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戦いの鐘が、鳴り響く


 アーフェンの村に魔人族襲撃。兵士は全滅し、村人は全員捕獲されたとの報はキール王国を回っていった。


 


 アーフェンの村といえば、一昔前に魔人族の王が腰を据えていた場所。


 


 人々は口々に魔人族の王の復活を噂し、そしてその影に怯えた。


 


 誰もが恐れる魔人族の王。


 


 果たして、人はなぜ魔人族の王と言うだけで恐れおののくのか。


 


 


 


 


 



 


 


 


 


 王都キール。


 北に位置するアシュタロト王国との国境でもあるアゼナ連峰を背に聳え立つキール城は、思わぬ敵の襲来と情報不足にいつも以上に慌しくなっていた。


 勇者によって撲滅された魔人族の残党らしいとい情報からして本当かどうか疑わしいが、アーフェンに派兵した兵士が全滅したという事実には変わりなく、兵士たちにも不安という波が波紋のように広がっていった。


 短い平和だったのだろうか。


 玉座で思い悩む桐継王子の前に、ひとりの老騎士が颯爽と現れた。


 その老騎士は重々しい鎧独特の足音を謁見の間に高々に響かせ、桐継の目の前まで来ると跪いた。



「王子にお願い申し上げます」


「小林か。……言ってみろ」



 恭しい態度で頭を上げた小林源三郎はその静かながらも力強い声で王子に向かう。



「この度の魔人族の件。どうかこの私めにお任せを。魔人族の残党など、この小林が切り捨ててご覧に入れましょう」


「現地の情報がろくにないこの状況でか? 完全主義のお前らしくもない。確かお前の息子がアーフェンの派兵に組み込まれていたな?」



 源三郎の顔が強張る。が、それも一瞬のこと。


 さすがというべきかなんというべきか。桐継は源三郎に聞こえないように小さく息を吐くと、玉座から立ち上がる。



「父たる国王陛下はいまだご病気から立ち直れず。いや、もしかしたらもう二度と自分の足で立つことすらできないかもしれない。……できればその前に婚儀だけでも見せて安からかに逝ってほしかったのだが、現実はそう甘くはないか」


「王子。国王陛下がまだ死ぬものと決まったわけではありませぬ」


「小林。それは本心か?」



 どこか愁いを帯びた表情を向ける桐継に、源三郎は静かに頭を垂れた。



「勝算はあるのか?」


「なければお願い申し上げませぬ」



 ふぅ、と桐継が諦めたように息を吐く。ドッと玉座に勢いよく座り込み、瞼を閉じる。



「わかった、お前に任せよう。部隊も好きなように組むと良い」


「ありがたき幸せに御座います。この小林、必ずやキールに朗報を届けましょうぞ」



 礼をした源三郎はすぐさま踵を返し謁見の間から出ようとし、



「小林」



 桐継に呼び止められる。振り返った源三郎に、桐継は一言。



「死ぬなよ」



 源三郎は万感の思いを込めて一礼し、その場を後にした。


 


 























 


