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epilogue

 赤煉瓦の屋根から空に向かって突き出た尖塔が、鬱蒼とした緑色の絨毯に長い影を伸ばしている。地上から最上階へと向かうにつれて枠が小さくなっていくガラス窓は、眩い朝日を照り返して鏡のように煌めいていた。

 針葉樹を思わせる外観の建物を支えているのは16個ものL字型の飛梁だ。壁が外に向かって崩れぬよう補強に使われるそれが等間隔で設けられており、遠くから望めばクリノリン入りのスカートを纏っているように見える。

 ケセルティガーノにおいて城より背が高いと言われている荘厳な建築物。その最上階の一室では、政治家が好みそうな豪奢な椅子に、一人の少女が腰を下ろしていた。

 頭の両側は赤と黒のストライプリボンで結ばれ、束ねられた黄金色の髪が机の角に垂れている。白磁の質感を持つ頬には目を凝らしてやっと気づくくらいのチークが塗られている。にもかかわらず、人形めいた印象があるのは、無表情であることと無関係ではなさそうだ。

 ひらひらの、少しゆったりとした真紅のドレスに身を包み、爪もドレスに合わせたのか、艶やかな赤のマニキュアに彩られていた。全身を赤と黒に統一しているせいか、本人の色白さが際立っている。


 あどけなさを残した少女の書斎机には、紙が積み重なってできた塔がいくつも並んでいた。その谷間で、彼女は書面をチェックしてはサインを記し、捺印し、書箱に納めていく。ただし、倍速で。

 ややあって身を捩るように伸びをしてから、口を押さえて欠伸を噛み殺した。続いては、脇に避けていたティーセットに視線をやり、今はもう冷めかけたカップを手に取る。固さのない流れるような動作は、その姿と相俟って深層の令嬢を彷彿とさせた。

 事実、彼女は世界有数の商家の娘であったが、こと経営手腕においては一族始まって以来の剛腕とも噂されていた。やり手と称された先代社長、彼女の父トッテム氏が隠居を口にしたのは齢四十にも届かぬ頃のこと。周りはてっきり出奔した長男を呼び戻すのかと思っていたのだが、その予想はあっさりと裏切られた。先代はあろうことか、未だ学校に通っていた十二歳の娘を社長に据えると公言したのだ。

 そしてこれまた驚くべきことに、未熟と言って差し支えぬ若さの娘を社長に据えることについて、社長以下周りの者たちから反論がなされることはほとんどなかった。社長が会長に就任して後見役を務めるといった対応を抜きにして、少女のことを少なからず知っている者たちが「あぁ、彼女なら別に問題ないんじゃない?」とばかりに納得してしまったためだ。所用で会社を何度か訪れていた彼女が、そこかしこで披露した礼儀作法や気配りに対し、社員が漏れなく好印象を抱いていたということも一因かも知れない。

 そんなわけで不安視されての船出ではあったが、彼らの目がすべからく正しかったことを証明するかのように、少女は父顔負けの辣腕を振るい続けた。暗礁を即座に見切り、嵐を予測してやり過ごし、向かってくる鮫の群れをことごとく返り討ちにした。

 そのうちに、企業運営の一環として各国から漏れ出てくる混濁とした情報を巧みに切り合わせていた少女は、近い将来に大きな戦が起こることを予見。当時は傘下組織のひとつに過ぎなかった傭兵ギルドの拡張に踏み切った。私財を切り崩し、年若く有望な傭兵を招き入れ始めてから今日まで足掛け10年弱。中堅に過ぎなかったシルフィールが四大ギルドと言われるほどの力を蓄えるに至った、これが顛末てんまつである。

 そんなやり手社長の顔も持つ少女がカップの淵から口を放したところで、扉をノックする音が二回鳴った。


「お嬢様、今朝方届けられた書類一式をお持ちいたしました」

「入りなさい」

「は、失礼いたします」


 入室したのは銀髪をきっちりオールバックにした二十代後半と思しき美青年だった。脇には分厚いファイルを抱え、空いている手の方には糖芋をベースにした茶菓子の乗ったお盆が乗せられている。

 青と白を基調とした燕尾服は高級売春宿の客寄せに見えなくもない。が、隙のない笑みと真摯さがそこはかとなく伝わる真っ直ぐな視線。軍隊経験を彷彿とさせるきびきびとした動作を目の当たりにすれば、軽薄な印象など微塵も感じられない。彼は衣装に着られることのない、数少ない逸材だ。ぼろを纏ったところで物乞いではなく、亡国の皇子か何かに見られてしまうくらいに。

