23 ジンと過ごす時間②
「もう、自分のことを必要以上に卑下したらだめだよ」
「……」
「遠慮が必ずしも美徳になるとは限らない。ロウエンでは、言葉には不思議な力が宿るとされている。自分はやればできる、と言い聞かせ続けるとやればできるようになるし、自分は愚かだ、と言っていると本当に愚かになってしまう」
「……」
「君にはもっと、可能性があるはずだ。その芽を、自ら摘み取るような真似はしない方がいい……いや、しないでほしい」
少し苦しげなジン様の言葉に、私の心臓が小さく悲鳴を上げた。
何をもって今、彼は言い直したのか、少し考えれば予想はできた。
言っている内容は教え諭すような感じなのに……こんなに寂しそうに願うように言われると、胸の奥が苦しくなってくる。
ノックスにいる頃は、辛いことがあっても一人背中を丸めて耐えるしかなかった。
私がいけない、私が悪い、と思った方が気が楽になるから、楽な方に逃げていた。
そうして傷つくのは、自分だけだったから。
でも……今の私は、違う。
私が傷つけば、未来の芽を摘み取れば、悲しむ人がいる。
悲しんでくれる人がいる。
ごめんなさい、ジン様。と言おうとしたけれど一旦口を閉ざして、再び開く。
「……おっしゃるとおりです。ありがとうございます、ジン様」
「俺の気持ち、伝わったかな?」
「ええ、とても」
私が微笑むと、ジン様も少し強張っていた表情を緩めて、ほっと息をついた。
「ああ、よかった。……やはり君は、こうして笑っている方がいい。……俺も、君のそういう笑顔がとっても素敵だと思うよ」
「あ、りがとうございます……で、でも、いきなり言われると……恥ずかしいです……」
言いながらますます恥ずかしくなってきて、私はとうとう反論の言葉も出てこなくなって口をぎゅっとつぐんでしまった。
ノックスの守護神官の女性は、清楚純真を求められる。心に決めた男性のもとに嫁ぐまで、不純異性交遊は禁止。
男遊びをした神官はもちろん、彼女が神官だと分かっていて手を出した相手の男にも罰が与えられるので、神官たちは恋愛のあれこれへの耐性が非常に低いものだった。
一応、教養として異性交遊のススメや結婚後の生活について、どのようにして子どもが生まれるのか、ということは教わっている。
といっても生々しい恋愛についての話を聞く機会はないけれど、俗な内容の書物でも検閲が通ったものは読むことが許されていたので、数少ない恋愛小説を回し読みするくらいだった。
そういう環境で生活してきた上に、残念ながら私は異性からモテるような見目や性格でもなかったため、甘い言葉を囁かれたことなんて一度もなかった。
たまに「よくできました」や「すごいですね」などの褒め言葉はもらっていたけれど、ジン様の囁く「素敵だよ」の爆発力とは比べものにならない。
「……ジン様はそういうことを言うのに、抵抗がないのですね! 慣れてらっしゃるのでしょうか!」
照れ隠しもあって思わず可愛くないことを言ってしまい、すぐに後悔した。
こんな言い方だと……まるで、ジン様が遊び人であったことを邪推しているみたいだ。
ジン様に対して、失礼なことを言ってしまった。いつも飄々としているジン様も、さすがに怒るかもしれない。
そう思うとひゅっと心臓が縮んで、体の温度が下がったような感覚に襲われた。
そうして反射で謝罪しそうになったけれどジン様は短弓をぴっと縦に持ち、ふふっと妖しげに笑った。
……あれ? むしろなんだか、嬉しそう……?
「ふうん……なるほど。つまりフェリス、君はやきもちを焼いたと?」
「……そ、そういうわけで、は……あれ? そういうわけかも?」
思わず反論しそうになったけれど、言いながら、あれっと思う。
やきもち……つまり、ジン様に華やかな恋愛経歴があった場合、相手の人に嫉妬してしまうということ。
ジン様にそう言われて、私の中ですとん、と何かが落ち着いたかのように感じられた。
私は……ジン様が「慣れている」と思うと、悔しくなった……?
抵抗をやめて私が黙って考え込んでいると、ジン様は小さく噴き出して身を屈めてきた。
「あはは、今の顔、すごく可愛いよ。きょとんとしていて、あどけなくて……すごく、いいね」
「ひゃっ!?」
最後の一言は、左耳に直接呼気を吹き込もうとしているかのように囁かれた。
温かい吐息が耳朶に触れて、思わずはしたないほどびくっと体を震わせてしまう。実は……耳、弱いんだ……。
私がじっと睨むとジン様はくつくつと笑い、弓を棚に戻した。
そうして肩をすくめた変な格好で硬直する私の背中をとんとんと優しく叩いてくれる。
「質問に答えようか。……俺、残念ながら女性の扱いはあまり得意じゃないし、慣れていないんだよね。そういう経験がないから」
「嘘っ!?」
「えっ、そんなに手慣れているように見えた? ライナンと同じにしないでほしいな」
思わず声を上げると、ジン様は口ではそう言いながらも楽しそうに笑っていた。
ライナンと同じ、ということは彼はそれなりに遊んだ経験があるのだろうか。確かに、キオウ様はフットワークが軽くて人付き合いがよさそうな感じはしていたけれど……。
「俺、子どもの頃から皇族に仕えることを目指していてね。ライカ家の者として両親からも期待されていたけれどそれ以上に、俺自身が侍従兵になりたいと思っていた。俺は基本的に何でもできたし、希望の職にも就けたし、別に恋愛にのめり込まなくてもいいなぁ、って思っていたんだ」
「……。……ひょっとして、ですが。ライカ家の奥様が私のことを歓迎してくださったのにも、関係が……?」
挨拶の際にお義母様に、「末息子の嫁は剣か馬かと思っていた」と言われた時にはぽかんとしてしまったけれど、なるほど、そういうことね。
「……。……すみません、疑うようなことを言って」
「いや、妬いてくれたみたいだから俺はむしろ嬉しいよ。これからも、気になることや思ったことがあればどんどん言うんだよ」
棚の扉を閉めたジン様に言われて、私は笑った。
笑わなければ、と意識する必要もなく、自然と笑みがこぼれた。
「はい、そうさせてもらいます」
「よろしい。……それじゃあ、今日は君も外出して疲れただろうし、そろそろ休もうか」
「はい。……今日、マリカたちがジン様と私の部屋それぞれに、新しいお香を焚いてくれているそうです。柑橘っぽい匂いがする、安眠効果のあるお香だそうですよ」
「へえ、それは楽しみだね。……甘い匂いがするのなら、夢の中に柑橘が出てくるかもしれないな」
「ふふ、それは素敵な夢ですね」
そんな言葉を交わしながら、私たちは居間を後にする。
二人の間の距離は、それこそ大粒の柑橘類一つ分ほど。
それくらいの距離が、今はとても心地よかった。




