30 ライカ家本邸にて③
そうこうしている間に日が暮れて、夕餉の支度ができたことを使用人が知らせてきた。
私たちは別室に移動して、そこで夕食をいただくことになった。
普段はお義父様やお義兄様も含めた皆で食事をするけれど、今は私のために男性陣は席を外してくださっている。
エリネ様曰く、こういう時のお義兄様は奥様やお子様と一緒に別棟でお食事を、お義父様は一人縁側で星を見ながらお酒を飲まれるそうだ。ジン様も独身時代、花園集会によって追い出された時は父子で酌をし合っていたとか。
食事の場の風景は、ジン様の屋敷のそれと大差ない。一人一人の前に料理の載った膳が運ばれてくるので、飲み物以外で使用人が給仕などをする必要はない。
さっきの居間と同じ座席配置で私は椅子に座ったけれど……ざっと見たところ、私の膳とお義母様たちの膳のメニューに大きな違いはない。
けれどよく見ると、三人の皿にはある海草類や魚介類、いくつかの和え物などは私の皿にはなくて、別の料理が添えられていた。
「ジンから聞いたのよ。あなたはノックスで生まれ育ったこともあって、ロウエンの食べ物は体に合わないことがあるそうね」
向かいの席のお義母様に言われて、私は恐縮して頷いた。
「お恥ずかしいことに……申し訳ありません」
「いいのよ。わたくしたちだって、ノックス産のもので苦手な食材がきっとあるはずだもの。好き嫌いとは別なのだから、気にしなくていいのよ」
「それに……知っている? たいていのことはそつなくできるジンだけど、どうしても食べられないものがあるのよ」
隣の席のリンエイ様に言われて、私は思わず「えっ」と声を上げてしまった。
「そうなのですか? 知らなかったです……」
「あの子、子どもの頃からそれだけは嫌がって、膳に載っていたらこっそりわたくしの皿に移したりしていたのよ」
「ああ、覚えているわ! お父様に叱られたら、『ぼくはこれを食べなくても大きくなれます』って言い訳していたっけ」
「やだもう、うちの弟、可愛い!」
「ヘリスさん、どの食材か知りたい?」
お義母様ににこにこしながら聞かれたので、私は……少し悩んだ結果、首を縦に振った。
「はい。でもできるならそれは、ジン様から直接聞きたいです」
「あら、そうなの? でもあの子、意地を張って教えてくれないかもしれないわよ?」
「分かるわ。ジンって絶対、好きな子の前では格好付けたいたちだものね。俺に食べられぬものなどない、って言い張りそうだわ!」
お義姉様方がきゃっきゃとはしゃぐのでお義母様が片手で制し、柔らかな表情で私を見てきた。
「ジンに直接聞きたいという理由は、ここでこっそり聞いたらジンが怒りそうだから?」
「えっ、まさか、ジン様が怒るとは思っていません。でも……何と言いますか、食べ物の好き嫌いという話題でジン様と一緒にお喋りができたら楽しいと思うのです。だから、好きなものについても嫌いなものについても直接聞いて、そこからたくさんお話をしたいのです」
もしかするとさっきエリネ様がおっしゃったように、意地を張って教えてくれないかもしれないし、いつもの余裕の笑みでかわされるかもしれない。
でも……ちょっとした会話のきっかけになったら。
そこからもっともっと、ジン様のことを知られたら、私も嬉しい。
何となく気恥ずかしくて黙って身を縮こまらせていると、途端に静かになったお義姉様たちはちらちらと意味ありげな視線を交わし合い、お義母様は「まあ」とおっとりと笑った。
「それもそうね。それじゃあ、直接ジンに聞いてみなさい。……それでジンがちゃんと答えたのか、それともエリネが言ったようにはぐらかしたのか、是非とも教えてちょうだいな」
「わたくしも知りたいわ! というか、ヘリスさんが押せばあの子、あっさり吐きそうだけど……」
「わたくしもそう思うわ。むしろ、ヘリスさんに興味を持ってもらえてくれて嬉しくて、どうでもいいことまでぺらぺら喋るかもしれないわね」
「分かるわー」
お義姉様方、とっても嬉しそう。
やっぱりみんな、ジン様のことが大好きなんだな……。
その後、四人での食事が始まった。
事前にマリカに、「せっかくなので、名家のご夫人方の作法を見学なさるといいですよ」とアドバイスされていたので、咀嚼や飲み物を飲んでいる間などにちらっと三人の様子を窺ったけれど……。
皆様、食事の手つきがとても洗練されていた。
煮た芋や魚のすり身を団子にしたものを串に似た食器の先で刺して、優雅に口元に運ぶ。表面を軽く炙ってタレを絡めた一口サイズの餅をスプーンフォーク一体の匙で掬い、汁を垂らすことなく口に入れる。
お茶の入った椀を手に取る時の指先の動き一つにも気品が感じられて……なんというかもう、私とは別次元の方々の食事風景に思われた。
私も、ノックス風の食事マナーには自信がある方だけれど、ロウエン風の食事マナーは全然だと思い知らされた気分だ。もっと練習しないと。
「そういえば……姉様はもう、お義兄様用のシルゾンを縫い終わったの?」
食後のフルーツ――三人は櫛形に切った柑橘類で、その味に慣れない私には桃だ――を摘んでいると、お義姉様たちが話し始めた。
妹に問われたリンエイ様はフルーツピックのような小さめの串を手元に置き、使用人が差し出したナプキンで口元を拭った。
「そうね……袖口や襟の刺繍を終えたら全体を縫い合わせる予定よ。次にあの人が参加する式典までには十分、間に合うでしょうね。そう言うエリネは? 確か、下衣を縫うんだって言っていたでしょう」
「あらかた終わったところよ。ただあの人、最近ちょっと太ってきてね……このままだと下衣の大きさが合わなくなるから、これ以上太らないでって言ったところなの」
「ああ、それもそうね! わたくしも今日帰宅したら、言っておかないと!」
お二人はどうやら、旦那さんのために衣類を作っているみたいだ。
次の式典……ということは、式典では奥さんが作った服を着ていくものなのかな?
ふと、正面でフルーツを食べていたお義母様と視線がぶつかった。
彼女は私を見るとピックを置いて、果実水を飲んだ。
「ヘリスさん、リンエイたちの話題が気になる?」
「……はい。あの、ロウエンでは妻が夫のために衣類を縫うものなのですか?」
かなり昔のノックスにも、そういう風習があった。
貴族の夫人の役目は女主人としての使用人たちの監督と、夜会や客人のもてなし、そして夫の一張羅の仕立てだった。
だから当時のノックスでは、裁縫や刺繍のできない貴族の令嬢は結婚が難しかったというし……仕立屋がそういうのを請け負うようになった現在も、刺繍は貴族令嬢の必須教養だった。
……私はどうしようもない不器用なので、針仕事はからっきしだ。穴の空いた靴下すら繕えないので、神殿では頭を下げて同僚に頼んでいたっけ……。
でも、もしロウエンでも裁縫が夫人の必須条件なら……まずい。
まずいというか、ジン様に申しわけなさすぎる。