 もちろんそういった事実は一切なく、彼がごく一般的な小麦農家の六男坊であることを、雇い主である少女はよく知っている。


「ご機嫌麗しゅうございます、ラミエルお嬢様」

「可もなく不可もなく」

「何よりでございます」

「平凡が一番ね」

「これは、一般大衆を敵に回してしまいそうなお言葉ですね」


 盆に乗っている一口サイズの高級菓子に目配せし、執事スチュワードのビリー・スタンレーは大袈裟におどけて見せた。だが、それよりは室内にある一品物のシャンデリアや飾棚など――何点か売っただけで新築一戸建ての費用を賄えるだろう――煌びやかな調度品の数々を指摘した方がより正確かも知れなかった。


「変に気を使ったところで嫌味に思われるだけよ」

「たった今、お嬢様の心の深層にある深い傷を垣間見たような気が」

「かすり傷」

「なんとおいたわしい」

「……過保護ね」

「恐縮でございます」

「褒めてない」

「左様でございましたか」

「定期報告、始めてちょうだい」

「畏まりました、ではささっと」


 ビリーは盆を傍らにある本棚に置いてから、紙束を反らして捲りやすいようにした。ラミエルは柔らかそうな背もたれに身を沈め、膝の上で手を組んだ。


「ルクスプテロン連邦より新人傭兵の依頼放棄に関連する苦情が幾つか寄せられております」

「下に」

「昨年度末の鉱石拠出による損益計算書が上がってきて――」

「下に」

「セーニア教国より注意喚起という名の脅迫状が――」

「下に」

「ジヴー連合より先の件に関する――」

「寄越しなさい」

「――危のうございました」

「油断は禁物ね、ビリー」


 ラミエルはパチパチと、人形のように完成された目を瞬き、ビリーが両手でうやうやしく差し出した紙を数枚受け取った。


「単純作業の裏に潜む狡猾な悪魔を、垣間見た気が致します」

「そのテーマで本を書けば売れるかしら」

「ラミエル・エスチュード監修、というキャッチフレーズだけで飛ぶ鳥落とす勢いですね」

「それは駄目よ、世界から鳥が一羽もいなくなってしまうわ」

「よもや」


 普段通りのやり取りを挟みながらも、ラミエルは己の仕事に余念がない様子だった。

「ふむ、……ふむ」

「なんと書かれておいででしたか」

 書面に目を走らせるラミエルに、ビリーは少し興味を引かれたようだった。

「杞憂、いらざる心配、もしくは思い過ごしとも言う」

「日々語彙ごいが増えてきているようで、真に喜ばしゅうございます」

「人は進化するものよ。ときに」

 書類を机に投げ出すように置いてから、ラミエルは面を上げた。

「根回しは済んだのかしら」

「ばっちり、でございます」

「先方の反応は」

 ビリーはびしっと親指を立て、口を半月に形作り、前歯をキラリと輝かせた。

「……好感触?」

「流石はお嬢様、ご明察でございます」

「回りくどい」

「失礼いたしました」

 ビリーは恐縮したように腰をぴったり45度曲げた。その後で、顔だけを起こす。ラミエルは左右のツインテールを揺らしながら足元に手を伸ばしていた。


「ところで、ゼノワ様への礼状は」

「不要よ、それなりの報酬は支払っているのだし、元々ニルニルの頼みだもの」

 そう返しながらも、ラミエルは引き出しから緑色の魔石を一つ取り出した。指先でツンと小突くと、魔石が光を放ち始め、一瞬にして鳥の霊体を形作った。羽ばたき始めた霊体が硝子窓を透過し、南方へと飛び去っていく。

 霊体の軌跡が完全に見えなくなってから、ビリーがやや控えめに訊ねた。

「僭越ながら、よろしいのでしょうか」

「私は第二十六代エスチュード家当主、ラミエル・エスチュード。ラミエル・エスチュードよ」

 と言いつつも、ラミエルは腰に手を当てて足を組み替えた。

「ご立派でございます。お父上もさぞ喜んでおいででしょう」

「いかにも。その私が尽力を求めてきたことそのものに愉悦を感じて然るべき。頼み事をした瞬間に礼を果たしているようなものね」

「――いっそ清々しゅうございます、お嬢様」

「省略された言葉が気になるのだけど」

「さておき、お金は大切です」

「唐突にもほどがある」

 ビリーは気まずげに咳払いをした。

「私も、特別報酬ボーナスの後などは誰よりもほくほく顔な自信がございますよ」

「ビリーは――――幸せね」

「……省略された言葉とついでに絶妙な間が、気になるのですが」

「私の胸に渦巻くもやもやが少しはわかってもらえたかしら」

「存分に、自らの至らなさを前世にまで遡って恥じるばかりでございます」


 直立不動のビリーから目を放し、ラミエルは椅子をゆっくりと回転させ、背に合った大きな窓に向き直った。丘の麓にはケセルティガーノの古風な街並みが一望出来る。その更に奥には何隻もの船が行き交う湾が望めた。


