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狼煙が上がる

 

 それはあまりに不意だった。



 突如耳を震わせた爆音。揺れる地面。




 何事かと仰ぎ見れば、そこには信じられない光景が広がっていた。




 空を覆いつくす魔物。地面を這う魔物。




 その見渡す限りの魔物たちは、鋭き眼光を光らせ、そして咆哮した。




 この日、




 ユーリ・アジェスターの復讐への戦いが始まった。































 ドゴォォォォン…



「……なに?」



 突如鳴り響いた轟音は揺れとともに参拝所を襲った。


 ここに来て半年ほど経つが、いままでにこんな揺れは感じたことはない。なにか日常からかけ離れたことが起きていると咄嗟に気付いたエステルは急ぎ参拝所の扉を開け放った。


 途端、砂埃と煙の匂いを含んだ風がエステルの体にぶつかった。



「これは……!?」



 大声を上げながら逃げ惑う村人たち。


 子供を抱えて走る親や、荷物を背負って右往左往している者。尋常ではない村人の様子は、まるで何者かが襲撃してきたもののようだ。



「なにがあったんですか!?」



 大慌てで行き交う村人たちにエステルの声は届いていない。


 エステルはどうにか事情を聞こうと話の出来そうな人間を探したが、そのとき視界に入ったものがエステルの思考を止めた。



「なっ……!?」



 弾け飛ぶ民家の向こう、煙に紛れて浮かぶシルエットは正に魔物のそれ。しかも一体や二体ではない。数えてもきりがないのではと思わせるほどにそれらはそこに跋扈していた。



「ひぃ!」



 横で悲鳴。振り返れば、そこには白髪の老人にいまにも襲い掛かろうとしている石人形ゴーレムの姿。


 考える暇もない。エステルは急ぎ呪文を唱え始めた。水のマナが急速にエステルの右手に集い、スペルとともに放たれる!



「『水の弾丸(ウォーテス・ブレッド)』!」



 握り拳のざっと五、六倍はあろうかという水球が石人形ゴーレムに向かって放たれる。勢いよく放たれたそれは大きな音を立てて命中し、石人形ゴーレムを転倒させた。



「いまのうちに、早く!」



 だが、老人は動こうとしない。腰でも抜かしたのかと思い近付いてみれば、その顔は絶望の闇に彩られていた。



「おじいさん!どうしました!?」


「む、無理なんだ……」


「無理……?なにが無理なんです?」



 そこで老人はエステルに勢いよく振り返ると、悲痛な声で叫びだした。



「無理なんだ、逃げられんのだよ!村のどこへ行っても魔物がいて……!この村はもう魔物に包囲されちまってる!」


「!?」



 言われ、弾かれるようにして辺りを見回してみれば、確かに先程あっちに走っていった親子がまたこっちに戻ってきているのが見えた。


 どうやら逃げ場がなく魔物に村を包囲されているというのは本当らしい。


 エステルは一瞬逡巡したが、決意を秘め立ち上がった。



「地下に逃げましょう!あそこなら強固な扉もありますし王都キールの兵士さんたちもいます!」


「そ、そんな!しかし地下は……!」



 老人の言いたいことはわかる。地下へと続く迷宮への入り口は、前々から魔物がすんでいるとの噂が流れていた。もし、この魔物が地下から現れた魔物であるなら、状況は一層悪くなるだろう。



