3 数少ない味方②
「ジャネット様、ごきげんよう」
「あら……フェリスですね」
挨拶をすると女性は私の方を見て、ローブの裾を捌きながらこちらにやってきた。
さらりとした灰色の髪は肩胛骨までの長さで、茶色の目は目尻がきつく吊り上がっている。神官になって十年以上という彼女は私の大先輩で……恩師でもあった。
私は本来、楽しいことが好きで人とのお喋りも好きだった。でも、伯爵家で辛い四年間を過ごしてきた私はすっかり引っ込み思案になり、いちいち他人の顔色を窺う子どもになっていた。
やっと伯爵家から解放されて神殿で働けるようになったけれど、恥ずかしいのと怖いのとでなかなか人に話しかけられない。ジャネット様はそんな私に、最初に声を掛けてくださった。
優しい目で見つめて、震える手を引いてくれた素敵なお姉さん。
そんなジャネット様が私の担当教官になると聞かされて……とても、嬉しかった。
「今もジャネット様は、年少者教育と見習の担当教官をなさっているのですよね」
「ええ、なかなか後任者がいないものでして。……皆も、より華やかな仕事をしたがるものでしょうし、これも適材適所だと思っています」
ジャネット様はそう言って肩を落とした。
私は十二歳から十六歳までの四年間、ジャネット様に師事した。でもそれからは一応一人で活動するようになったから、同じ神殿内で生活していてもなかなかジャネット様には会えなかった。
ジャネット様はそこで、少し目を細めて私を見つめてきた。この、怜悧な灰色の目で見つめられると、悪いことをしたわけではないのにどきっとしてしまう。
「……ちなみに、フェリス。仕事は順調ですか?」
「……あまり順調とは言えません。申し訳ありません」
ジャネット様にはごく優しい口調で問われたけれどそう答えるしかなくて、胸がきりきりと痛んだ。
ジャネット様は四年間、私の才能が芽生えるように努力してくれた。
夜まで練習に付き合ってくれたし、私の体力が尽きて倒れた時には部屋まで担いで運び、看病してくれた。ぐずぐずしていてご飯を食べ損ねた時にはこっそり、お菓子を食べさせてくれた。
でもそんなに面倒を見てもらったというのに、私は適合武器を見つけられなかった。不適合武器だとしても、他の女の子ならもっと順調に作業ができるのに、私は居残りをしてやっと八割方満たせるくらい。
あんなに目を掛けて指導してくれたのに、私の成績がよくなくて上官から苦言を呈された時には、「いつかフェリスの才能は芽生えます」と庇ってくれたというのに。
私は、恩を一つも返せていない。
でもジャネット様は私の謝罪を聞いた途端、きっと目つきをきつくして胸の前で腕を組んだ。
「いつも言っているでしょう。もし仕事がうまくいかなかったとしても、謝ってはなりません」
「……」
「私はあなたのためになることをなんでもした、あなたも自分にできる努力をした、しかし思ったよりも成績が振るわなかった。……それだけのことです。あなたが謝罪することではありません」
「……でも私、適合武器も見つかりませんし、雑用ばかりで……」
「あなたがやっているのは雑用ではなく、誰かがしなければならないひとつの仕事です。あなたが日なたに立つことは難しいかもしれませんが、あなたがその仕事に一生懸命取り組むから、他の神官が心おきなく自分の仕事に専念できるのです」
そこでジャネット様は薄い唇に、ほんの少しの笑みを浮かべた。
「……あなたは努力家で、優しい子です。自分を必要以上に卑下する必要はありません」
「ジャネット様……」
「でも、たまには休憩も必要です。……あまり顔色がよくありません。無理はせずに、自分の心と体を休めながら仕事に従事しなさい」
――ジャネット様の言葉に、ぴしっと背中を叩かれた気持ちになった。
昔から、ジャネット様は厳しいしずばずばものを言っていたけれどその言葉はいつも正しかったし、甘やかす時にはうんと甘やかしてくれた。
だから私はジャネット様が好きだし、そんな彼女を今でも恩師と仰いでいるんだ。
「……かしこまりました。ありがとうございます、ジャネット様」
「いいのですよ。……では私はこれから講義がありますので、ここで」
「はい。お忙しい中、足を止めてくださりありがとうございました」
私がお辞儀をすると、ジャネット様は一つ頷いてきびすを返していった。
……伯爵家の家族は冷たくて怖いし、神殿では息苦しくて辛い思いをすることもある。
でも、私は独りぼっちではない。
私を見てくれる人がいるから、辛い環境でも耐えることができた。