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第8話
授業
永本悠太は10時間たっぷり眠った後、午前7時に目を覚ました。目覚まし時計が鳴るまでまだ10分ある。目覚ましが一つもならないうちに起きられるなんて珍しいことだ。昨日は早くに寝たからな。僕は目覚まし時計3個とスマホのアラームをOFFにして起きだした。
さてと、今日は面白いことがたくさん起こるはずだ。夢で見たことが一つずつ実現していくだろう。これは楽しいぞ。
いつもより少し学校に行くのが楽しみになる。
〜〜〜
1時間目、歴史、青山先生。白髪の老人だ。声が単調なのでいつも眠気を抑えるのに必死になる。
「・・・というように、ナポレオンはロシア遠征に失敗の後、セントヘレナ島へと送られ・・・」
廊下側の席で、井上くんが腹を抑えながら机につっぷしている。
「・・・ところで、ナポレオン・ボナパルトの肖像はよく腹を押さえているが、ナポレオンは腹が弱かったと言われている」へえー、そうなんだ。偉人にも弱点があるんだな。僕は教科書の肖像を見てうなずく。
「先生、すいません、ちょっと腹が痛くて。保健室に行ってもいいですが」井上くんだ。青山先生が振り返る。
「ああ・・・どうぞ。お大事に。ナポレオン4世だな!」
「???」
歴史の先生の冗談は井上くんには通じなかったようだ。
2時間目の古典はもっと面白かった。「古典は」でなく、「村上くんが」だが。
古典は柳田先生。中年の下衆なおじさんで、あまり注意しないので授業中は寝ている生徒が多い。
「・・・このように、平安貴族は一夜を過ごした後、後朝の文を送ることが多く、その中には優れた和歌もたくさん残っている。辞書を出してもらおうか。ページは・・・」起きている生徒が一斉に机に手を突っ込んだり、すでに机に出しているものはページを繰ったりした。村上くんも例にもれず・・・。
何かがひらりと床に落ちる。ちょうど窓から吹き込んできた風がそれを教壇近くまで舞い上がらせた。
薄い桃色の封書。入念に封が閉じている。気が付いた周りの生徒が騒ぎ出す。村上くんはすっかり焦ってあたふたとし始めた。しかし、取り返すより早く、柳田先生が拾い上げた。
「いったいだれだね、後朝の文を送ろうとしたのは?」教室中の男子生徒は大爆笑し、女子たちは「最低!」とかなんとか言って騒いでいる。柳田先生はそのラブレター(結構分厚い)を指でぽんぽんとはじきながら茹でだこよりも真っ赤になっている村上くんの席に行き、机に置いた。
「授業中はしまっておきなさい」
それだけ言うと、教室ががやがやしているのも気に留めずに教壇に戻ると、授業を再開した。
この状況はいくらキザな村上くんとはいえ、ちょっとひどすぎたかな・・・。といっても僕は無関係なことになっているから謝ることはできないけれど。
〜〜〜
古典の時間ほどの大事件以上の出来事はもうなかったが、そんな風にして、夢で見たように一人、また一人と退場していった。有瀬莉帆はいつもと変わらずにいるので今のところ無事なようだ。
昼休みには中庭から千原先生の怒鳴り声が聞こえてきたので、教室の窓から下を覗くと、タンクトップ姿でのし歩いていた東くんが校庭中に響き渡る声で責められているところだった。「そんな格好で歩いてモテるとでも思っているのか・・・」
よし、いい感じだ。もうこれ以上事件もないだろう。任務完了かな。何事もなく明日を迎えることができたら有瀬さんにさりげなく言ってやろう。「ほら、夢なんか気にすることなかっただろ」と。ちょっとした達成感だ。
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やっと6時間目になった。英語、千原先生。昼過ぎから天気が怪しかったが、30分ほど前から本降りになっていた。
昨日走りすぎたので、部活がなくなってちょうどいい、有瀬莉帆はそう思った。
今日は事件が多かったなあ。井上くんは早退するし、村上くんはクラスのさらしものになったし・・・。おかげで今日は誰からも言い寄られなかった。昨日、誕生日プレゼントをもらったときにはみんなそんな気配を出していたから、こんなに静かにしていてくれるなんて本当に助かった。
もうすぐ下校時間か・・・。昨日はこの後素晴らしかったなあ。あの夢が本当になったらいいのに・・・。悠太にだけは「夢の力」を使えないから。そう思うと無性に悲しくなってきた。そういえば今日は悠太と朝のあいさつくらいしか話してない。昨日は一緒に帰って、アイスクリームに、相談にまでつきあってくれたけれど。やりすぎではなかったかな。ちょっと心配だ。
終業ベルが鳴り、教室が騒がしくなる。のろのろと教科書を鞄に詰めていると・・・。
夢に見た四角い付箋!
放課後@予備教室1
どきどきしてきた。あれ・・・まさか。「夢の力」は効かないはずなのに・・・奇跡的に効いてる?
ちらりと後ろを振り返る。悠太と目が合う。えっ、本当に!?いいの?
なぜだかわからないけれど「夢の力」が効いているようだ。テンションが急上昇。急いで予備教室に行かないと。私はなんて幸せなんだろう。
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予備教室の湿気た匂い。机の端に腰かけて悠太を待つ。心臓が破裂しそうだ。付箋をぎゅっと握りしめて待つ・・・。
扉に人影が映り、ためらいがちな少しの間があった。「悠太ー」叫びだしたいところをぐっとこらえる。
がらりと、扉が開く。
悠太・・・ではなかった。へなへなと腰が抜けていくのを感じた。
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同じ日の6時間目。永本悠太は黒板を機械的に写しながら、無事に一日を終われそうだな、と思っているところだった。もう一度、昨日の有瀬さんが挙げてくれた要注意人物のリストを思い起こす。東くんも千原先生に怒られてしゅんとしているし、松田くんにも声をかけたし、大丈夫なはず・・・。
あーっ!?富田くんを忘れていた!
なんということだ、昨日の夢に富田を登場させるのを忘れていた。何回も確認したつもりだったのに・・・。どうしよう、よりによって富田はリストの中でも一番危険だ。あいつの女癖はたちの悪いので有名だ。無理やりつきあわせようとして被害にあった女子がこれまで何人いたことやら。つい最近までも隣のクラスのちょっと不良っぽい子と付き合っていたばかりだったというのに。
富田くんが今日何事も起こしていないのが不気味だ。昨日誕生日プレゼントを渡して、今日何もしてこないとはとても考えられない。とすると、放課後だろうか?きっとそうだ。放課後何かやらかすつもりだ。
どうしよう!?今から寝て「夢の力」を使うか?いや、千原先生の前で2日連続は無理だ。今度は罰掃除では済まされないだろう。それにどっちにしろ、この焦る状況の中ではとても寝られそうにもない。
終業ベルがなっても、呆然としたままだった。富田がにやにやしながら教室を出ていく。追いかけて行ってタックルしたらどうだろう?だめだ、あの体格にはとてもかなわない。
有瀬さんが振り返って意味ありげな表情をする。思わず目を伏せてしまった。
そして・・・有瀬さんが教室を出ていく。
こんな時間に歩き回るなんて、夜の歓楽街の裏路地を一人で歩くようなものだぞ。僕はこっそりとあとをつけることにした。こうなったら仕方ない。およそ僕に不似合いなことだが、つけていって、必要とあらば富田と一戦交えるしかない。
この日のために(?)生まれてこのかたずっとストックしておいた勇気を開放するときが来たようだ。