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レモン  作者: 河 美子
4/12

グリークラブもいいものねえ

 ホールに響いた歌声と華麗なタクトのおかげで、すっかり未知の世界に酔いしれた私。

 重厚なホールとはいっても、かなり古くてトイレも洗浄機能もない和式だけど。この感動はなんだろうか。私って本当は宝塚に向いていたのかもしれないと、勝手に妄想にふける。

「どう?」

「あ、弥生。すごいじゃん、想像以上というかもう感動ものよ」

「でしょう? グリークラブって素敵よ」

「本当だね、あの指揮者もいいしね」

「ああ。恒夫ね」

「彼なの?」

「ううん、私は違う」

「ということは彼女がいるのね」

 少しがっかり。

「うーん、そこがはっきりしないの」

「どういうこと?」

「恒夫はね、音楽一筋なのよ。何人かアタックして付き合った子もいるらしいんだけど、BGMなんかかかってたらいつの間にかそちらに気を取られて会話も進まないって」

「ふーん、会話が面白くないの? そんな感じじゃないけどなあ」

「うん、だよね。でも、次の約束なんて待ってても一生かかってこない感じだって」

「恋じゃないんだね」

「あら、華、わかったようなこと言うね」

「まあね」

 別に恋の達人でもないけど、なんとなくそんな気がする。音楽に浸ってるって心地いいのかもね。しかも彼の指揮で歌声が統一されていくというか重厚さが増したり、魅惑的になったりすれば、それはきっととても感動する瞬間なのだろう。

 小学生の時に音楽会の練習はとてつもなく楽しいものだった。朝に夕に練習して曲が仕上がっていく。六年生にもなると、クラシックの醍醐味も味わって、いたずらっ子でさえも音楽の時間には集中したものだ。

 私はマリンバだった。あの威風堂々の曲などは体が震えるような感動をした。

 弥生はまたチケットの販売に行ったようだった。入り口で見ていた新入生に無理やり売っているように見えるが気のせいだろうか。

 恒夫が休憩を告げると、みんなはリラックスしたようにステージを降りた。恒夫は後ろを振り返って私を見つけるとこちらに向かってきた。

「どうでしたか」

「すごいわあ、感動したわ」

「いいものでしょう」

「本番はもっと素敵ね」

「ええ、期待していてください」 

 そう言うとにっこり笑う恒夫に胸がきゅんと来る。本当にいい加減な私。

 まだまだ練習するグリークラブの声を聴きながら外に出ると、夕暮れの空に飛行機雲が二本見える。日本メドレーの曲が聴こえてくる。平城山の物悲しいメロディーが私を勝手にヒロインにしていく。

 お腹がグーッと鳴って、ヒロイン台無し。マナーにしていたケータイから敦の着メロ。

「おーい、なんか食べに行かないか」

「あれ、いまどこ?」

「大学の正門前。華はどこ」

「第二音楽堂。正門で待ってて」

「うん」

 帰ったと思っていた。翔と二人でお金を払って私のところになんか帰ってこないと思っていた。でも違ったみたい。

 ニタニタしながらスロープを走っていくと、加速度がついちゃって止まらない。

「やだ~」

 いい歳してみっともない。足がバタバタと前へ進みすぎる。

 持っていた大きなトートバッグで体のバランスを崩す。

「きゃあ」

 見事に転んでしまった。

 しかも、ものぐさに詰め込んでいたバッグのものはそこら中に飛び散った。

 化粧ポーチにキャンディ、財布、タオルのハンカチ、サラ金のティッシュ、ケータイにチケット、そして大事な手帳。

 半分は痛みで、もう半分は恥ずかしさからもう泣きそうな気分。

「何やってるの」

「あ、敦」

「このスロープを走ったらそうなるって」

「うん、そうだよね」

「大丈夫か」

「痛い」

「あーあ、破けてるぞ」

「え?」

 クロップドパンツの膝が破けてしまった。高かったのに、とはいっても六七八〇円だったけど。 

「歩ける?」

「うん、無理」

「嘘はいけません!」

「ち、ばれたか」

 笑いながらも拾い集めてくれる敦。この優しい男の彼女になるのが理想だったことを思い出した。恒夫のこともいいけど、やっぱり敦がいいなあと、勝手に夢を膨らませる。

「ねえ、何を食べる?」

「牛丼」

「やだあ、また?」

「今日はサービスで二五〇円」

「嘘、行くわ」

 金のない大学生は牛丼の得意客よ。二人で並んで歩く。とりとめのない会話は延々と続く。大学のあちらこちらでは就活の案内がたくさん貼っている。

「ねえ、いつかあのスーツ着て探すんだよね」

「そうかもね」

「あなたは店があるじゃない」

「無理、あれは兄貴が継ぐんだから」

「兄弟でやればいいじゃない」

「そんな儲かる話じゃないさ」

「そうなの? でも儲かってるみたいに見える」

「だって、うちで使ってる人件費を考えてよ」

「あ、そうか」

 敦もふわふわしているようで考えてるのね。私はまだ何にも考えてないのに。トートバッグからさっき買ったチケットを出す。

「ねえ、これ、弥生から買ったの」

「グリークラブ?」

「うん、千円で」

「え、俺の分?」

「買ってくれるの?」

「えーっ、普通聞くでしょ、いるかどうか」

「だって」

「まあ、いいさ。明日払う。これも付き合いだもんな」

「でも、やっぱりいい。私のおごり」

「いいよ、華も金ないだろ」

「でも、いいの。すごくよかったんだもん、グリークラブ。聞いてほしいから」

 少し意外そうな顔をしながら、敦はチケットを受け取った。

「ありがと。二人でおしゃれして行くか?」

「なんでおしゃれなの?」

「グリークラブってスーツ着てるでしょ」

「違うのよ、敦古い!」

 私はそう言いながら、グリーのポロシャツ姿を思い出していた。

 牛丼店はうちの大学生で満員で、一五分も待たされた。

「つゆだく二つ!」

 二人で上あごやけどしそうな勢いで食べた。

 

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