「でもそれはあくまで噂です!いま、現実に襲ってくる魔物から逃げるのが先決でしょう!」



 このままこうしていても一方的に蹂躙されるだけ。ならば、一縷の望みを託して地下に逃げ込んだ方がいくらもマシだった。


 老人もなんとか納得したのか、よろけながらもどうにか立ち上がる。


 その老人に肩を貸しながら、エステルは他の村人にも聞こえるように大声で叫びながら地下の入り口へと向かっていった。


 一方、エステルが村人を地下へ避難させているちょうどその頃、地下を進んでいた王都キールの魔物狩人部隊もようやく村への魔物の襲撃に気が付いた。



「どういうことだ!魔物は地下にいるんじゃないのか!?」


「地上だと!?衛兵はなにをやっていた!」


「村人の安全が最優先だ!後方の部隊に直ちに戻るように伝えろ!」


「先遣隊は他にも魔物がいないか確認しろ!」



 飛び交う中途半端な報告と、地上から響いてくる爆音で狩人部隊は大騒ぎだ。


 一地方の魔物狩り、ただでさえ人員不足のキール王国がその程度のことに能力のある者を派兵させるわけもなく、部隊は掌握されないまま混乱の坩堝に叩き落された。


 そしてそれを狙ったかのごとく、地下に響く爆音。


 何事かと告げたこの部隊の部隊長のもとに届いた報告は、さらに状況の悪化を告げるものだった。



「先遣隊が地下に潜伏していた魔物と接触したもよう!先遣隊はもはや壊滅寸前です!」


「やはり、地下にもいたのか……!」



 唸るも、それで状況が好転するわけもなし。部隊長はどうにか気を奮い立たせると、部下に次々と指令を出していった。
































 その部隊の先。先遣隊が戦っている相手というのは無論ユーリたちのことである。


 数にして言えば三割にも満たないユーリたちに先遣隊が苦戦しているのは、ひとえにその個人キャパシティの圧倒的違いによるものだった。



「はぁ!」


「ふっ!」


「このー!」



 その前衛、先遣隊の兵士をなぎ払っていくのはユーリ、ユリウス、ミミの三人である。


 ユーリは別段特殊な能力をもっているわけではない。が、魔人族の強固な肉体と運動能力、天人族の多大な魔力と俊敏さを兼ね備えたユーリは剣を持たせただけでそこらの者とは比べ物にならない強さを発揮する。現にユーリに傷をつけた兵士はまだ一人とてなく、ただ一方的に切り払われていくのみ。また魔術の行使にも長けており、近、中、遠距離どこででも戦えるユーリの戦い方は兵士たちを翻弄して止まない。


 ユリウスは武器らしい武器は何一つ持っていない。が、それは彼が武器を持てないのではなく、武器を持つまでもないだけだ。


 彼に頭を掴まれた兵士が兜ごと握りつぶされる。それを見て恐慌状態に陥った兵士ががむしゃらに剣を振り回すが、その腕を引き千切り、手刀で鎧ごと心臓を貫いた。


 彼の父親である魔人族は、かの有名なヤマタノオロチの末裔である。そしてそのオロチの血に認められたユリウスの身体能力は、標準で高い魔人族をも軽く凌駕する。人間の作った防具など、彼にとっては紙にも等しかった。


 それに対しミミは腕力などで言えば人間族と同程度か若干下回るぐらいのものでしかない。が、妖狐といえばその目にも止まらぬスピードと魔力の豊富さから獣人族の中でも能力の高い一族である。しかもミミはその中でも優秀で、半魔人のユリウスですら目視できないと言わせるほどのスピードを誇る。そんな彼女の動きがたかが雑兵などに見えるはずもなく、彼らは気付く間もなくその炎の爪によって命を刈り取られていただろう。


 そんな三人を支援する形で後ろにいるのがアリス、オリヴィエ、鈴菜、水菜の四人である。


 アリスは魔術を行使して主にユーリの援護をしていた。彼女の崇める神は“氷の神ザイファ”。故に彼女の放つ魔術は氷のそれで、兵の動きを止めたり妨害したり、また攻撃にも充分な効力を発揮した。


 そしてアリスの肩には彼女の使い魔である黒猫のロリスがいる。


 アリスが魔術師である以上、彼女は接近戦が出来ない。それはどの種族であろうが共通のことで、だからこそ魔術師を倒すためには接近戦を仕掛けるのがセオリーである。それを防ぐのが、このロリスの仕事だった。ただの黒猫と侮ることなかれ、ロリスはなんとレジェンド種の一種であるフェンリルの子供である。とはいえ、フェンリルの外見は狼のそれに近い。子供の時期なら、子猫と間違われることもあるだろう。実際アリスも子猫だと思い、使い魔の実験にと血の契約を交わしたのがこのロリスだったのだ。


 まだ半端な魔術師であったアリスがフェンリルとの契約に成功したのはアリスの才能や相性の良し悪しも関係したのだろうが、およそまぐれに近い。自分の力量を軽く超える相手を使い魔にすることはまずできず、契約の反作用によって死ぬのがオチなのだから。


 が、その当のフェンリル、ロリスはあまりの敵の不甲斐なさに欠伸をかみ締めていた。なぜならユーリたちが強すぎて誰一人としてアリスに近付いてこない。仕事のないロリスは尻尾を振りながらアリスの肩で丸まって寝に入ろうとしていた。