「人は言う、世の中お金が全てではないと」

「おぉ、感動的且つ迂遠うえんな台詞でございますね」

「それでいて、自らの心に疑いを持つ不条理な生き物でもある」

「まさに、私も日々疑っておりますよ」

「あらそう、最近はどんなことを疑っているの?」

「私という人間は、実は存在しないのではないかと疑っております」

「……長くなりそうね、次の機会に聞かせてちょうだい」

「それはやぶさかではございませんが、次の機会を考えながらその台詞を使っている人はいるのでしょうか」

「その場凌ぎの言葉を使うのは自分の首を絞めるのと同じこと」

「ごもっとも、水が低きに流れるのと同じくらいに普遍でございます」

「心なしか苦しくなったわ」

「華麗な三段論法にございますね」

「それは置いといて」

「うっちゃりましたか」

「もとい、お金は必要よ」

「まったくもって、一般常識の冒頭に書かれているくらいにございましょう」

 切り替えられた話題にも、ビリーは隙なく相槌を打ってみせた。

「ビリー、世の中お金が全てではない、を肯定的な言葉に換えてごらんなさい」

 ビリーは返した手の平に肘をつき、小さくうなずいた。

「世の中のほとんどはお金である、でしょうか」

「流石ね、正解よ」

「光栄に存じます」

「そう、お金は何物にも代え難い武器」

「と、申しますと」

「ときにどれほど偉大な知識より、大勢の不幸を食い止める力を秘めているもの」

 そう言った後で、ラミエルは使い方を誤らなければ、と付け足した。

「通貨が流通していることを前提として、でございますね」

「お金という言葉が認知されている時点で通貨も流通しているはずなのだけど」

「確かに、卵より鶏が先に」

「ピヨピヨ」

「生まれてくるはずがございませんね」

「クックルー」

「くりそつ、でございます、お嬢様」

胡乱うろんな言葉ね」

「真に、失礼いたしました。一致、でございます」

「よろしい。あとひとつ、昨年撒いた種は?」

「それはもう、(おびただ)しい数の種子が一斉に芽吹いておりますよ」

「そう、なら今日はもういいわ」

「おや、珍しく外出でございますか」

「ええ、喪服を用意なさい、そのついでに」

「飛竜、でございますね。畏まりました、三十分後に屋上にて落ち合いましょう」

「…………」

「どうかなさいましたか」


 押し黙ったラミエルを見て、ビリーが少し不安げに首を傾げた。


「屋上なのに落ち合うって言葉は、どうなのかしら」

「なんと」


――――


 セーニアとの決戦から十日が過ぎていた。アミナは病室のベッドで身を起こし、鮮やかに過ぎる青空と砂海とを望んでいる。傍らの椅子には付き添いのシュイが座っている。

 帰還した直後にアミナが船着き場で倒れたのを見て、シュイは本気で心臓が止まるかと思った。即座に――レイヴと戦ったとき以上に速い速度で走っただろう――病院に担ぎ込んだが、適切な処置を施して尚三日三晩に亘って高熱を発した。治癒術で全身の切り傷が塞がるまでの間に感染症にかかってしまったのでは、というのが医者の診断だった。不幸中の幸い、生命力の強さもあって大事には至らなかった。

 彼女の方は。


「年若い兵を庇って逝くとは、いかにもシハラ殿らしいな」


 アミナの容体が快方に向かうのと前後して、オルドレンの戦いで矢傷を負ったスザク・シハラは、戦いから五日後の未明、七十七歳の生涯を終えた。高齢も祟って治癒術の利きが悪く、手の施しようがなかった。最後の三日ほどは昏睡状態が続いていたため、遺言を残す間もなかったという。


「……惜しい人を亡くしました。もうこれ以上の犠牲は、そう思って臨んだのに」


 オルドレン会戦におけるジヴーの戦没者は1204名。3万5000もの敵兵に相対してこれを多いと見るべきか、少ないと見るべきなのか。

 ヴィレンは上出来だと慰めの言葉を返したが、彼の目はそう言っているように見えなかった。勝利の凱旋時、行進する兵士たちに歓喜の声が投げかけられる一方で、自分の肉親の姿を必死に探している者たちの姿が、頭の片隅に残っているからだろう。

