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27 ちいさな独占欲

 お互い既に夕食を取っているので、ジン様の入浴後、寝室に上がることになった。


「……あ、そうだ」


 使用人たちと一緒に詩文を読み、明日の予定を確認し合った後、思い出したようにジン様が声を上げた。


「母上から手紙が来ていたんだ。今度、フェリスを本邸に招きたいって」

「お義母様が……ですか」


 ジン様に言われて、お義母様――ライカ家当主の奥方の姿を思い浮かべる。


 色気のある美貌に、瑞々しい肌。年齢に関してご本人は「永遠の二十八歳」とおっしゃっていたけれど直後にジン様が「二十以上さばを読まないでくださいよ」と言ったため、息子の頭を扇子で張り飛ばしていた。


 お義母様にしても他のライカ家の方々にしても、結婚式の時以来ご無沙汰だ。

 というのも、ロウエンに来て日が浅い私が怖がったり緊張したりしてはいけないから、ということでお義母様たちの方から遠慮して、やり取りは手紙だけにしていたんだ。


「母上たちもフェリスのことを気にしているようだし、そろそろ顔を見せに行った方がいいと俺も思うんだ」

「そうですね。ずっとご無沙汰していましたし、是非ともお伺いさせてください」

「……本当に大丈夫?」


 ジン様に心配そうに言われて、私は微笑んだ。


 お義母様たちと話をしたのは数回だけれど、とても気さくで優しい人ばかりだった。

 ……全体的にテンション高めで特に女性陣の発言力が強いらしくて、末っ子のジン様はちょっと複雑そうな顔をなさっていたっけ。


 私はライカ家の嫁になったのだから、ご機嫌伺いをするのは当然のことだ。結婚式の時とかも、お義母様たちにはお世話になったものね。嫌々行くつもりは全くない。


 でも私の表情を見て何かを思い出したように、ジン様は片手を挙げた。


「あー……それが、母上はフェリスだけをご所望なんだ」

「えっ?」

「口を開けば馬か剣か戦術の話しかしない息子は、いなくて結構らしい。母上曰く、たまには女だけでのお茶会をしようということで……」


 ……ああ、なるほど。ジン様が躊躇いがちな理由が分かった。


 このお誘いの対象になっているのは、私だけ。ジン様はお呼びではないそうだから、側にいて私のサポートをすることができない。だから心配なさっているのだろう。


 ……確かに、ジン様がいないというのはかなり心細い。でも、「夫が行かないのなら私も行きません」はあんまりだし――


「もちろん、大丈夫です。参ります」

「……俺が言うのも何だが、なかなか個性が強くて厄介な人たちだぞ? ライカ家で俺や父上、兄上の発言力は皆無に等しいくらいなんだぞ?」


 さらに念を押された。


 ……ジン様はご自分の性格について「家族から何か強いられたわけではない」とおっしゃっていたけれど、個性的なお母様やお姉様方に囲まれるうちに、色々と悟ってしまったのかもしれないな……。


 まあ、それはいいとして。


「むしろ、個性的な方々と仲よくなれたらきっと楽しいですもの。それに、今後何かあった時に相談したり頼ったりできる相手は、早めに見つけておきたい気持ちもあります」

「……ふふ、それもそうだね。俺も四六時中君の側にいられるわけじゃないし……母上たちとフェリスが個人的に仲よくなっている方が、かえって俺も安心できるな」


 ジン様は微笑むと、「分かったよ」と頷いた。


「母上に諾の返事をしておくよ。日程は追って知らせるから」

「分かりました。……でも、そのお返事に私も一言くらい、書き添えてもいいですか?」


 私が申し出ると、ジン様は少し驚いた顔になったけれど、すぐに笑顔で頷いた。


「……君がそういうふうに提案してくれるのは、とても嬉しいよ。もちろん、君も一筆……いや、せっかくだから今度の休みに、一緒に書く?」

「書きましょう! 私、これでも字を書くのは得意な方なので!」

「それは心強いな。……母上たちの手紙の返事、いつも内容を考えるだけで頭が痛くなるから、これからはフェリスに任せてしまうかもね?」

「ふふ、どんどん頼ってください!」


 ……私はやっぱり、自分にできることを探したい。

 ジン様に頼るだけじゃなくて……ジン様の妻として支えて、時には頼ってもらえるようになりたい。


 ジン様は私の顔を見ると、なぜか少しの間表情を消して、考え込むように口元に手を宛てがった。

 ……どうなさったんだろう?


