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14 ロウエン帝国のフェリス②

「あら、奥様。日向ぼっこですか?」


 空を見上げながらこれまでのことを思い返していると、背後から呼ばれた。

 この屋敷はジン様の邸宅なので、「奥様」と呼ばれるのは私一人しかいない。


 奥様、と呼ばれるのは今も少しだけくすぐったいけれど、貴族に嫁いだ女としてしっかりするべきだと思い、振り返る。


「ええ。今日はとても風が気持ちいいから。マリカもどう?」

「ではせっかくなので、お隣失礼します」


 そう言って、侍女のマリカが私の隣に腰を下ろした。


 マリカ・シャクサイはジン様の屋敷に仕える侍女で、元々はライカ家本邸でジン様のお姉様の世話をしていたそうだ。でもお義姉様が結婚して家を出ることになり、ジン様の屋敷に転勤になったという。


 艶のある黒髪に、目尻の垂れた一重の黒い目。

 チークをはたかずとも頬はほんのり赤くて、愛嬌のある顔立ちをしている彼女のような人のことを「ロウエン美人」と言うらしい。


 今年で十九歳になったということで私とも歳が近く、私が嫁いで間もなくこうして一緒に過ごす仲になった。

 ノックスでは奥様と侍女が並んで座るなんてあり得なかったけれど、ロウエンではその辺は緩いらしい。


「今日は旦那様は、夕餉の頃にはお戻りになるそうです」

「そうなのね。それじゃあ、今日はご飯をご一緒できるのね」


 マリカに教えてもらえて、私はほっとした。


 侍従兵隊長という立場にあるジン様は、魔物退治のために遠征することはほとんどない。その代わりに帝城内の兵士たちを監督する立場にあるため、毎日屋敷に戻ってこられるわけではなかった。


 この一ヶ月でも、私がジン様と一緒に夕食を食べられたのは、両手で数えられるか数えられないかというほどの回数だ。

 泊まりがけで三日ほど帰ってこない時もあったので、ジン様が疲れてふらふらになっていないかと思うと心配になる。


 マリカはそんな私を見ると、ふふっと可愛らしく笑った。


「……ご存じですか? 旦那様がこうしてまめに屋敷に戻るようになったのは、奥様と結婚してからなのですよ」

「……あ、そういえば、厨房の人たちもそんなことを言っていたわね。とても忙しいのよね」

「ええ。でも……どちらかというと旦那様は、いちいち屋敷に戻るよりも帝城にあるご自分の執務室で寝泊まりする方が効率がいいから、そうなさっていたようです」


 そこでマリカは耐えきれない、とばかりにくすくすと笑い始めた。


「まさか、あの仕事漬けで他人に関心の薄い旦那様が、こんなにまめに帰宅なさるようになるなんて……さすが、奥様の愛の力ですね」

「そ、そんなことないわ。きっと……そう、私が屋敷で変なことをしていないか心配なさっているだけよ」


 慌てて言ったけれど、マリカは「どうでしょうね?」と笑っている。


 私たちのなれそめについて、ロウエン帝国では「お互いの一目惚れ状態」ということにしていた。

 私がハンカチを贈ってしまった事件については一足先に連絡が行っていたので、ジン様の家族たちもはらはらしながら息子の帰国を待っていたそうだ。

 そういうこともあり私たちは、「先に見惚れたのはジンの方だが、行動を起こしたのはフェリスが先だった」ということにしたのだ。


 ノックスでは女性の方から結婚を迫るのははしたない、という考えだったけれど、ロウエンではそうでもない。

 むしろお義母様たちは、「息子にぐいぐい迫ってくれるお嬢さんがいてよかった」と楽観的に捉えてくださっているようなので、私としてもありがたかった。


 ……とはいえ、私たちはいわゆる恋愛結婚だということになっている。


 まさか「始まりはうっかりだったし、お互いに利益があるので結婚しました」とは言えないので、マリカたちも旦那様と奥様の電撃結婚を信じているのがちょっと申し訳ない。


「まっ、そんなことありません……いえ、あるかもしれませんね。旦那様が不在の隙を衝いて、奥様に岡惚れした男が屋敷に入り込んでいないかと、心配なさっているのかもしれません……」

「それはないと思うわ……」

「分かりませんよ! ……まだお二人は別室でお休みになっていますが、いずれ旦那様が奥様を寝所に召された時のために、今からどんどん魅力を磨いていきましょうね」


 最後の方は耳打ちするように言われて、ついじわっと頬が熱くなってくる。


 ……そう。

 結婚して一ヶ月になるけれど、私はまだジン様と「そういう関係」になっていないし、寝所も別にしている。


 恋愛結婚なのにどうして、と言われるのだけれど、これは「妻がロウエンに馴染むまでゆっくり待ちたいし、まずは恋人同士のような関係から始めたいからだ」とジン様が言ったことであらゆる人々を納得させられた。


 ノックス王国で恋に落ちた二人は離れがたくなり、結婚を約束した……が、当然恋人期間を経ないで結婚するので、いきなりアレコレするのは気恥ずかしい。


 それに妻もまだロウエンに馴染みきれていないので、まずは同じ屋敷で暮らしながら恋人の時間を過ごし、気持ちが通ったところで夫婦として少しずつ段階を踏んでいくことにした――という設定で過ごすことになったんだ。


 この設定は私としてもありがたいので、当分はこの内容で過ごすことにする。でも……もし、ジン様の方からお呼びがあれば。


 私は腹を括って、寝所に行くつもりでいる。

 私は、居候だ。私もジン様もお互いを利用しているけれど、明らかに私の方が彼に依存している状態だ。


 その既に偏っているバランスをよくするために――私は、彼が命じることなら一切逆らわない覚悟でいる。


 子を産め、と命じられたら期待に応えられるように努力するし、顔を見せるな、と言われれば屋敷の奥に引きこもって顔を見せないようにする。

 出ていけ……という命令は少し悩むけれど、逆らえる立場ではないと分かっているからきっと、大人しく出ていく。


 ……それでも、神官として清く生きてきた私が困らないように、ジン様の方から適度な距離を置き、少しずつ関係を深めようとしてくださっている。


 その気遣いが、とても嬉しかった。

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