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第2話
通学路
私、有瀬莉帆が自身の変わった能力を知ったのはもう数ヶ月も前、ここ「月の台高校」に入学して間もないころだった。それは、次の日の学校での出来事を夢に見た時、現実でもその通りになること。単に次の日の出来事を見ることもあれば、夢の中で自分の意思でクラスメートや先生を動かした通りになることもあった。
最初は次の日をシミュレーションできることに戸惑ったが、今では随分慣れたと思う。本当に素敵な、今では、それなしではやっていけない能力だった。
新しいクラスで話しかけるべき生徒、避けた方が無難な生徒があらかじめ知れるのはとても便利だったし、 明日は放課後ショッピングに行きたいな〜なんて日に宿題がゼロの夢を見たりすると本当にその通りになった。
高校生活を快適に、中学時代からは信じられないくらいに楽しく送れているのはひとえにこの能力のおかげだ。「高校デビュー」という言葉があるが、ありがたいことにそう言えるのかもしれない。
ただ、何でも上手くいくかというとそうではなかった。都合の悪い夢を見たらその通りにならないように慎重に避ける必要がある。嫌な未来を見たらなんとかそれを変えなくてはならない。
また、上手く思う方向に夢を誘導できればいいのだがいつもそうできるとは限らなかったし、夢で見なかった予想外な出来事が起こることはいくらでもある。
先週もそうだった。ラグビー部にあんな風にからまるなんて。いいのか悪いのか永本悠太に助けられた。控えめな彼がよくあれだけ動けたものだ。私なら前夜に夢で見て絶対上手くいくと知った上でなければ決してできないだろう。
〜〜〜
校庭に続く道を歩いていると、後ろから誰かがダッシュしてくるのが見えた。永本くんだ。いつも時間ギリギリにやってくるからだ。でも、今日はまだそんな時間じゃない。だとしたらどうしてだろう。まさか私を追いかけてきているのかしら。
「ストップストップ!」私が声をかける。明らかに駆け抜けていく様子だったからだ。
「おはよう、永本くん。今日はどうしたの?」
「お、おはよう。今日は日直の仕事があるんだ」永本くんが息を弾ませて答える。
「あら、それって明日じゃないの?昨日の富田くんが仕事さぼって今日やり直しになってるから。ホームルームの時間に言ってたじゃない」
「そうだっけ。聞いてなかったな。あーあ、後10分寝られたのに、損したなー」と永本くん。私にとっては別に損じゃないけれど・・・。
「じゃあ、時間もあることだし、ゆっくり学校まで行かない?」私が誘いかける。
「えっ、ああ、うん。いいよ」少し驚いたようだった。
〜〜〜
「ねえ、永本くんはほんとにチェス倶楽部に入るの?」緊張感を打ち破ろうと先に話しかける。勝手にチェス倶楽部の入部届に名前を書かれたあの事件から1週間が経っていた。
「えっと、まだ考え中・・・。チェスならネットで充分って気もするし・・・。有瀬さんは?」
「私、陸上部に入ろうと思うの。走ることは嫌いじゃないし、うちの陸上部は先生も先輩もそんなに厳しくないしね」
「有瀬さんは運動得意だしいいんじゃない?」
「永本くんも毎日駅から走ってるじゃない。マラソンとかできると思うけどなー」ちょっと意味ありげに微笑みかける。これくらい攻めたって平気だ。昨夜、シミュレーションしてきたから。
「いやー、できないと思うなー。毎日走ってるのは必要にかられてのことだし」
「きっかけってそんなものでいいんじゃないかしら。それに今日、クラスの松田くんから陸上部にしないかって誘われるよ。絶対に。松田くんも入るならいいんじゃない?」
「どうして誘われるって分かるんだ?確かちょっと前までサッカー部って言ってたけど」
