1話 聖女来迎 前
母様が亡くなってから一月。
私は今、ランタンを片手に、薄暗い物置の中を整頓している。
ペッシェ家の屋敷は本館と別館に二分されていて、この物置は私と使用人が暮らす別館にある。
古い魔道具や書物が山積みになっているのに、もう使用しないからと誰も手を付けていなかった。しかし、今日は朝から家中が忙しく、何故か取り急ぎ片付けることになった上、部屋に引きこもりがちな私に白羽の矢が立ったのだ。
口元に巻いた布でなんとか堪えているけれど、これが無ければ咳が止まらない程には、物置の中は埃っぽい。
理由は分かっている。この物置の扉には、魔力を封じる魔法陣があるから、掃除の魔法が使えないのだ。解除の魔法陣を作ろうにも、物置自体に組み込まれているから黒魔法か白魔法を使用しないと、見ることが出来ない。
「……はあ…」
どう考えても公爵家の娘が物置の整頓をするなんておかしいけれど、私は侍女にも厭われているから仕方がないだろう。
整頓を始めてからどれぐらい経ったのか、半分ほどは何も無い空間が出来た。
「……腰も肩も痛い…」
母様からの遺伝なのか、碌な食事を与えられていなくとも私の身長は十歳の平均を超えている。今年で十八歳になられる下の兄様曰く、中等部に居ても何ら遜色ない、とのこと。
「ご本人は嫌味のつもりなのでしょうけど…」
呟きながら何度目かのため息を零せば、物置の扉が軽くノックされた後、女性の声が聞こえる。
「お嬢様、扉を開けても宜しいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
前触れも無しに扉を開けてくる使用人は屋敷中に溢れているから、咄嗟に身構えてしまうけれど、ノックが聞こえた時点でその必要はないことが分かる。
「失礼致しま…お嬢様、その格好は……」
扉を開いた、金髪を高い位置で束ねた女性が、私の姿を見て目を丸くしている。継ぎ接ぎだらけの、使用人も着ないようなみすぼらしい服に、驚いているのだろう。そう思った直後、目の前の彼女はハタキを持った私の手をそっと取った。
「お嬢様は、何を着ても可愛らしいですね!」
「…また要らないお世辞を」
「お世辞ではありませんし、賞賛はあればあるだけ良いでしょう?」
「本当にアンリはブレないわね」
「お嬢様からの言葉は、たとえ罵倒であろうとも褒め言葉です」
それはそれでどうなの、という言葉の代わりに苦笑を零せば、ようやく手が解放された。
この女性は、私の専属侍女のアンリエット・ベルーイデア。ベルーイデア家は女性が代々母様の実家で使用人をしている男爵家で、アンリもその内の一人。
高等部を出たばかりの彼女は、本来ならメイドとしてはまだ見習いだけれど、母の訃報を悔やんだ伯父様が葬儀の際に紹介してくれた。隠し事や嘘がすぐに表情に出てしまう所に好感を覚えて、伯父様に父上を説得してもらったのだ。
説得と言っても、同じ爵位の中でも序列があり、実はトレーフル家よりも伯父様が当主のラフィナート家の方がそれが遥かに上だから、伯父様からの頼み事は命令に近い。過去に多用して叛逆を起こされた一族も居たそうだから、注意は必要だけど。
言わばラフィナート家と私の架け橋となるアンリは、侍女としても友人としても信頼している。けれど、父上が私を所有『物』だと思っている上に、所有物の所有物は自分の物だと言い張っているせいで、私の身の回りの世話をする時以外は母上の居る本館に行かされている。
「そういえば、この時間に別館に来るのは珍しいわね?」
「あっ、そうだった! わたし、当主様からペッシェ様を呼ぶように命じられて」
「父上が、私を?」
「なんでも、トレーフル家全体に関わる重要なお話だそうで、使用人も全員集められて……とにかく、急ぎましょう。当主様のお小言は長いですから」
「思っても口に出さないのよ、そういうのは」
「すみません」
蜂蜜色の瞳に反省の色が滲んでいることが分かったから、笑って「大丈夫よ」とだけ告げて部屋に向かう。
「それにしても……嫌な予感がするわ」
「嫌な予感?」
私の着替えを手伝いながら、アンリは首を傾げる。その表情を見たのも、いつぶりだろうか。
「ほら、いつもは本館で仕事をしているから、アンリが別館に来ること自体、とても珍しいでしょう?」
「確かに、最近はあまり来ていませんね。目を瞑ってください」
「……はいはい」
素直に目を閉じれば、アンリは呪文を述べ始める。
「水の女神、ヒュドールロワイ。我が主の身を浄め給え」
唱え終わるより前に息を大きく吸い込んで止めておくと、予想通りのタイミングで水の膜に包まれた。この感覚にはまだ慣れないものの、すぐに終わるからまだマシだ。
目を開いた頃には、埃っぽかった頭がすっかり綺麗になっていて、アンリが早業で髪を結い上げていく。
「ありがとう」
「いえいえ、私の生き甲斐ですので」
得意そうに笑ったアンリに頷きながら立ち上がれば、廊下の端にある転移の扉を通じて本館に入る。
「場所は? この方向なら、応接室?」
「はい、此方です」
早く大人になりたいとは思うけれど、こうして怒られない程度に早歩きをする時は、スカートが床に着かなくて良かったと感じる。
アンリに連れられて応接室に入れば、多数の視線が私に刺さった。
「……遅れて申し訳ありません」
「これだから第三夫人の子は。動きが鈍くて仕方がないわ」
誰よりも早く口を開き、誰よりも私に厳しい視線を向けてくる、この女性は、第二夫人のフラヴィス様だ。
形式上は第二夫人であるものの、本来の第一夫人が夜逃げをしたことで、実質フラヴィス様がトレーフル家の女性のトップに立っている。
つまりそれは、私が逆らえる相手ではないということでもある。
「…申し訳ございません、母上」
「貴女の母親になった記憶はなくってよ。大体貴女は」
「母上、そろそろ本題に入りませんか?」
フラヴィス様の言葉を遮るように、凛々しい声が広間に響いた。
「…リヒト兄様」
「ペッシェ、此方に」
「はい」
私を隣の席に誘導してくださるのは、下の兄であるリヒト兄様だ。第一夫人の子で、新雪のような白銀の髪と、亜麻色の瞳を持つ。見た目は天使のようだと賞賛されているのに、口を開けばあまりの毒舌ぶりに上の兄様が少し怯む。そんな人だ。
そう思ったところで、改めて部屋を見渡すと、上の兄の姿が見えないことに気がついた。私が座っている席も、上の兄の定位置の筈だ。
そんな私に呆れたように溜息を零したリヒト兄様は、口を開きかけて、止めた。足音が聞こえてきたからだ。恐らく上の兄であるダンケ兄様と、その護衛の者だろうけれど、それに混じって、やけに軽い音が聞こえる。
「……リヒト兄様、あの足音って」
そう問い掛けようとした瞬間。扉が開いて、その疑問には答えが出た。
何故ならそこには、美少女がいたからである。
長らくお待たせ致しました。
構想を練りすぎてキャラクターの名前の由来を忘れましたが、頑張って名付けたので覚えて頂けると嬉しいです。