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甘いカヌレをあなたに届けたい・Black sweet ・Canelé カヌレ  作者: さかき原枝都は
かたちだけの恋人

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6.冬空に響く音色

 その夜は本当に寒かった。関東地方は寒冷前線が重なり合い、雪が降り始めた。

 クリスマス・イヴの夜。空は黒くそして白い綿雪が静かに降り注ぐ。

 電車の窓には雪が張り付いている。戸鞠の家の駅までの中、電車はなぜか空いていた。クリスマス・イヴの日曜日。通勤客もなく日常の休日とも違う今日の日。

 降り立った駅のホームは湿った雪が落ちては消えていた。

 雨宮さんのお店は……すでに閉まっていた。それもそうだろう日曜日の営業時間は午後9時までだからだ。

 駅の改札口で僕は戸鞠に電話をした。

 コール音が鳴る……2回目、3回目……5回目……7回目。戸鞠は出なかった。

「ふぅ」とため息をして、メールをした「今駅にいる。待っている……」と。

 それから1時間、僕はずっと駅の入り口で戸鞠を待っていた。

 雪は次第に強さを増していくような気配だ。それにしても寒い……

 もう一度戸鞠に電話をした。

 コール音一度目で

「……笹崎君」と戸鞠の声が聞こえて来た。

「戸鞠、ようやく出てくれた」寒さで声が少しかすれた。

「もしかして笹崎君ずっと待っていたの?」

「ああ、駅で待っている」

「馬鹿、雪降ってるのに、寒いのに……今行くから」

 10分くらいした後「笹崎君」と小さな声で僕呼ぶ戸鞠の姿があった。

 グレーのマフラーを襟元に巻きダウンジャケットを着込んでいた。

 そして僕に抱き着き「こんなに冷えてる……ごめんね」

 戸鞠の体温が少しずつ僕に伝わってくる。

「こっちこそごめん。せっかくのクリスマスだったのに……」

「ううん、そんなのもうどうでもいい、こうして笹崎君と逢う事が出来ただけで私は幸せ。それにこんなに冷たくなってまで私を待っていてくれた事でもういいの」

「何かあったのか? ……」

 戸鞠はずっと僕に抱き着いたまま何も話そうとはしなかった。

「……真純」そっと耳元で彼女の名を呼んだ。その時彼女の躰が一瞬びくっと震えた。

 何かを隠している……

「明日学校行けば冬休みだね」

「……うん」小さく頷いた

「笹崎君……わ、私……な、なんでない」

 言えない、言う事が出来ない言葉。戸鞠はその言葉今、発しようとしていた。

 クリスマス・イヴの聖夜のこの時、空からは雪は降る続く。

 その時僕は感じた。戸鞠とは、真純とは……

 そっと僕は戸鞠の手に小さな包みを手渡し、そのまま、改札を抜けた。

 そして次の日、学校を休んだ……終業式のその日、熱を出しうなされていた。


 夢を見ていた。

 遠い遥か昔の……されどそれは

 ついこの間の事だった事実。

 庭で母さんと律ねぇが一緒にハーブの苗を世話している姿。その二人の顔は微笑で幸せに満ちていた。

 その姿を僕はただ眺めている。

 ふとしたたる赤い血と黒い闇。喪服を着た黒い列がどこまでも続く……

 どこまでも、どこまでも……その先にあるのは、白い布をかけられた二つの棺。

 夏の白い雲の様にその棺は白くまばゆかった。

 流れゆく雲に、時降り見える青い空の色。その雲にめがけ立ち上る、白い煙。

 真っすぐに空に揚がるその煙を今でも僕はこの目に焼き付けている。

 僕の今までの日常が終わった瞬間だった。

 幸せと言う愛に満ちた生活とその想いが一瞬にしてガラスが砕け散るようにすべてがなくなった。

 僕に残されたのは……黒い闇の世界。その先にあるのは実際何もない世界……だったはずだ。

 でも僕の耳の奥から和かに聞こえるあのアルトサックスの音色。

 悲しみに満ち溢れたその音色は、僕をその闇の中から何かを探しさせようとしていた。それは何かは分からなかった。

「僕にはもう何も出来ないんだ。彼女を守ってあげる事はもう僕には出来ないんだ」

 その声は彼女のそのアルトサックスの音色が語り掛けていたのか?

