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第5話
ランニング
結局、最後まで決心がつかずに、中学時代と同じく帰宅部になってしまった。夢の中ではいろんな部活に入部してみたが、どれも芳しいようには思えなかったのだ。
陸上部では初日に足を挫き、病院送り。卓球部ではうっかりと球を踏んづけてしまい、先輩に絞られる。これも初日から。一応チェス倶楽部も入ってみたがこちらは逆の方向に悪かった。初日の練習試合で先輩の誰よりも強かったので、すっかり疎んじられてしまったのだ。
夢でこんな感じだと現実を変えていくのは大変そうだ。次々に災難が降りかかって来そう。そんなわけで無事なのは帰宅部だけとなった。まあいいかー、早く帰ってのんびりするのもいいことだ。
6月30日。
朝からやけに騒がしかった。どうも有瀬莉帆の誕生日のようだった。有瀬さんの女子友達たちがお菓子やらアクセサリーやらをこっそり持ち込んでプレゼントしていたし、どこで誕生日を知ったのか幾人かの男子生徒まで貢ぎ物を持参していた。
やっぱり、人気があるってのは違うんだなー。僕も4月に誕生日があったがせいぜい数人からおめでとLINEが来たくらいだった。もちろん、それでも充分うれしかったが。
有瀬さんは笑顔でみんなからプレゼントをもらっている。とても楽しそうだ。教室のその一角はさながらお祭りのようだった。
僕の方はその日、有瀬さんとは対照的な仕打ちを受けることになった。運悪く、一番恐いと言われる英語の千原先生の授業でついうとうととしてしまったのだ。
「こら!永本」耳が裂けるような罵声が飛んで来たのは夢の一コマ目に入るより早かった。きっとスリープして1分も経っていないに違いなかったが容赦はなかった。
「お前は授業中寝ていられるほど成績がいいのか!」机のところまでやって来て怒鳴られる。いえいえ、おっしゃるほどでは・・・って成績がよかったら寝ていても勘弁してくれるのか?もちろん有瀬さんならOKなんだろうけど。
「罰則!放課後校舎周りの掃除!全部終わるまで帰さないからな」宣告が下される。同時に教室のあちこちからやってしまったなという同情の視線を受ける。あーあ、なんてこった。今日は帰って見たいアニメがあるのに。帰宅部の特権が・・・。それに、校舎周りって控えめに見ても相当なスペースだぞ。今日は家に帰れるかどうか・・・。
〜〜〜
放課後、部活に向かったり、帰路に着くクラスメートを傍目に、うんざりした気分で、箒とちりとりを手にする。
「まつまつー、お前も手伝えよ」
「何でだよ。俺はこれから部活、忙しいんだ。永本も部活入ってたら、掃除は免除されてたかもしれないのに」
「千原先生がそんなに甘くないよ」
「校舎周りの掃除だろ?今日は陸上部の女子勢がランニングしてるから、それでも眺めとけよ。災い転じて福となるってやつだな」と松田くん。・・・また、わざわざ慣用句なんか使って。慣用句もこんな場面で使われてはなはだ心外だろう。
果てがなさそうな校舎周りの掃除を始めると、ちょうどグラウンドの方では陸上部の練習が始まっているようだった。ハードルが並べている生徒や準備運動をしている生徒が見える。そのうちに、確かに松田が言ってた通り、女子勢たちのランニングが始まった。
グラウンドを走っているなーと思っていたら、何と、一同校舎の方にやってくるではないか。これは参ったな。校舎周りの走り込みをするようだ。
みんなじろじろと僕の方を見ながら横を通過して行く。ランニングを眺めるどころか眺められる立場になっているではないか。
どう見ても一人罰掃除させられているのがバレバレじゃないか・・・。ああ、穴があったら入りたい。くそ、千原先生はこれを狙って校舎周りの掃除をさせたのか!?
〜〜〜
「永本くん、大変そうだねー。ドンマイドンマイ」無邪気な声がかかる。有瀬さんだった。そのまま横を通り抜けて行く。余裕そうだ。うらやましい。
軽快な足取りだ。胸も軽快に揺れている。体操着っていいよなー、しばらく見惚れてしまったが慌てて掃除に戻る。視線を知られたら完全に変態だ。
「がんばってー」また有瀬さんだ。2周目か・・・。まだ全然余裕そうだ。持久力すごいなーと感心する。
「おつかれー」3周目通過。明るいなぁ。てか全然スピード落ちてないな。
「全然進んでないよー」4周目通過。何で毎回声かけてくるんだよ!?驚かせて反応を楽しんでるな。人影が近づくたびに気になって全然掃除が進まない!
「今日朝ごはん何食べた?」5周目通過。言うこと他に思いつかなかったんかい!ネタ切れか。それにしてもからかわれてるなー。まあ別にいいけど。
よし、次来たら何か言ってやろう。何がいいかな。「真面目に走れ」とか?もっと面白いことはないかなあ。
ランニング集団の速度が落ちてきたようだ。周回遅れの生徒たちも現れている。有瀬さんも5周目くらいから周回にかかる時間が少し長くなったように思う。入部早々から厳しい練習だなあ。
6周目はなかなか来なかった。大変だと思っていた掃除もあれに比べたらどんなに楽なことか。
校舎の影から有瀬さんらしき姿が現れた時は少しほっとした。そうだ、通過する時に「無理するなよ」と言おう。
掃除をしている振りをしつつ、近づいたらさりげなく・・・。
よし、来た!今だ!
「無理す・・・」
「今日いっしょに帰らない?」6周目通過。耳を疑った。有瀬さんはすでに十数メートルも先を行っている。聞き違いだろうか。だいぶ息が切れていたからきっとそうに違いない。本当はたぶん、「今日医者にかからないと」とかでも言ったんだろう。スマホの音声認識とかでよくある聞き違いだ。僕の耳はスマホ以下みたいだ。
しかし、掃除どころではなくなってしまった。もう同じところを30回も掃いている。万一聞き違いじゃなかったらとしたら・・・。
7周目来た!
「あと一周で終わりだから、さっきの返事考えといてね」だいぶスピードが落ちているからか長文で来た!?
やっぱり聞き違いではなかったんだ。とすると、まさか有瀬さんは・・・。いやいや、いい気になってはいけない。ちょっと聞きたいことがあるとか、貸して欲しいものがあるとかそんなことだろう。何か期待しているようにでも見えたら疎まれるか噂の種にされるかに違いない。ここは冷静さを失わないようにしなければ。
「いいよ、部活終わる頃に掃除が終わってたら」8周目の通過タイミングで声をかける。有瀬さんは振り返って親指を立ててOKサインを出した。
急に走る速度が上がった。また足取りが軽くなったように思う。ラストスパートってところだろうか・・・。
こうなったら早く掃除を終えないと!にわかにやる気が出て来た。