 ダミア・ブイの前にて町の者らと共に勝利の祝杯を掲げながらも、全軍の十分の一に当たる戦死者が出てしまったことを心に留めぬ者はいなかったはずだ。シュイが率いた遊撃部隊も例外ではなく、十六名の者が生還できなかった。敵の群れに呑み込まれで崩れ落ちていった者の姿が、運悪く頭を射抜かれてしまった者の姿が、目に焼き付いていた。


「シュイ、世の中の舵は一人の手で回るわけではないぞ」

 アミナが一つ言葉を置き、項垂れているシュイの顔を覗きこんだ。

「セーニア軍を打ち崩したあの鎖が、何よりそれを物語っている。あれは、ジヴーの者らによって完成した抵抗の意思の象徴だ。我々が案ずるまでもなく、シハラ殿の後を継ごうとする者が必ずや現れるであろう。そうと信じていればこそ、彼も身を投げ出せたのではあるまいか。心配せずとも、体を張ったその行為は遺言よりも重く、そして励みにもなろう」

「……でも、他にもっと犠牲を少なく済ます方法があったのかも知れません。そう思うと悔しくて」

「胸を張れ、そなたはあの場で出来得る限りのことをやった。……此度のジヴーの勝利は後の世にまで語り継がれるだろう価値ある勝利だ。全員の手で掴み取った。故に、責任も全員で分かち合わねばならぬ」

「みんなで、……そうですね」

「人を頼ること以上に、他者の手に物事を委ねるには器の大きさが不可欠。そう言った意味で、そなたが形勢判断を敵であるネルガー・シラプスに任せたのは、一歩成長の跡が窺えるな」


 アミナなりの賛辞を受け、シュイはきまり悪そうに外に目をやった。

 拡声魔石を手にしたネルガーよりビシャ・リーヴルモア戦死の報が伝えられ、次いで武装解除命令が下ると、ほどなく戦いは僻地戦も含めて終息に至った。

 シュイが取りつけた約条により――といっても、戦前にヴィレンが提示した案だったのだが――ジヴー軍は最低限の水と食料を乗せた砂船を提供し、それと引き換えにセーニア兵たちの手放した武器を持ち帰って戦利品とした。

 ビシャ・リーヴルモアの敗北を受けてセーニア教国では反戦運動に再び火がついたようだ。また、主要各国がセーニアに対して連名で軍事介入を仄めかす警告を発したこと。前後するようにルクスプテロン連邦が国境付近で兵を集めている動きを見せていることなどから、近々セーニアも軍を撤収させるのではないかと見られている。援軍による再度の侵攻という最悪の事態を避けられただけでも恩の字と言えなくもない。


「とはいえ」

「って、うわっ」

「イヴァンらの協力なしには策がならなかったのもまた事実。ここを訪れる以前に戦力を分析しきれていなかったことについて、弁明の余地はあるまい。そこはきちんと反省せよ」

「……はい」


 身を乗り出すようにして指先を眉間に突き付けられ、シュイはしゅんと項垂れた。持ち上げられた直後だけに、彼女の心配がより心に沁みた。

 セーニアの仇敵であり、一騎当千の戦闘能力を有するイヴァン。治癒術、結界術のエキスパートであるヴィオレーヌ。アミナの指摘通り、あの二人の力添えがなければ、あのような無茶な作戦はまかり通らなかっただろう。囮役のイヴァンが敵の戦力を一所に集めなければ、<紲の雷サンダー・オブ・ボンズ)>の効果は半減したはずだし、ヴィオレーヌがスザク・シハラの指揮する兵士たちの命繋ぎ止めねば、あれほどに持ち堪えることもできなかった。

 終戦後、ネルガー・シラプスとの質疑を交えて思い知らされたのは、魔石による連絡を封じていたことによる影響だ。セーニア軍の動きを止める際に使われた照明魔石は、同時にイヴァンらの仲間に<妨魔の柱(アンチ・マジックピラー)>の破壊時期を知らせるのにも一役買っていたのだが、それによってセーニアにもたらされた被害は予想以上に大きかったらしい。