「ふふ・・・それは秘密」まさか昨日夢で見たからなんて言えないしね。そんな能力があるなんて決して信じてもらえないだろう・・・。
〜〜〜
昼休み、作戦が上手く行ったか気になって、お弁当を食べた後も教室に残っていた。数人の友達に囲まれてたわいもない話をしながらも永本くんの方が気になってちらちらと見る。もうすぐ松田くんが話しかけるはずだ・・・。
どうしてあんな夢を見たのか分からない。私が陸上部に入って永本くんも同じ部に入る夢・・・。それだけでも驚いたことだが、もっと分からないのはその夢の通りにしようとする自分だった。
前に、クラスのある男子から言い寄られる夢を見たことがあった。次の日は念には念を入れて学校を休んだほどだった。その後も意識的に避けて何とか近づかれずに済んでいる。こういう風に、注意しないといけない夢もたくさんあるのだが、今回はそれとは違う。なぜなら今朝から不思議に心が弾んでいたから。通学路で永本くんに会った時も、そして今も・・・。
〜〜〜
「ちょっと、聞いてるのー?」おしゃべりしていた優香に声をかけられて我に返った。
「あ、うん。聞いてるよ。それで映画はどうだったの?」急いで会話に戻る。優香が昨日の映画の話を始めたので私は喜んで聞き役に回った。もっとも優香の声は、悪いけど雑踏のようなもので、私の神経は一番前の席で入部届を睨んでいる松田くんの方に行っていたが。
松田くんが席を立った。斜め前で次の時間の宿題をやっている永本くんのところに来る。
「おい、ナガモ」
「どうしたんだ?まつまつ」
「俺、陸上部に入ることにしたんだ。お前もいっしょにどうだ?中学の時は帰宅部だったんだからどこでもいいだろ」
来た来たー。楽しみにしていたドラマが始まった時のような高揚感。しばらく問答があった後に永本くんがOKするだろう。「分かった。陸上部に入るよ。僕も陸上部でがんばって、毎日もう一本遅い電車でも間に合うようにするよ。そしたらあと10分寝られる」私が夢で誘導した台詞が出るのを今か、今かと待つ。
もう、優香ったらもう少し声を落としてくれたらいいのに。それか永本くん、もっとボリューム上げてよ。
「陸上部なぁ・・・。やっていけなさそうだなー」と永本くん。そうそう、粘ってていいよ。絶対に松田くんが説得しきるから。
「永本はスタミナがあるから、長距離とかでやっていけるって」と松田くん。
「いや、まず朝練が無理。起きられない」永本くんが拒む。あれ、こんな台詞あったっけ。きっとあったんだ。細かいところまで覚えていないだけだろう、そう自分に言い聞かせる。
「大丈夫だって。俺が毎日電話してやるから」
「いやいや、僕を舐めたらだめだよ。今でも目覚まし3個かけてるから」
「じゃあ家まで毎日行くから」と松田くん。松田くんいい人だなぁ。
「それは去年だめだったじゃん。何回か鳴らして僕が出てこないからって先学校行ってたじゃん」・・・それは眠り深すぎ!私は笑い出しそうになったところを慌てて踏みとどまった。優香の話している映画は悲愛ものだったからだ。
「そんなこともあったな・・・。じゃ、まあ永本の好きなようにしてくれ。言い忘れてたけど、有瀬莉帆も陸上部だぜ。ほんとにいいのか?」ちょっと声を低くしているがばっちり聞こえている。こんな風に、男子たちの会話に出てくることにはもう慣れてはいたが・・・昨日の夢ではどう思ってもこの台詞はなかったはずだ。
でも・・・むしろもっといい答えが聞けるかも・・・淡い期待感を抱いている自分に気づく。私は耳をそばだてて永本くんの次の言葉を待った・・・。
「うーん、やっぱり中学と同じ帰宅部か、入るならチェス倶楽部にするよ」
衝撃が体内を通過した。あれ・・・こんなはずでは。もしかして避けられてる?今朝踏み込んじゃったから!?いや、でも夢ではちゃんと上手く行っていた・・・。いったいどうして?足ががくがくしてくる。
「能力」が効かなかったのはこれが初めてのことだった。