 マリンは一人、暗闇の広がるフォベイン城を歩いていた。


 向かっているのはマクギリスのいる王座。


 ユーリたちが動き出したことをいち早く伝えるためだ。


 廊下を怪しく照らす蝋燭の火。それが一瞬激しく揺れたとき、マリンはその足を止めていた。



「なにを急いでるんだ?」



 声はどこからか。ほんの少し先が闇であるこの状況で、その声の主の姿は見えない。


 が、マリンにはわかっているのか。わずかに視線を左にずらし、忌々しげに口を開いた。



「……天音時谷、ですか」


「おう、天野マリンに名前を覚えててもらえるなんて至極だね~」



 からからと笑う男の声に、マリンは腹立たしげに目を細める。



「戯言を抜かすためにわざわざここまで来たわけではないのでしょう? 何用です」


「うはっ、怖い怖い。駄目だよ~、マリンちゃん。そんなに怒ってるとそんな歳で皺いっぱいになっちまうぜ?」



 マリンは虚空に右手を伸ばし、印を組む。すると突如その空間が淡く輝きだし、そこから一本の槍が現れた。


 それを無造作に掴み取り、その切っ先を左の暗闇へと向ける。



「私を侮辱しに来たならば、相手になります。あなた如き輩、一瞬で冥界にお送りしてあげますよ」


「おいおい、いきなり臨戦体勢か? ま、俺としてもあんたを半殺しにしてペットにするっていう案も悪くはないんだがな」



 脈動する気配。


 あまりに激しい二つの殺気に、廊下の蝋燭の炎が煽られ消えていく。


 視界は闇。が、生粋の魔人族にして闇の住人である二人にとって暗闇など不利にはなりえない。この状況下でも、確かに二人にはお互いがしっかりと見えていた。


 いまにも戦闘が始まるかという緊張感が辺りを包む。その中、マリンが出だしの一歩を踏み込もうとし―――、



「……?」



 不意に相対する殺気が消えていった。



「おっと、いけねぇいけねぇ。俺はマクギリス様にお呼ばれしてたんだった。こんなところで油売ってるわけにはいかねえな?」


「マクギリス様に呼ばれた、ですって?」


「あぁ。なんかアーヴィングのぼっちゃんが動き出したらしいじゃないか?そのことでな」



 ピクリとマリンの眉が跳ねる。


 どうやらマクギリスはいち早くユーリたちの動きに気付いていたようだ。しかし、なぜそれでこいつが呼ばれるのか・・・?



「つーわけだからよ、それ下ろせな。そんなもん向けられたら怖くて外に出られなくなっちまうぜ?」


「く・・・!」



 マリンは性格的にこの時谷を好きにはなれない。実力があるのは認めよう。だが、マクギリスが自分ではなくこの男を呼んだという事実はどうしても納得できなかった。


 とはいえ、主が決めたことに自分が何を言うこともできない。マリンは渋々と手に持つ槍を消し去った。



「……その性格、直さなければいつか痛い目を見ますよ」


「はいはい。ご忠告痛み入ります」



 フン、とマリンは歩いてきた方向へ向き直りその場を去っていった。


 それを見送ったのか、しばらくして時谷の気配もそこから消えた。


 


 































 


