20 神子の社にて
ロウエン帝国で退魔武器を作る、神子たち。
彼らの活動場所である「神子の社」は帝都のほぼ中央に位置しており、屋敷からそこまで馬車に乗って四半刻ほどだった。
「わあ……なんだか、とても広々とした場所なのね」
屋根なし馬車の枠に手を掛けた私が神子の社の区域を見た感想を言うと、付き添いのマリカが頷いた。
「はい。神子様方が休憩時間に散策できる庭園、馬と共に走れる馬場、日なたでお昼寝ができる場所なども広く設けております」
「お昼寝の場所まであるの!?」
「もちろん。神子様方は、ロウエン帝国のために働いてくださります。神子様方が心身共に健康な状態でお勤めに向き合えるようにされているのです。区域内には書庫や遊技場もあるのですよ」
「遊技場まで……」
それは……ノックスの神殿しか知らない私からするととんでもないことだった。
ノックスは規律に厳しくて、神殿も「神官の聖なる職場」という扱いだった。そういうことだから、神官たちは衣食住には絶対に困らないようになっている一方で、遊技にふけることは許されなかった。
たまに神殿での生活に嫌気が差して脱走する神官もいたみたいだけど、彼女たちの脱走理由の多くは「恋がしたいから」で、「自由に遊びたいから」という者も少なからずいるみたい……ということを先輩神官が教えてくれた。
外出なんてもちろんだけど読書でさえ、上の人たちの検閲に通ったものでないと読むことが許されなかったんだよね……。
そんなノックスと比べると、遊技場も昼寝場所もあるなんて……開放的すぎて逆に落ち着かなくなりそう。
「ロウエンは、結構開けた感じなのね……」
「私は、こういうものだと思っていましたが……やはり国が違うと、色々と変わるものなのですね」
「そうね。私も初めて知ったわ」
ノックスにいる頃は、知らなかったことがたくさんある。毎日、新鮮な驚きや勉強の機会に溢れている。
もっと、たくさんのことを知りたい。
誰かに強制されて働かされるのでも、学ばされるのでもなくて。私自身の意志で、「知りたい」と思えた。
神子の社は敷地面積はかなりのものだけれど、それでもやっぱりロウエン帝国の建物らしくぺたんとした平屋構造だった。
どうやら平屋の中でいくつもの壁で部屋を仕切っているようで、その内部は廊下というものが少なくて、蜂の巣のような構造になっているそうだ。
今朝、私はジン様の仕事の時間に合わせて屋敷を出発したので、社の入り口の門の前に着いた時にそこには、部下を連れたジン様の姿があった。
私は私的な用事で社を訪問するので、紫色のシエゾンと薄赤色の下衣という華やかな衣装を着ていて、マリカに頼んで緩くまとめた髪には螺鈿細工の美しい髪飾りを挿している。
手荷物品はマリカが「貴族の奥方の標準装備です」と言う扇子だけで、その他の身だしなみ品やハンカチなどは全てマリカに持たせている。
一方のジン様は、前にも見た武官装束姿だ。濃い青色のシルゾンは侍従兵隊長という彼の身分を表すようだけれど、引き締まった体躯と爽やかな美貌によく似合っている。
腰に提げた剣は前に見たものほど立派な装飾は付いていないけれど、柄の部分から玉飾りのようなものがぶら下がっている。マリカが言うに、あのアクセサリー一つ一つが彼の身分や立場を表しているそうだ。
結わえた髪の房を靡かせて、ジン様が振り返った。視線を受けたので私が片手を挙げて応じると、ジン様は目を丸くしてからふわりと微笑んだ。
「やあ、フェリスじゃないか。こんなところで、奇遇だね」
手にしていた馬の手綱を部下に預け、ジン様がこちらに歩いてくる。
一応私たちは、「夫婦が偶然、社で顔を合わせた」という設定になっているから、彼はしれっとして演技をしている――けれど、背後にいる部下たちはやれやれと言わんばかりに苦笑していた。
皆、分かっていて「設定」に付き合ってくれているんだろうね。
素知らぬ顔で演技をするジン様の姿に思わず笑いそうになりながら、私は広げた扇子で口元を覆った。
「ええ、お疲れ様です、ジン様。私は、是非とも神子の社に訪問したくてマリカを連れて来ました」
「そうだったのか。ちょうど俺も神子長に用事があるし、一緒に挨拶に行こうか」
「それはよい案ですね」
しらじらしく演技をする私たちを見て、マリカは苦笑しているし数名の部下たちは肩を震わせて笑っている。
