2.戻れない想い◆黒い海
◆黒い海
僕は、言われるまま先生の車に乗り、未だ目的地も告げられず移動を続けている。
途中先生は、花屋で花束を買い、コンビニに寄って缶コヒーを二つ買ってきた。
「ほれ、飲めや」そう言って僕に缶コヒーを手渡した。
車は市街地の外れから高速道路に入る、車はスピードを上げ僕のいる街から遠ざかる。
「先生、いい加減に行先くらいは教えてくださいよ、なんか誘拐されているみたいで、落ち着かないです」
「はは、誘拐か。用事があるのは俺だ、お前は付き添いだ、黙って乗ってろ」
先生は運転席側の窓を少し開け、胸ポケットから煙草を一本取り出し口にくわえた。
「先生煙草吸うんですか?」
「ああ、たまにな。いやか」
「いいえ、どうぞ」
先生は、加えている煙草に火を着け、軽く白い煙を出した。
「なあ笹崎、お前恵美のこと好きだろ」
僕はびっくりして、コヒーを口から吹き出しそうになった。
「な、なに言うんですか」
「はは。思い余って告白したものの、返事はNOだったんだろ」
「ど、どうして知ってるんですか?誰から訊いたんですか」
「誰って、本人からだよ」
「本人って、恵美」
「ああ、あいつ俺によく話に来るからな」
「よく話に行くからって、そんなことまで話しているんですか恵美は」
「まあそんなに怒んなよ。あいつはただ勝手に俺に話しているだけなんだから、そんなに気にすんな」
「気にするなって言われたって」
僕は思わず聴いてしまった。
「先生、どうして、どうして恵美はそんなに先生と親しいんですか」
「あいつ、もしかして先生のこと・・・・」
「それは無いな」
先生は、はっきりと断言した。
「どうして、そう言えるんですか、先生だってあいつのこと名前で呼ぶし、恵美の話し方だって先生と生徒の話し方じゃ無いですよ。
恋人じゃなかったら、ずうっと前から知り合いだったとでも言うんですか」
僕は興奮のあまり、声を荒げて言った。
「ずっと前からの知り合いねぇ。ま、もうじき解るさ、その為にお前を連れてきたんだから」
車は、フェリーの入港する港に来ていた。
先生は乗船券を購入し、駐車場で少し待った後、車をフェリーの車庫に入れた。
僕と先生は、車を降り船内へと向かった、先生は客室の椅子に座り
「着くまで40分くらい掛かるから、俺はひと眠りするぞ」
そう言うと先生は寝入ってしまった。
僕はデッキに出て船から外の景色を眺めた。午後3時過ぎ、初冬の海風は冷たかった。
フェリーは港を離れ一路目的の港へと出航した、およその方向は見えてきたが未だに、その目的地と僕を連れてきた意味は解らないままだった。
「まったく、どうなってんだよ。それに先生と恵美はどんな関係なんだよ」
「わかんないことだらけだよ」
僕はただ、晴れた日の海を眺ていることしか出来なかった。
さすがにこの時期の海風は体を貫くように僕に入り込む。
「寒い、風邪ひきそうだ」
僕はデッキを離れ客室へ戻った。椅子の方を見ると、先生は両手をだらんとたれ下げ熟睡していた。
「ああ、これじゃ30半ば過ぎても結婚出来ない訳だ」
でも、指揮棒を振ってる姿はかっこよかった。
去年の「森際」で吹部の演奏を訊いた時、孝義が
「やるじゃん、うちの担任」
と、言うくらいだった。
当の僕は恵美が演奏しているのを見ているのが精いっぱいだった。
僕は売店でホットミルクティを買い、窓側の席でガラス越しの海を見ていた。
僕らは、フェリーを降り海岸沿いの道路を走っている。
「笹崎、疲れたか、もうすぐだからな」
「大丈夫です」
僕はそのあと何も答えなかった。
車は大通りを外れ、小高い丘にある墓地についた。
「さあ、着いたぞ」
先生はそう言うと、花束とミリッツァが綺麗にラッピングをしたカヌレの入った箱を持ち出し墓地へ向かった。
僕はその後を追った。
ある墓石の前で、二人の足は止まった。
「先生、このお墓って」
「ああ、俺の実のお袋と弟が眠っている」
そのお墓はきれいに掃除がさていて、花束とお線香が供えられていた。
「もう、来ていたか」
先生は、花束と一緒に持ってきた線香に火を着け、花束とカヌレを箱のまま供え手を併せた。
「今日は弟の命日でな」
「先生、弟いたんですか」
「ああ、腹違いのな、お袋は俺が小学校のとき亡くなったんだ。 それからしばらく2人で暮らしていたんだが、親父、再婚してな」
「その時生まれたのが弟、響音だ」
「弟と言っても俺とは13も歳が離れていたから、兄弟だとはあまり感じなかったな。だからかな、物凄く愛おしかったよ。」
「弟さん、いつくらいに・・・」
「今日で4年になるな」
先生は、しみじみと思い出を垣間見るように話した。
「なぁ響音、お前が居なくなってもう4年も絶っちまったな。そっちでどうしてる?相変わらず、サックスばっかり吹いてるんだろうな。響音、よくお前とよく合奏したなぁ。またうまくなったか・・・」
先生には見えるんだろう、弟の響音さんがそこにいるのが。
辺りは、薄暗さを徐々に重ねるように暗くなり、いつしか墓地の街灯がおぼろげな光を投げかけていた。
その暗さでも先生の目から、こぼれ落ちるのを必死に耐えている涙を、僕は見た。