 まだ血の匂いが体にこびりついている気がする。


 暗い迷宮のユーリの個室。窓もない闇に浮かぶのはゆらゆらと小さく揺れる頼りない蝋燭の光のみ。


 ユーリは一人、ベッドに横たわりながら戦闘の後の虚脱感を感じていた。


 実はこう見えて、ユーリは初めての戦いであったりする。


 ユーリだけではない。アリス、鈴菜に水菜、オリヴィエもそうだ。あのメンバーの中で他者を殺したことがあるのはミミとユリウスだけである。


 いまだに明確に思い出せる肉を切り裂く感触。劈く血の匂い。


 戦闘の最中は一瞬の躊躇が生死を分けると自分に言い聞かせなんとかなったが、終わったあとの妙な感覚があのときの感覚を思い出させる。


 敵の大将の首を取り、地上の集落も制圧した。多くの血が流れ、悲鳴と泣き声、断末魔で一帯を覆い尽くした。


 満足だ。


 ……満足だったはずだ。


 感慨に浸っていると、軽く扉を叩く音が聞こえてきた。


 入室を促せば、入ってきたのはアインだった。



「失礼致します、ユーリ様」


「どうした?」


「御指示通り、降伏した者は全て地下牢に入れておきました」


「そうか」



 村人の数はおよそ四十人前後と聞いている。


 いまは特に反抗もせず大人しくしているらしい。と、そこまで言ってアインの顔が複雑な表情へ変わった。



「実は、村人の中でユーリ様に面会を求めている者がいるのですが……」


「面会? それはまたおもしろいことを言い出すやつだな」


「はっ。修道女で御座います」


「ほう。あのときの……」



 思い出すのは出会い頭に魔術を叩き込んできたあの少女。


 魔人族が相手だというのに強い姿勢を崩さなかったあの瞳は、いまでもしっかりと思い出すことができる。


 その修道女がいまさら自分に会ってなにを言い出すのか、非常に興味深くはある。



「良いだろう。連れて来い」


「御意」



 去っていくアインの背を見送り、ユーリは昨日の少女―――エステルのことを考える。


 さて、会って一体なにを言いたいのだろうか。人の世の理でも説くか、はたまた罵詈雑言を並べて魔人族を罵るか。


 ユーリはベッドから背を起こすと机の脇に置いてあった葡萄酒を手に取り、口に含んでエステルが来るのを待った。


 しばらくしてノックと共にアインの声がかけられた。



「失礼致します。例の娘を連れて参りました」


「ああ。アイン、お前は下がっていろ」


「御意」



 アインは恭しく頭を下げ、早々に部屋を退出した。


 残ったのはユーリと、“水の神アーティマ”に仕える修道女、エステルのみ。


 さて、とユーリはエステルの方へ向き直る。


 エステルの表情はあまり窺い知れない。憎しみもなく怒りもなく、ただ無表情だった。


 なにを最初に言い出すかと待てば、エステルはわずかに一歩こちらに近付いて口を開いた。



「まずは面会をお許し下さったことに感謝いたします。ユーリ様」



 言って頭を下げてくるエステル。とりわけ取り乱す風もない恭しい態度から、ユーリは頭の中で一つの可能性をはじき出す。


(話し合いでもしに来たのか)


 ならば、どのようなことをのたまうのか。それはそれで楽しみだと、ユーリは体ごとエステルへ向き直った。



「それで、用件は何だ?なにかを話したくてここに来たのだろう?」


「はい。質問がありまして」


「質問か。言ってみろ」


「はい。なぜこのようなことをしたのか知りたくて、その理由を聞きたくて参りました」


「このようなこと、とは?」



 エステルの表情が引き締まる。



「私たちを襲った理由です。私たちはこの地に移り住んできて平和に暮らしていました。あなた様方にこのような仕打ちを受ける謂れはないと思います」


「これは戦いだ。人が死ぬのも仕方あるまい?」


「その戦いの理由がわからないというのです!これでは戦いではなく一方的な虐殺ではありませんか!」



 虐殺。


 いまこの女は確かにそう言った。


 ユーリにはその言葉がひどくおかしく、大声で嗤った。



「な、なにがおかしいんですか!」


「では逆に問おう。そもそもここに住んでいたのは誰だ?魔人族の王だろう。なら、それを追い立てたのは誰だ?人間族だろう。その魔人族の王が一体なにをした?人間族に手を加えたのか? いいや、俺の知る限りその魔王は人間に指一本触れていないはずだ。だが、人間は魔人族だというだけで王共々ここに住んでいた魔人族を殺した。……これが虐殺でなくてなんと言う?」



 ぐっと息を呑むエステル。


 そう、人間族が過去に行ったことはいまユーリたちが村人たちにしたこととなんら変わらない。いや、無抵抗の者を殺さなかっただけまだユーリたちの方が救いがあっただろう。


 だが、エステルはそれでも踏みとどまりユーリに視線を向ける。



「ですが、私たちはなにもしていません」



 今度も思わず嗤いたくなってしまった。


 平然となにもしていないと言えるその口に。



「確かにお前たちはなにもしていないな。だが、お前たちさえなにもしていなければなにを言っても良いのか?なら、人間族に手を出す魔人族がごく少数しかいないのに人間族が揃って魔人族を敵視するのはなぜだ?魔人族にだって平和に暮らしている者がいるのに?」



 エステルの視線が落ちる。


 が、それでもユーリは言葉を緩めない。



「それに、なら地下に潜り込んで来たあの兵士たちはなんだ?何と戦うために武装してやって来た?俺たちだろう。なら、俺たちが一体なにをした?」



 答えてみろ、と促すもエステルはただ俯くばかり。



「俺たちが魔人族だからという理由だけで人間族に襲われるのがお前たちの普通なら、俺たちがお前たちが人間族だからという理由だけで襲っても文句は言えまい? やってることは同じだぞ」


「それは……」



 エステルの声が濁る。


(勝負あったな)