ジン様に笑顔で手を差し出されたので、私は彼の腕に軽く掴まった。ノックスの宮廷でも同じようなエスコートをするけれど、あちらでは夫婦がほぼ横に並んで歩くものだ。
一方のロウエンでは妻が夫の半歩後ろをくっつく形になり――いつでも夫が抜刀したり妻を後ろに庇ったりできるようにしている、という点がノックスとは違うようだ。
神子長様は既にジン様との連絡を通していたようで、門をくぐった先の大階段の上で私たちを待っていた。
白いシルゾンに、立派な装飾入りの帯。髪も髭も白くて、年齢は六十歳くらいに見える。
そんな、ノックスではまず存在しない男性神子の彼は、柔和な笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「ようこそお越しくださいました、ジン・ライカ様。そちらの女性は?」
「失礼する、ヨノム導師。いつも通り、侍従兵団の退魔武器についての相談に来たが……ちょうどそこで、妻と合流した。紹介させてくれ。妻の、フェリス・ライカだ」
「お初にお目に掛かります、ヨノム様。フェリス・ライカでございます」
ジン様に促されたので挨拶をしてお辞儀をすると、ヨノム導師様は顔に皺を寄せて微笑んだ。
「おお、あなたが噂に聞くノックス人の奥方ですね。よろしくお願いします、ヘリス様」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
お辞儀をして、私は一歩下がった。
……ちなみに今彼は私のことを「ヘリス」と呼んだけれど、ロウエンには元々「フェ」や「ファ」という発音のものが存在しなかったため、異国の言葉遣いに慣れた者でないとうまく発音できないらしい。
ジン様は一発で「フェリス」と呼べたけれど、それは彼が侍従兵隊長として異国の文化をしっかり学んできたからだ。
既に話は通っているはずだけど「設定」のためにしらじらしく挨拶をした後、私はジン様とは別行動を取ることになった。
「君の案内は、導師に任せようと思う。俺は、退魔武器の貸与管理者と話をしに行く。マリカと一緒に、回ってくれるか?」
「もちろんです。……お話を付けてくださり、ありがとうございました」
「妻のためだ。どうってことないさ」
小声で礼を言うと、ジン様はきれいに笑ってぱちっと片目を瞑った。
……本当にさりげない動作だったけれど、不意打ちのウインクを受けた私の心臓は、どきっと高鳴っている。
ノックスではこういう気障な仕草をする人はあまりいなかったから、慣れない私はすぐに心拍数を上げてしまう。
でもジン様は私の動揺に気づいた様子もなく、すぐに表情を改めて「侍従兵隊長」の顔になり、部下たちを連れて社の奥に向かってしまった。
「さて……それでは、ヘリス様。ヘリス様のご案内はわたくしめがさせていただきますが、この老骨でよろしいでしょうか?」
ヨノム導師様に尋ねられたので、私は顔の前で手を振った。
「とんでもないです。むしろ、ご多忙でしょうに私のために時間を割いていただき、ありがとうございます」
「いやいや、ノックスの守護神官様をご案内できるなんて、誇らしいことです。こちらこそ、ヘリス様からノックスの神殿についてお伺いしたいと思っていたのですよ」
「……そうですか」
ヨノム導師様に純粋な好奇心を向けられているのが分かって――ちくり、と胸が痛んだ。
ジン様もさすがに導師様には、私がノックスでは落ちこぼれ神官だったことを教えていないだろう。
となると、彼には無意味な期待をさせてしまうことになる。
……でも、私は退魔の力を授けるという点では落ちこぼれだったけれどその分、座学や神学は誰よりも頑張っていた。
自分の才能が今ひとつであることは、仕事を始めて間もなく分かった。ジャネット様もそれには気づいたようで、「ならば誰よりも、座学で多くを学びなさい」と勧めてくださったんだ。
だからノックス神殿の歴史や神と魔物の戦いの記録について人一番熱心に学び、神殿騎士から兵法の基礎なども教わった。
武器の手入れのし方や魔物たちの特徴について調べて、魔物と戦った経験のある騎士には積極的に体験談を求めた。
おかげで私は肝心の仕事に関してはへっぽこだったけれどその代わりに、知識の量では同世代の同僚にも負けなかったし、あの伯爵でさえすらすらと神殿の歴史を読み上げた私を見て、難しそうな顔で頷いていた。
だからきっと、大丈夫だ。