 そう……そのアルトサックスを奏でる妖精の様な恵美の姿。

 彼女の想いはこの僕の胸の中に刻み込まれる。

 空から降り落ちる雨の様に僕の躰に沁み込みこの大地に沁み込む。

 この雨音は彼女の心の叫び、そして彼女の奏でる音色は彼女と共に寄り添う響音さんの心。

 二人の離れる事のない。どんなに遠くに離れていても……決して離れる事はない二人の想い。その想いを僕は……僕は、知ってしまった。二人の心はその姿がなくともいつまでも繋がっている。

 永遠に……離れる事のない強い想い。


「結城君、僕は恵美を最後に、彼女を傷つけてしまった。もう僕には彼女のその傷を癒す事も、そして触れる事も出来ない。今はそっと彼女の姿をこの空から見守る事しか出来ないんだ。あの音色を変えることが出来るのは……もう君しかいない」

 響音さんが静かに語り掛けているような気がした。

 すべてが、全ての事がこれから始まる。そして終わりを告げようとしている。

 ゆっくりと目を開ける。僕の手にほのかに温かい温もりを感じた。

「恵美……」彼女はコート姿のまま僕の手を握ってくれていた。

「気が付いた……ユーキ。良かった……」

 僕は……どうしたんだ? 戸鞠と駅で別れそれから、記憶が……

「ユーキ、玄関の前で倒れていたのよ。雪の降る中」

「僕が……」ふと時計を見てみると午前5時を過ぎていた。

「ずっとついていてくれんだ恵美」

 潤んだ恵美の瞳……そして伝わる手のぬくもり……

「もう……目を覚まさないんじゃないと思った。もう私の前から誰かがいなくなる事は嫌……なの」

 恵美の瞳から次第にあふれ出す涙。その一粒が僕の頬に落ちる。

 その人の名を僕は言いかけて……止めた。

 今はまだ彼の名を知る事を恵美に知られるわけにはいかない。そう僕が今響音さんの存在を口にすることは恵美の中に入り込む事だ。

 僕にはまだ、その勇気がない。もし、僕が彼女の心の中に入り込んだら……

 多分、恵美の想いをようやく立ち直った恵美の心を閉ざす事になるんではないかと怖かった。

 それでも……何か僕の胸の中から、心の中から湧き上がる熱い想いとその苦の想いが、交じる逢う。

 次第に、恵美の握る手に力が籠められる。不思議と彼女の顔をまじかに見ているとその二つの想いは次第に静まる様な気がする。

 金色の長い髪がサラリと僕の濡れたほほに触れた……

 外は静かに雪が降っている。房総では珍しい雪景色。

 その透き通るブルーの瞳が僕を吸い込むように、ゆっくりと優しく恵美の唇が僕の唇に重なり合う。

 その時、かすかに聞こえた彼の名「響音」と……

 いま、恵美は僕に響音さんを重ねているんだろうか? それとも……

 暖かい彼女の唇はとても柔らかく甘かった……

 そして僕はまた、眠りについた。


 雪は次の日には綺麗に溶けてなくなっていた。

 白く色塗られた景色はまたもとの色を取りもす。何もなく白い世界は、

 それでもその世界は美しい と、僕は思った。


 全てを消し去る色……だけど、それはこれから塗り替える事が出来る色。

 恵美の心は今あの雪の様に白く輝いているのかもしれない。


 年末の良く晴れた冬の空。夏の様に青い空を思い起こさせるように澄み切っていた。温かな日差しの中、恵美は、あの河川敷に行っていた。響音さんのアルトサックスと共に。

 そして、奏でる冬空に。あの音色を。

 その音は空に吸い込まれる様に透き通り、響き渡る。音色が変わるのはその人の心の中の想いが、そのまた奥にある想いがその音色を変える。

 恵美の音色は少しづつ変わって来ていた。そう初めて訊いたあの悲しみの音色から……この空の様に広くそしてうっすらとかすみかかった、アズレ・ブルーのこの空に。その彼方にいるかの人へと届くかのように……


 僕が恵美にプレゼントしたリードが、響音さんのアルトサックスを響かせる。

 もうじき新しい年が僕らにやってくる。

 その時の流れは確実に僕らを成長せた。そして、悲しみと苦しみをも乗り越えるその強さを僕らはこれから……持たないといけない。



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