ある日、最愛の人が自分の前から永久にいなくなる。
考えることさえ出来ないことだ。
僕もそうだ、未だにあの何も変化のない平凡な生活が終わってしまった事を、心の中では受け入れてはいない。
多分、幾ら年数が絶ったとしても、あの頃の事は必ず心の中に留まり続けるのだろう。
僕が、両親の墓石に行くと、二人は静かに語りかけてくれる。
同じだろう。
今、響音さんも先生に、いつものように語りかけているんだろう。
その声は、僕にも伝わって来そうな感じがした。
「おう、そうだ響音、今日は俺の生徒も連れてきたぞ、ちゃんと教師やってるから安心しろ」
僕は墓石の前にしゃがみ、静かに手を併せた。
「笹崎結城です」
僕も一言、響音さんに話かけた。
ふと、言葉には出来ない何か暖かい気持ちが、僕の胸の中に流れ込んで行くような気がした。
その後、先生は響音さんに
「響音、今笹崎は恵美と一緒に暮らしている」
「それをお前に報告したくてな、こいつを急遽連れてきたんだ・・・」
そう言って先生は立ち上がった。
「そうだな」
先生は何か響音さんから話しかけられたかのように
「笹崎、恵美のことなんだが、実は生前響音と付きあっていたんだ」
僕は訊いては逝けないことを、間違って訊いてしまったような錯覚をした。
言葉が出ない。
「俺ら、響音が亡くなる半年前まで、今、お前が居る街に住んでいたんだ」
「親父、楽器の修理屋でな、色んな楽器の修理を手掛けていたよ。
若いころ海外で腕を磨いてきたらしい。その腕を、俺らが行っている高校の理事長が知って、5年という約束で、この地から移り住んだんだ。
今はもうその建物は無いが、恵美のカヌレからすぐの所に作業場兼自宅があってな、恵美もよく親父の仕事みにきていたよ。
まぁどちらかというと、それに託けて響音に会いに来ていたんだろうな。
恵美って外見は本当に外人のようだろ、だからあんまり友達もいなくてな、響音はそんなの気にするような奴じゃなかったし、恵美のこと妹が出来たみたいだって言ってたしな」
先生は、墓石を見下ろしながら響音さんと、恵美のことを話してくれている。
僕は、その話をただ訊いていた。
「恵美が中学になって、吹部でサックス吹くようになったんだ、しかもアルトをな。
多分、俺より響音の影響だろうな。
初めはほんとに下手だったな恵美の奴、音階は取れないわ、キーやレバーの操作も出来なくてな、そんな恵美に、響音は優しくじっくりと教えていた。
俺はその二人を見ているのが微笑ましくて、すきだったなぁ」
「響音の指導のたまものだろう、恵美もそれなりに吹けるようになって、あの地元の吹奏楽団で演奏するようになってな。
響音はファースト、恵美はサード、俺はもう教職に就いていたから、時間のある時だけ参加していた。
あいつら二人、本当にいい演奏してたよ」
「俺はこの二人の演奏がいつまでも、永遠に続くのだと思っていた」
「儚い夢だったよ」
僕はためらいながら、先生に
「響音さんは、どうして亡くなったんですか」
先生は、こみ上げるものをぐっと堪えて
「病気だった。4年前の夏、恵美が中学3年の時に解ってな、その時にはもう、手遅れだった」
「恵美には響音の病気のこと、軽いもんだと言って、俺らはまたこの地に戻ってきた。
恵美もよく見舞いに来ていたよ。
でもあいつ、恵美は薄々感じていたんだろうな、響音はもう助からないって、響音が亡くなる1か月くらい前からぷっつりと来なくなった」
「それからは、あっという間だった。
一日が過ぎるたびに、響音の容体は悪くなっていった。
危篤状態になって、俺は恵美に連絡をしようと病院のホールに行くと、恵美が其処にいた。
恵美も何か感じたのか、それとも、響音が呼んだのか、あいつは奇跡的に来ていたんだ」
「恵美は響音の手を握って、涙いっぱい流していた。
「ごめんね」響音は恵美にそう言っていたよ、俺らが訊くことが出来た言葉は、それが最後だった。
響音は多分、最後の力を出して、声にならないような声で、恵美の耳元で何かをささやいていた」
「恵美はしっかりと訊いていた様だった」
「ばかぁ、響音にぃ。私は、私は・・・」恵美がそう言った後
「響音は、ふうっと微笑んで、逝ってしまった。本当に幸せだったよって、言っているような顔で」
「それっきり、何度も何度も響音って呼んでも、響音は何も答えてはくれなかったよ」
先生は辺りを見まわし
「もうだいぶ暗くなったな」
「響音、また来るからな」
そう言って、先生は車の方に戻ろうとしたが、僕は、響音さんの眠る墓石の前から動くことが出来なかった。
恵美に、こんなにも辛い過去があったなんて、想像すらしていなかった。
あの、妖精のような面影の彼女に、降り注いだ悪夢、悔しいが二人が楽しそうにしている姿が思い浮かんでくる、それを感じるごとに、目からは耐えどなく、熱い涙が溢れていた。
「笹崎」
先生は、僕の肩に手を軽く置き
「ありがとう」と言った。
ふと見上げると、その丘からは、暗く吸い込まれそうな海が見えていた。
今の僕の心を映し出しているかの様に。
僕らは、車に乗り墓地を後にした。