「ジン様?」

「ああ、うん、何でもないよ。……それじゃ、そろそろ寝ようか。フェリスは明日も朝から出勤だものね」

「はい。ジン様は……いつもよりは遅めに出るのでしたっけ?」

「うん、その代わり明後日の昼まで帰れないんだ。……その後になるけれど、君の初出勤記念お祝いでもしてあげようか?」

「滅相もありません……」

「遠慮しなくていいよ。君はとても頑張っているんだしいつも無欲なんだから、たまにはほしいものでも食べたいものでも、なんでも言ってよ。俺がこれまでずっと金庫で腐らせていた財産の山を崩して、君へのご褒美を買うから」

「そこまでしなくても……あっ」


 ご褒美、と言われて思いついたことがある。


 目敏くジン様が見つめてきたので、ちょっと恥ずかしくなりつつ……私は、ジン様の部屋着の裾を軽く引っ張った。


「そ、それじゃあ……お金のかかるものじゃないので、今すぐほしいものがあるんですが、いいですか?」

「無料の? ……あっ、さては……俺からの愛情、とか?」


 ひらめいた、とばかりに手を打ち、ウインクを飛ばしてきた。

 愛情……当たらずとも遠からず、だ。さすがジン様、とても鋭い。


「似たようなものです」

「えっ?」

「……ぎゅっとしてくれませんか?」


 思いきってお願いした。


 最近、思っていたんだ。

 ジン様は私にたくさんの愛情をくれるけれど、はたして私の方からちゃんとお返しができているのだろうか、って。


 私も……少しずつジン様のことを知っていっている段階だけど、もっと触れたい、もっとジン様との距離を詰めたい、って思っている。


 いきなり色々進めるのは……さすがに緊張するし、ジン様も嫌な顔をするかもしれない。

 でも、ハグくらいならきっとお互い大丈夫だと思う。お互いの温もりを分け合えたら……きっととても、幸せになれるから。


 そんな気持ちを込めてジン様を見上げると――あ、あれ? ジン様、無表情になった……?


 ジン様はその後、数秒ほど固まっていた。

 元々美形なので、口を薄く開いたまま静止している姿も美術品みたいにとてもきれいだけれど、大丈夫かな……?


 数秒後、ジン様ははっとしたように私を見てきた。


「……ああ、ごめん。フェリスがあまりにも可愛いことを言ってくれるから、ちょっと驚いてしまったみたいだ。それで……ええと、ぎゅっとする件だったかな?」

「はい。もちろん、ジン様がお嫌でなければ、の話ですが……」

「嫌なはずがない。大歓迎だよ!」


 弾んだ声で言ったジン様は、かつてないほど嬉しそうに顔をほころばせて、私の両手を取った。

 大きな両手に包まれると、私の手はすっぽりと埋まってしまう。そのことに気恥ずかしさを感じつつ、私は誤魔化すように早口に言った。


「そ、それはよかったです。それじゃあ、ぎゅってしてくれますか?」

「うん、もちろんだよ。……ほら、おいで?」


 手を離して、後退したジン様が腕を広げる。


 ……その姿を見ていてふと、何人かの女性の姿が私の脳裏を掠めた。


 まずは、母。もう記憶はおぼろげになっているけれど、幼い頃に帰宅した私を、こうやって母が抱きしめて迎えてくれた。


 それから、ジャネット様。神官としての訓練がうまくいかなくて物陰で泣いていたら、私を捜しに来たジャネット様がこうやって腕を広げて、抱きしめてくれた。


 そして今は……ジン様が、私を迎えてくれる。


 ぐっと足に力を入れて前に踏み出し、ジン様の胸に飛び込む。「おっと」と言いながらもジン様は容易く私を受け止めて、ぎゅっと抱きしめてくれた。


 いい匂い、優しい匂いがする。

 私の服に使っているのと同じ石けんの香りの中に、別の匂いが混じっている。これは……ジン様の匂い?


 温かくていい匂いのする胸元に頬ずりしてすんすんと匂いを嗅いでいると、私の目の高さにあるジン様の胸が震えて、くつくつと笑う声が頭上から降ってきた。


「フェリス、甘えん坊な子猫みたいだね」

「……だめですか?」

「……だめじゃないよ。君を抱きしめるのは、俺の特権だ。だから、たくさん甘えてね?」

「……はい」


 ……さっきジン様は、執着についての話をなさっていた。

 その時の私は、どこか他人事のように話を聞いていたけれど……こうしてジン様に抱きしめられていると、他人事ではいられないと気づいた。


 私も、すっかり執着してしまっている。

 この人に抱きついていいのは私だけ、ということが……とても嬉しかった。

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