「わかったならとっとと戻れ。俺が怒らないうちにな」



 視線を外すユーリ。それはもうなにも話すことなどないという意思表示。それはエステルもくみ取ったのだろうが、しかしエステルは下がらなかった。



「……なにをしている。早く下がれ」


「あなた様の言い分はわかりました。私たち人間にも非があるのも認めましょう。……私たちはこの地を去ります。ですから、村人は解放してください」



 なにを言い出すのかと、ユーリは訝しげにエステルに向き直った。



「それは無理だ。あれはこれからの戦いの上で大事な人質となる」


「なら、その人質には私がなります。ですから、せめて村人だけでも」



 今度は取引と来た。


 つくづく面白い女だ。ユーリの口元が小さく崩れる。



「人間族は自分だけでも助かろうとする者が多いと聞くが、お前は違うのか?」


「あなた様は先程言いました。魔人族だからと皆が皆、人を襲うわけではないと。……それは人とて同じです。助かりたいと強く願う者もいれば、その強く願う者の手助けをしたいと前に立つ者もいるのです」



 視線は外さず揺れず、ユーリへと向けられている。


 強く、凛とした姿勢も崩れない。


 ユーリはしばらくエステルを観察し、ベッドから立ち上がるとエステルへと近付いていった。



「なら、こちらから要求をお前に出そう。それをお前が飲むのなら、他の村人は解放してやっても良い」


「……それは、なんですか」


「お前が俺の言うことを絶対に聞くこと。人質として、また取引の材料としてな」



 できうる限り残虐な表情と声色でエステルの前に立つ。


 が、エステルは強い視線を崩さない。



「……本当に、村人を解放してくれるのですね?」


「人間族じゃない者の言うことは信じられないか? 自分の言うことは信じろと言い、他種族の言うことは信じられないと?」



 エステルは大きく首を振る。



「私は、あなたを信じます」



 虚言でないか。ユーリはじっとエステルの瞳を見つめた。


 エステルはその視線から外れようとせず、芯の通った瞳でしっかりと受け止める。


 その様子を見、ユーリは大きく口元を笑みに崩してエステルから離れた。



「良いだろう。虚偽はないようだ。村人は解放する」



 言って、ユーリは机の上に置いてある水晶に手を翳す。明滅する水晶。それが連絡用のアイテムであることぐらいは、エステルにもわかった。


 しばらくしてやって来たのは、エステルとあまり歳も変わらぬような少女。黒髪を後ろで束ねた、少しオドオドした様子でやって来た少女は、恭しく頭を下げて入室してくる。



「なにか御用でしょうか、ご主人様」


「こいつを部屋まで案内してやれ」


「部屋、と申されますと……」


「どこでも構わん。お前の好きなところに入れてやれ」


「かしこまりました」



 スッとエステルに近付いていく少女に、エステルは条件反射か一歩後ずさりしてしまう。


 その様子にユーリは苦笑し、



「なにも怖がる必要はない。こいつはアリス・シュテルンと言って正真正銘お前と同じ人間族だ」



 エステルの顔に驚愕が浮かぶ。


 無理もない。魔人族を統べる者を主人と呼び仕える者の中に人間族がいるとは思えないだろう。



「同じ人間族の分話もしやすいだろう。なにかわからないことがあればアリスに聞くと良い。村人を解放するときは証拠のためにもお前に見送りをさせるから、そのときまでは部屋でじっとしていろ。用件はその後に伝える」


「は、はぁ……」



 キョトンとした表情のエステル。人質というからにはもっとひどいことをされると思っていたエステルからすれば肩透かしを食らったような気分だ。


 そんなエステルに、アリスは小さな笑みを浮かべてそっと近付いてくる。



「それでは、行きましょうか。えっと……」


「あ、私はエステル・イングリッドです」


「私はアリス・シュテルンです。それではお部屋に案内しますね」



 寄り添って部屋を出て行く二人。出る瞬間にこちらに頭を下げたアリスに片手を上げることで答え、ユーリ

はそっと長椅子に座り込んだ。



「さて……。次はキール王国か、魔王マクギリスか……」



 もうユーリが行動を起こしたことは両方に届いているはず。


 そしてなにかしらの行動に出てくるだろう。


 それは果たしてどっちか。


 どちらでも来い、とでも言わんばかりにユーリは葡萄酒を勢いよく呷った。


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