 その上で翼をたゆたわせているオリヴィエは少々特殊で、後衛兼前衛のような立ち位置だ。もともと身体能力はそれほど高くない天人族のオリヴィエがどうして前衛にもなるのかといえば、それは彼女の持つ槍が原因である。


 魔槍『グランヴェール』。


 地下迷宮から発掘されたそれは、遥か昔神をも殺した者が創り上げたと言われる伝説の武具の一つであり、その武器に選ばれた者のみが扱えるという正に魔武具の一品である。そしてグランヴェールに選ばれたのが、オリヴィエだったのだ。


 腕力などが人間族程度しかないとはいえ神殺しの名は伊達ではなく、一度それを振るえば十の魔物が消し飛ぶという謂れも本当らしい。


 魔力、魔術の行使ともに高いレベルのオリヴィエだからこその後衛兼前衛であると言えよう。


 鈴菜は弓を構えて矢を放っている。彼女は純粋な人間族であるが、身体能力は一般人をほんの少し上回る程度のものでしかない。が、彼女の長所はその膨大な魔力量にある。天人族もかくやという魔力を矢に宿し放つその暗黒の弾丸は、キール兵を四、五人貫いた程度では勢いが衰える素振りすら見せない。彼女の前で直線に並ぶのは自殺行為だが、何分狭い地下迷宮ではそうも言ってられず、故に鈴菜はこういう狭い空間での多数戦闘では無類の強さを誇るのだ。


 そしてこのユーリ軍の要ともいえる存在の水菜。身体能力から魔力量まで一般人すら下回る程度しか持たない水菜がどうしてユーリ軍の要になり得るのかと言えば、それは彼女の特異な能力によるものだった。


 精神感応能力。簡単に言えば、人の心を読み取ることが出来るのだ。


 しかもすごいのはそれだけではなく、その能力が人だけに留まらないということ。


 魔物だろうがなんだろうが関係なく、その心の声が聞こえるのだ。しかも、なぜかはわからないが魔物に関しては水菜の方からも感応させることができ、魔術言語を使わずして魔物とのコミュニケーションが取れるのである。


 使い魔の使役などの理由で魔物と会話するとき、本来は魔術言語を必要とする(竜や獅子のような高等な魔物は別。だからロリスも人間の言葉が理解できる)。しかし水菜のそれはあくまで感応であり、ダイレクトに意思を伝達できるのでコミュニケーションが取りやすいのだ。


 そして魔物たちは自ら望んで水菜の使い魔となっていく。自身から使い魔の契約を提示しているので、いくら水菜より強い能力を持っていようと反発が起きないのだ。


 それ故、水菜の存在はユーリ軍にとって大きいのである。現に地上で暴れ回っている魔物のそのほとんどが水菜の使い魔なのだ。


 そんな七人の猛攻に先遣隊はすでに全滅し、新たにやって来た第二派も次々と断ち切られていく。


 それに続く第三派も合わせれば兵の数はおよそ八十。それがたかが七人の少年少女に駆逐されていると誰が思えようか。


 地下に響く鉄のぶつかり合う音と、斬撃音。爆音に悲鳴。


 ユーリたちの進んでいく跡には、累々と屍が横たわっている。

































 その頃、地下迷宮内の開拓民の避難にあてがわれた部屋で、村人たちは身を寄せ合い息を詰めて扉の方向を見つめていた。


 徐々に、しかしはっきりと近付いてくる剣の音。


 兵士たちの声が次々と消えていき、それに反比例するように魔物の咆哮が頑丈な扉を振るわせる。


 怯えた子供は母親にしがみつき泣き声を堪え、ある者は手を合わせて必死に神へ願っていた。



「地下からも魔物が……。俺たちはもう死ぬのか!?」



 耐えかねたように、ある村人が声をあげる。


 それにつられるようにして他の村人たちも咽び泣いていく。誰もが同じようにして身を強張らせている姿を見て、エステルは何度も「落ち着いてください」と囁いた。


 とはいえ、この状況で落ち着けるはずもないとはエステルとて思っている。


 だが、いま自分ができることはそれぐらいしかなく、エステルは何度も何度も励ますように口を開いた。



「大丈夫です。頑丈な扉もありますし、外では王都キールの兵士さんたちが頑張ってくれていますから」



 が、そんなエステルの言葉も空しく、扉を守っていたはずの兵士の断末魔が部屋全体に響き渡った。


 誰もが小さな悲鳴を上げて扉を見やる。



「この扉、どう思う?」


「開けるか?」


「そうだな。人の気配もする」



 聞いたことのない男たちの会話。そして何者かが扉に手をかける音。


 しかし、この扉は屈強の兵士たちが五人がかりで押さなければ閉められないほどに重く、炎の爆発呪文をもってしても壊せない頑丈な扉だ。男二人程度で開けられるはずが……、


 ボゴォン!


