26 これからもこんな日々を
その後、昼食休憩を挟んだ午後の勤務で、私はやっと剣一振りに退魔の力を満たせた。
最初に三振り割り当てられたのに三分の一しかできなかったのでしょぼんとしながらリーダーに報告したけれど、彼女も最初から多めに渡していたようなので、特に何も言わずに剣を受け取ってもらえた。
「んじゃ、今日の勤務はここまで。また明日、ご苦労さん」
「ありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
挨拶をしてお辞儀をすると、作業部屋を出たソイルはヒラヒラと手を振ってから去っていった。毎日帰宅する私と違い彼は宿舎棟で寝泊まりしているようなので、向かう先が違った。
管理係に退勤報告をした私はうーんと背伸びをして体中の筋肉をほぐし、玄関に向かった。
うん、今日一日、よく働いた!
作業中はほぼずっと同じ姿勢でいるから背中や腕は少し痛いけれど、明日の朝筋肉痛で動けないほどでもないだろう。
玄関では既にライカ家の馬車が待っていて、駆けつけてきたマリカが荷物や上着を受け取ってくれた。
「お疲れ様です、奥様。初日はいかがでしたか?」
「なかなか楽しかったわ。指導係の人も、個性的だけどおもしろい方で……あ、詳しい話は帰ってからがいいかしら?」
「そうですね。旦那様も、奥様のお話を聞きたがってらっしゃるでしょうし」
マリカに笑顔で言われて、そういえば今日のジン様は勤務時間の変更を願い出て夜には帰れるようになさったのだと思い出す。
本当なら今日のジン様のお仕事は泊まりの予定だったけれど、私が神子として初めて働くため、時間を調節して帰宅し、ゆっくり話し合える時間を確保してくれた。
そうしてお風呂に入って夕食を取った後、ジン様が帰宅した。
「おかえりなさいませ、ジン様。お疲れ様です」
「……ただいま」
いつも通り私が玄関まで行ってお出迎えをすると、戸口に立っていたジン様はなぜか、ものすごく複雑そうな目で私を見てきた。
……あ、あれ?
なんだか、あんまりいい表情じゃないけれど……?
もしかしたら、私が神子として働くことにやっぱり不満がおありなのかもしれない。
そう思ったけれどジン様はつかつかと歩み寄ってくると私の肩を掴み、くるくるとその場で回転させた。
「え、え……え?」
「不調は……なさそうだな。顔色も悪くないし、大丈夫みたいだね」
最後に私の目を覗き込んでから、ジン様はようやく落ち着いた様子で私の肩から手を離してくれた。
……ひょっとして、初出勤を終えた私がくたくたになっていないか心配してくださったのかな?
「あの、ジン様。私は至って健康ですよ」
「本当は今にも倒れそうだけれど、俺を出迎えるために体に鞭打って起き上がってきた……ということもない?」
「ないですないです。夕方の定時には上がれましたし、見ての通りぴんぴんしていますよ」
今まで一度も働いたことのない深窓の令嬢ならともかく、私は同じ作業をノックスでもやっていた。むしろ、あの頃の方が精神的にも参っていて疲労も激しかったくらいだ。
そういうことでまだまだ元気な私ははい、といつものように両手を差し出すけれど、なかなかジン様は荷物を渡してくれない。それでもと粘っていると根負けしたようで、渋々鞄を渡してくれた。
「実は今日の仕事中、君が社でうまくやっていけているかどうか、辛い思いをしていないかってずっと考えて、手許が疎かになってしまったりしたんだ」
「えっ……すみません、ご心配をお掛けして」
「いや、俺の方こそごめん。これじゃあ、妻のことを信じていないみたいだものね」
ジン様はそう言って苦く笑うと、私と肩を並べて歩きながら質問してくれる。
「それで、今日の活動はどうだった? 神子としてやっていけそう?」
「はい! 私の担当にはソイルさんという方がついてくださって……」
私が今日の出来事を語るうちに、ジン様の表情が和らいでいった。
いつの間にか廊下の真ん中で足を止めて語りに没頭してしまったけれどジン様も隣に並んで、うんうん頷きながら話を聞いてくださった。
「……あ、すみません。こんなところで立ったままでしたね……」
