Prologue プロローグ
最愛の人との別れ。
別れたくはない。別れるなんて、想像もしていなかった。でも、現実は待ってはくれない。
その最愛の人は、彼女にある言葉を残していなくなった。ただ一方的に。
時間が経過するごとに別れるその時がやってくる。どんなに強く別れたくないと思っても、運命は二人を引き裂く。たとえどんなに愛した人であっても・・・
あの時、告白した返事を恵美はしてくれた。でもその返事は、納得のいく答えではなかった。恵美の過去にある悲しい想いが、その答えを物語っていた。
恵美と一つ屋根の下での生活も2ヶ月が過ぎた。
三浦氏との間に小さな壁を作っていた僕は彼の妻、ミリッツァの振舞いにより、綻びも少しづつほどけていた。
恵美と共にある新たな日常もゆっくりと動き出していた。
恵美にとって忘れる事の出来ない日。
だが彼女は、前の晩9時を過ぎても家には帰って来なかった。胸騒ぎが治まらない僕は夜、駅に恵美を探しに向かった。
なぜその日が、恵美にとって忘れられない日なのか、その答えを知っているかの様に、先生は、行先も告げづに僕を連れ出す。
その地で僕は、恵美の過去にある悲しみと苦しさを知ってしまった。
そして、僕にとっても、忘れる事の出来ない日になった。
「おい結城 もうそっちはいいからこっちを手伝ってくれ」
「はい、今行きます」
パテシエの仕事は朝がとてつも早い。
午前5時、最初のベーススポンジが焼きあがる。
オーブを開けると、熱い空気が僕の顔を包み込む。
熱せられた鉄板をオーブンから引き上げると、甘く優しい香りが焼きたてのスポンジから立ちのぼる。
この時間はオーブンラッシュだ。
ここ「カヌレ」の厨房には、大型のオーブンが3台ある。
上段、上中段、下中段、下段と4つの室内に洋菓子たちが命を吹き込まれている。