 生きてきた中で聞いたことのないような鈍々しい音と同時にその扉はあっさりと一人の男に引っこ抜かれた。



「そんな!?」



 村人の誰かから驚愕の声が上がる。それはそうだろう。誰があの扉を一人で、しかも片手で壊せると思うだろうか。


 扉を引っこ抜いた男は涼しい顔でその扉を廊下に放った。ズシーンと重い音を立てる扉の様子に、いかに目の前の男立ちが普通じゃないかを理解させる。


 その隣、血で塗られた剣を携えた男が無造作に部屋へと足を踏み入れる。同時に部屋中から悲鳴が溢れた。


 その男の顔を見た瞬間、エステルの目線は彼から離せなくなった。


 なんて冷たい目をする人なんだろう。


 だが、エステルは恐怖に陥りそうになった心をどうにか奮い立たせる。


 村の者を殺させるわけにはいかない!


 判断は即決に。エステルはすぐさま立ち上がると呪文を唱え、自分の知りうる限り最強の魔術を紡ぐ。


 目の前の男が目を見開く。


 エステルは両手を広げ、集束した水のマナをスペルとともに開放する!



「『洗練たる水の濁流(スプレッドスクリュー)』!」



 超圧縮された水圧で目標を押しつぶす魔術。自分のいた神殿でもこの魔術を習得した者はほとんどいない。それだけ難易度が高く、また才能を必要とする魔術なのだ。


 勢いは止まらず。その濁流はその男の目前にまで迫り―――、


 無造作に振り下ろした剣によってあっさり断たれた。水は勢いを失い、男の足元へと落ちていく。



「……え?」



 あまりにもあっさりすぎてエステルは一瞬なにが起きたのかわからなかった。


 男がやったことは魔力を剣に宿し、水を濁流の形にしている中心の水のマナを断つという常識外れなことだということに。無論、濁流を構築しているマナが消えればその水は霧散するだろう。が、そんな芸当をこなすにはマナの集まる場所を特定できる知識、そして敵の放った魔術を破砕できるほどの魔力、そして押され負けない腕力が必要になってくる。


 それだけのことを一瞬で、しかも涼しい顔でやってのけたのだ。その男の力たるや、一体どれほどのものなのか。


 男の視線がゆっくりとエステルに向けられる。


 氷のような目に晒され、エステルは心臓を握り締められたかのような錯覚に襲われた。


 男の口元が小さく歪む。



「威勢が良いな、女。神官か?」


「…………私はまだ神官ではありません。修道女です」


「修道女?あれだけの魔術を行使できてか?」



 男の表情が小さな驚きに包まれる。次いで、再び笑み。



「まぁいい。修道女、あまり“おいた”はしないことだ。抵抗しなければ、殺しはしない」



 村人たちがざわめく。


 そんな中でも男は目配せし、後ろから幾人かのキール王国の者ではない兵士が入ってきた。


 言った通り手荒なことをするつもりはないのか、縄で縛るだけに留めている。


 エステルのところにも縄を持った兵士がやってくる。この程度の相手なら勝てる自身はあるが、扉付近に立つ男二人は桁が違うし、なにより抵抗しなければ手を出さないと言っているならそのようなことは却って村人に被害を及ぼす。エステルは抵抗せず縛られた。


 引っ張られ、扉を横切ろうとしたとき、先程の男が話しかけてきた。



「そうだ修道女。お前、名は?」


「エステル……イングリッドです」


「そうか。俺はユーリ・アジェスターだ。覚えておくといい」



 これが、エステルとユーリの出会いだった。






 こうしてユーリたちの初陣は勝利で幕を閉じた。


 ユーリ軍の被害は魔物が四体と魔人族の兵士が二人のみ。それに対し王都キールから派兵された兵士総勢百十二名は一人残らず屍と消えた。


 ユーリ軍の勝利の報はすぐさまキール王国に染み渡っていった。

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