「気にしないで。……君が生き生きとした表情で喋るのを聞くのも楽しかったし……なんだかこういうの、いいなぁって思ったんだ」
「こういうの?」
具体的にどれを示しているのか分からなくて尋ねると、ジン様は私を居間に誘い、椅子に並んで腰を下ろしてから言葉を続けた。
「俺は侍従兵を統べる立場にあるけれど、うちの部隊には俺よりも年長の隊員がたくさんいる。彼らには既婚者も多くて、よくのろけ話を聞かされるんだ。やれ、家に帰ったら嫁さんの笑顔に癒されるだの、出勤したくなくなるだの。それを聞いていた俺は、そんなもんなのかな、ってぼんやりと思っていたんだ」
そう語るジン様の横顔は、穏やかだ。
……そういえばお義母様たちもジン様の結婚についてはやきもきしていたようだけれど、ご本人はそれほど関心もなかったみたいでのらりくらりかわしていたんだっけ。
「でもね、君と結婚して彼らの気持ちが分かったんだ。……奥さんの顔を見たい、話を聞きたい、こうして隣に並んで、ゆっくりしたい、ってね。……正直、自分にもこういう感情があったんだって、びっくりしている」
「びっくりするのですか?」
「うん。俺、元々あまり物事に執着しないたちなんだ」
ジン様は言って、静かに進み出てきた使用人に二人分の茶の準備をするように頼むと、私を見つめてきた。
「冷めている……とはちょっと違うかな。多分、あんまり他人を信用していないんだと思う。期待をしてもしょうがないし、何かに打ち込んだからって人生が変わるわけでもない、って諦めていたというか」
「……そうなのですね」
「うん。ああ、でも別に、家族から何かを強いられたとかってわけじゃないよ。どちらかというと……こうやって何でもそつなくやって、ひとつのことに執着するんじゃなくてふわふわとしている方が楽だって気づいた、みたいな。仕事だけは自分が望んだものなんだから張り切るけれど、他のことはまあいっかなぁ、みたいな」
「……」
「でも、そんな俺も君には……執着してしまうみたいだ」
なかなか物騒なことを言うわりに、ジン様の目は笑っている。
これまで知らなかった自分の新たな側面に気づいて、照れているような、安堵しているような、そんな表情だ。
「もっと、君と過ごす時間がほしい。もちろんお互い仕事があるんだから、それをほったらかしたいというわけじゃない。……忙しくてもこうして話をする時間を持って、できるだけ一緒に食事をして、寝る前には挨拶をして。こういう生活をこれからも続けていきたい、って思うようになったんだ」
「……そ、そうなんですね」
「君は? もし君も、ちょっとでも同じような気持ちを抱いてくれているのなら嬉しいな」
いたずらっぽく言うけれど、きっとかなり真剣だし……私がどんな反応をするのか気にしているというのが、瞳の揺らぎから分かる。
完璧で、何でもできて、達観している人だと思っていた。
でも……違うんだ。
ジン様だって「これがしたい」という気持ちはあるし、自分が向けた気持ちと同じものを相手から返されたいって思う。
もちろん、私の返事は――
「……私も同じです。私も……こういう生活をこれからも続けていきたいです」
「フェリス……」
「始まりは私のうっかりかもしれませんが、いつかこれも笑い話になればと思っています」
「……ふふ、それもそうだね」
ジン様はそれまで瞳に浮かべていた緊張の色を落とすと、艶っぽく笑った。
そして使用人からお茶入りのカップを受け取ると、一つは私に渡して、もう一つの中身を啜った。
「……ああ、お茶がおいしいね。フェリスはこの味に、慣れた?」
「はい。最初はちょっと苦いと思っていたのですが、だんだん甘さも感じられるようになりました」
「ああ、それは俺にとっても嬉しいな。……もしかしたらこのお茶がこんなにおいしく感じられるのも、隣に奥さんがいるからかもね」
「そ、そんなことありません!」
からかわれたので声を上げると、ジン様はくつくつと笑って残りのお茶を一気に飲んだ。
猫舌じゃないのが、羨ましい。私は何度もふうふうと息を吹き掛けて冷ましてからでないと、飲めないのにな。




