2話 セピア色の過去
5年前。
私はまだ10歳だった。
しかし小学生ではなかった。
私は小学校に行っていなかったのだ。別に引きこもっていたとかいじめられていたとかそういうことではない。
入学すらしていなかったのだった。
時間をさらに戻す。ご心配なく、その話は割とすぐ終わる。
幼稚園の頃、絵を描く機会が当然あった。初めて他人の前で絵を描く日だったので少し興奮していた。絵を描くのは大好きだったのだ。何でも好きな物を書いて良いと言われたので、私はたまたま近くにあった花瓶に活けられた、名前も知らない花を描くことにした。
見たままのそれを描くだけ。ただそれだけの作業を私は意気揚々と始めた。
祖父は大工、父は設計士、母は書道家、そして祖母は画家という、芸術一家に生まれた私は、絵を描くのが好きだった。またそんな芸術一色の家族で生活していたからにはアンティークや骨董品、陶芸にも興味を持っており、私も触れる機会が多かった。大工道具や精密機械、諸道具、画材も幾度か使わせてもらったことがあった。
それはともかく。
私は家から拝借した鉛筆でその花を描いた。ついでに花瓶も。
それから幼稚園児らしく、当時持っていたクレヨンで色を塗る。余計な汚れや色の混じりが現れないように丁寧に塗っていく。油のべたつく感じが手についたのを覚えている。
そうしてできた絵を私は自慢げに先生に見せる。他の皆が絵を見せていると、先生が笑顔でみんなの頭を撫でて褒めていた。私もしてもらいたかった。
しかし、私が絵を見せると、表情を変えた。その表情は今の私でも説明のできないものだった。
笑顔が固まった。目を白黒させた。驚愕に何も言えなくなった。
そう表現するに近く、それでも違う表情をした後、先生は笑顔を取り戻して私をなでて褒めた。
それでもその笑顔からでもにじみ出ていた。
「何だコイツは」
という、まるで化け物でも見たかのような表情が。
まあ結局何が言いたいかというと、私の「模写」の才は幼稚園児の頃には既に確立されていた、ということである。
そして、両親は私を幼稚園に行かせなくなった。
私が察するに、両親は――というか母は、恐らく私の力が親や家族の贔屓目を抜いた第三者から認められるかどうかを試したのだろう。
結果、私の力は人を恐怖させるほどの力があった。
もちろん、私が幼稚園児だからこそということもあるだろうが。
話を戻そう。
5年前だ。
大工である祖父と父の仲間たちで、一軒の家を建てた。小さな、いわゆるログハウス。もちろんコンクリートで補正はしてある。今、私が住んでいる家とほぼ同じものだ。
その大工仲間だった内の一人が、父の兄弟、つまり私の叔父だった。祖父の息子である父と叔父はどちらも大工になるらしい。父は測量の勉強もしていて、大工には向いていた。
家は割と早くできた。まあ、私が生活するだけの家だからそれも当然だった。
そう。
私はここで生活する。
贋作師として。
私の才能を見た母は私を偽の美術品の作成に当たらせた。父は母の勢いに気圧されるように同意したためか、当時私を申し訳なさそうに見つめていた。
その家では私の部屋とリビングと「監視役」の部屋と風呂があった。監視役は父と祖父と母が交代で行っていた。
そして私が小学6年生卒業予定の日。午前中は晴れていたのに夜になると大雨が降り出した。屋根と壁の隙間はコンクリートなので雨が吹き込んでくることはなかったが寒かった。
目を閉じて眠ろうとしていた時、リビングから音が聞こえた。
開けるとそこには、鮮やかな赤と黒の混じった赤。仄かな黄色と倒れている3人の黒。そして立っている男の右手で赤と銀が鈍く光っていた。
その後、この家は燃やされた。恐らくその人物に。
私は偶然、この辺りまで来ていた親戚(叔父さん側の家族がきていたようだった)に拾ってもらい、事件は『放火事件』として幕を閉じた。
私がそうしたのだ。
私の形跡をなかったことにし、何の疑問もなく私が解放されるために。
こうして偽物を作るという私の人生は終わった。
わけがなく、今でも私のことを知っている人間は私を『頼ってくる』から、私は彼らのために偽物を作っている。