縫い方をしないものなら。真っ直ぐならなんとか縫えると思います」
「刺繍はどれくらいできるかしら?」
「……こちらも、真っ直ぐの線くらいなら……」
「あら、それなら帯がいいんじゃなくて?」
ぱっとこちらを見たエリネ様が言って、リンエイ様も同意するように頷いた。
「そうね。帯なら縫い方も易しいし、シルゾンほど目立つわけでもないからね。布地が厚めだけどそれさえ気にならなければ、帯がいいでしょうね」
「ジンも職業柄、色々な夜会に出向いたり式典に参加したりするし、ひとつは手縫いのものを贈るといいわ。帯なら、季節を問わずに使えるものね」
三人とも、あれこれアドバイスをしながら帯を勧めてくれた。
帯……私たち女性用のシエゾンには必要ないけれど、男性用のシルゾンや普段着には必要だ。
でもシルゾンのお腹の部分を少し帯の上にはみ出すように着るものだから、柄とかはあまり目立たない。生地が分厚いそうだけれど、私は薄いよりは厚い方が縫いやすい。
……うん、いいかも。
「私……ジン様に帯を贈りたいです」
「うん、いいと思うわ!」
「ヘリスさんは、裁縫道具をお持ちで?」
「あっ……ないです」
ノックスの神殿で使っていたものはお下がりで、それも神官を辞める時に見習いの子にあげてしまった。
マリカに頼んで、新しい裁縫道具を買ってもらおうかな……と思っていると、お義母様が自信満々に胸を叩いた。
胸がとても豊かなので、ぼん、と揺れた。
「道具なら、うちにあるものを使いなさいな。ちょうど新品同様のものがあるのよ。せっかくだから今日、持って帰りなさい。布も糸も十分に入っているわ」
「えっ……そんなの、申し訳ないです!」
「あらあら、遠慮しなくていいのよ。こういう時こそ助け合いじゃない」
お義母様に続いて、お義姉様たちも身を乗り出してきた。
「そうよ! 可愛い弟とその奥さんのためなのだから、遠慮しないの!」
「そうだわ、エリネ。ヘリスさんでも刺繍しやすい模様を考えましょう」
「それもそうね!」
「あ、あの……」
「ヘリスさん」
二人で盛り上がって帯のデザインを出し合い始めたお義姉様たちにどう言おうかとしていると、いつの間にか席から立って私の横に立っていたお義母様に、そっと肩に触れられた。
「あの子たち、『妹』と呼べる存在ができて嬉しいのよ。それに……あれこれ言うけれど、あの子たちだってジンに喜んでほしいの」
「あ……」
ジン様のことを語る時のお義姉様たちの嬉しそうな顔を思い出して私が声を上げると、お義母様は穏やかに微笑んだ。
どことなく、ジン様を彷彿とさせる笑顔だ。
「だからもし嫌でなければ、わたくしや娘たちの厚意を受け取ってくださいな。……ジンのために帯を作りたいというあなたを、応援したいのよ」
「お義母様……」
お義母様が、微笑む。
今度はその笑みはジン様ではなくて……ずっと前に死んだ母のことを思い出させた。
『フェリス』
記憶の中の母は、お義母様のように華やかな衣装を着ていないし、農作業や裁縫などをするので爪も手もぼろぼろだった。
でも、私のたった一人の母親の手。
十年も前に失ってしまった温もり。
母とお義母様は、全然違う。
でも……その優しい手と温もりに、つい鼻の奥がツンとしてしまいそうになり、慌てて頭を下げた。
「あ、ありがとうございます。裁縫道具箱、ありがたく頂戴いたします。大切に使います!」




