2.月あかりの落ち葉
午後からの授業は睡魔との戦いが始まる。
窓際の席にいる僕は、スチームヒーターからくる心地いい暖かさによって睡魔に支配されてしまう。
「ねぇ笹崎君、笹崎君ってばぁ」
僕は遠くで誰かに名前を呼ばれているような夢を観ていた。
ん、夢?いや違う。
慌てて起きあがると、戸鞠真純の顔が数センチのところにあった。
顔、いや彼女の薄いピンク色をした、ぷるんとはじけそうな唇が、視界を覆っていた。
「きゃ」
戸鞠真純は少し動揺した表情で
「んもぉ、ようやく起きた」
「笹崎君、学校祭の打ち合わせ始まっちゃうよ」
今年僕はクラスの学校祭、通称「森祭」の役員になっていた。
第2回目の打ち合わせ、今回は生徒会へ予算の申請の重要な打ち合わせだ。
「あれ、孝義は」
「とっくに部活行ったわよ、帰る人は帰っちゃったし」
教室を見渡すと、そこにいるのは、僕と戸鞠真純の2人だけだった。
「ねぇもう行くわよ、今回は遅刻厳禁って生徒会長言ってたわよ。それで予算削られたらたまったもんじゃないわ」
そう言って彼女は僕の腕を引っ張り生徒会室へ向かった。
今年僕らのクラスは、相当もめた末「バザー」をすることにした。売り上げで得た収益は、学校を通じて福祉団体へ寄付をすることにした。
もめた原因は、孝義だった。
「今年は、絶対にメイド喫茶をやろう」
孝義の発言に、多くの男子生徒は、大いに賛同した。なんと担任の北城先生までも
「お、いいねぇ、女子のメイド服姿そそられるねぇ」
「ちょっと先生、私そんなのいやです」
ある女子が言うと、こぞって女子から反対の声が鳴り響いた。
「どうしてもメイド喫茶やりたいなら、男子がメイド服着たらいいじゃない」
「おいおい、それは勘弁だな、それに俺は吹部で忙しいからあんまり協力はできんぞ。俺はお前らを信用するから、好きにやってくれ。おっと失言、今年は自主性を俺は求めているぞ」
うまく逃げたな、この担任。
女子からの猛反対もあり、メイド喫茶は廃案となった。
色々と意見はあったが結局のところ「バザー」を行うことに落ち着いたのだ。
「よかった、申請通りの予算が通って」
「戸毬の資料がよくできたからだよ」
「そんなことないわよ、笹崎君がすんっごくフォローしてくれたからだよぉ」
僕らは打ち合わせを終え放課後の廊下をならんで歩いていた。
ふと見上げると、首にストラップをかけアルトサックスを抱えながら、恵美がこっちに向かっていた。
「あ、三浦さん」
戸鞠真純が手を振って声をかけた。
「どうしたの?」
「森際の打ち合わせ、今終わったとこ、三浦さんは部活中?」
「ええ、これから合奏なの」
恵美は僕の方をちらっと見てすぐに目をそらした。
僕も恵美と目を合わせないようにちょっとうつむいた。
「それじゃ私もう行かないと、じゃあね」
彼女は僕とすれ違う時、ちいさなこえで
「ばか」
と、一言ささやいた。
「合奏がんばってねぇ」
「ハーイがんばりまーす」
と恵美は片手を上げて音楽室へ向かっていった。
僕がきょとんとしていると
「ねぇ笹崎君、どうしたの?」
戸鞠真純が僕の顔を覗き込んでいた。
「なんでもないよ」
「うそ、だって顔赤いもん。さては、三浦さんに見惚れていたんじゃないの。彼女本当に綺麗だもん、女の私さえ見惚れてしまうもんね」
「それに彼女、サックス本当にうまいのよ。中学のとき地元の楽団に入っていたんだって、今は行っていないみたいだけどね」
「そうなんだ・・・」
楽団に所属していたのは知らなかったが、彼女の奏でるサックスの音色は、他の誰よりも好きだった。
今でも彼女の奏でるサックスの音色は僕の心を揺さぶっている。
「ねぇ、知ってる? 三浦さんの家ってケーキ屋さんなのよ。よく雑誌なんかに載ってるわよ。えーと確か、か何とか」
「カヌレだろ」
「そうそうカヌレ」
「笹崎君よく知ってるわね」
しまった、思わずその名を口にしてしまった。
「ケ、ケーキ好きなんだ、たまにあの店にも行くよ」
「ふぅん、そうなんだ。なんだか意外、笹崎君がケーキ好きだなんて」
「何でだよ、男がケーキ好きでもいいじゃないか。それに俺、料理もするし、コ、コーヒー入れるのうまいんだぜ」
「うふふ、どうしちゃったのそんなに慌てちゃって」
「そっかぁ、笹崎君コーヒー入れるのうまいんだ、今度笹崎君の入れたコーヒー飲んでみたいな」
「機会があったらな」
「約束だよ。ハイ指切りげんまん」
戸鞠は、小指を指し出した。
「早く、はい」
「指切りげんまん、嘘ついたら「はりせんぼん」のーます。指切った。楽しみだなぁ、笹崎君の入れるコーヒー」
「ぜーーたい飲ませてよ」
「強引だな」
「そ、私は強引な女なのでしたぁ」
戸鞠はにこやかに、振り向きながら言った。
僕らはいつしか、駅までの道を二人で歩いていた。
初冬の夕暮れは早く、あたりはうす暗くなり街灯が、僕たちの歩く道をほのかに照らしている。
「ふぁ、きれいな楓の葉、真っ赤だよ」
戸鞠は、歩道のわきに落ちている落ち葉を手に取って僕に見せてくれた。
「ね、綺麗でしょ」
「ああ」
「もう、もっとなんかないのぉ。あ、黄色いのもめっけ」
戸鞠は2枚の楓の葉をノートに挟んでカバンに入れた。
「どうすんだよ、その葉っぱ」
「内緒、おしえなーい」
「あ、そうだ笹崎君、スマホ。えへへぇ、最新のオニューのスマホだよぉ」
「なーんだ自慢かよ」
「あーこれ買ってもらうの大変だったんだから、それより、ハイ赤外線」
僕はスマホを戸鞠の方に向けた。
「これ、あたしのメアドと番号、よしよし笹崎君のも来ているな。コーヒー飲みたくなったら連絡するから」
「おーい」
「あはは、冗談よ」
「それより、電車来ちゃうわよ、急げぇ」
僕らはぎりぎり電車に間に合った。
この時間にしては電車は空いていた、戸鞠は出入り口のすぐの椅子に座り、僕はポールにのっかかり出入り口の窓から、夜の町が放つあかりを眺めていた。
「次は・・・・」
車内のアナウンスが僕の降りる駅をしらせる
「戸鞠、俺ここだから」
「あ、そうなんだ、大分近くなったね。私なんかあと5駅もある」
「それじゃ、また明日」
そう言って僕はホームに降り立った。
「3番線ドアしまりまーす。ご注意ください」
戸鞠は出入り口の前に立って、小さく手を振っていた。
僕も胸のあたりまで手を上げて、応えた。
やがて、戸鞠を乗せた電車はホームをすべるように流れ、駅を後にした。
電車が出た後のホームには寂しさだけが僕を包み込む。