 こと、戦場では敵に悟られぬように情報伝達を行うことが必須とされる。古代より暗号文や矢文、はたまた伝書鳩など連絡手段が発達してきたが、連絡用魔石が普及されてからというもの、セーニア軍はそれに頼り切っていた節があったという。大軍に効率よく指示を行き渡らせるためには、中央に情報統制を集約する必要があったのだが、今回はジヴーの連絡を絶つために敷いた自分たちの罠を逆手に取られる結果となった。

 かくいう念話を扱うシュイも、情報伝達の重要性はよく理解しているつもりだっただけに、今回の一件については色々と学んだことも多かった。


「我々も、心身ともにもっと精進せねばなるまいな」

「……きついなぁ。この分じゃ、手放しで褒めてもらうことなんて望み薄かな」

「それでいいのだ。人は完璧であろうとして半人前、自らの未熟を真摯に見つめられるようになってやっと一人前だ。全知全能の存在になどなれるわけがないし、よしんばそんな者が存在したところで収まりが悪かろう。万能を求めているうちが花、それが本当に手に入ってしまったならば、人の世は真の停滞を迎えてしまう、そんな気がする。

 さておき、<魔遺物ヴァイーラ>とやらをセーニアの手に渡さずに済んだのは幸いだった」


 人がどう足掻こうと、最善の結果を掴み取ることはできない。不確定要素がひしめく世界において、完全無欠な答えなど望むべくもないからだ。一時的な満足に身を委ね、そこから更なる高みを見据える。不完全であればこそ、進化する余地が残されている。そんなアミナの人間観には、シュイも多分に同意していた。


「そうそう、<魔遺物それ>で思い出したのだが、イヴァンたちはどうしている? まだこの町にいるのか?」

「つい先ほど、ラードックさんと一緒に砂船で」

「……そうか。残念だ、訊きそびれたな」

「訊きそびれたって、一体何をですか? もしかして、フォルストロームの一件ですか」

「それもあるが……一番訊きたいのは、此度の戦に置けるルクセン教の立ち位置だ」

「立ち位置、ですか」

 シュイは首を傾げた。アミナはやや声を低くした。

「ジヴー侵攻の発端は鉱石の拠出云々ではなく、ルクセン教徒の裏切り者が<魔遺物ヴァイーラ>の存在をセーニアに漏らしたこと。そうだったな」

「え、ええ」

 アミナは一瞬迷ったような素振りを見せて、言った。


「あくまで可能性の話だぞ。本当にそやつは、裏切り者だったのか?」

「……え、っと、どういうことです…………まさか」


 アミナの言わんとしていることを察し、シュイは愕然とした。ルクセン教はこの戦いを起こすために、わざと情報を漏らしたのでは。そう示唆しているのだ。

 アミナは淀みなく話を続けた。今回の件、首謀者の立場はおおよそ三つの可能性に分けられる。イヴァンたちの言うようにルクセン教内から裏切り者が出た可能性がひとつ。元々外部の者がルクセン教に巣くっていたという可能性がひとつ。最後に――ルクセン教の主軸ないし、それに準ずる勢力が争いを助長しようと画策していた可能性がひとつ。一瞬にして被害者と加害者の視点が切り替わる仮説だった。


「まっ、ちょっと待ってくださいよ。大体、そんなことをして彼らに何のメリットがあるって言うんですか。タイミングだっておかしいでしょう。仲間たちが各地に散っている状況で敵を誘き寄せるのって矛盾してないですか?」


 反論するシュイに、アミナは腕を組んだ。心なしか怒っているようだった。

「……そういった事情は今初めて聞いたのだが」

「あ、い、言いませんでしたっけ」

「……まあそれはよい。メリットというか、目的だな。それについては未だ何とも言えぬ。現状、私も三番目の可能性は低いと睨んでいるし、判断材料もまだまだ不足している。だからこそ、最初に可能性の話だと前置いたのだ。が、しかし――」

 アミナは深く息を継ぎ、言葉を続けた。

「今の話は全くの根拠がないわけでもないぞ。二年半前のヌレイフの戦いの発端を思い起こしてみよ」


 シュイは何かを言いかけて、口を噤んだ。確かに、セーニアとルクスプテロンとの戦いは、ルクセンの暗躍によってフォルストロームの動きが抑制されたことが始まりだ。後方に憂いなしとの確信がセーニアにあったからこそ、ルクスプテロン連邦への派兵に踏み切った。現実、そのように世間でも見なされている。前科があるのだから、今回の件と無関係だと言い切ることはできないのだ。


「そ、それはわかりますが、肝心の目的がわかりません」

「仮定に仮定を重ねるのは好まぬが、あるいはこれではないかと思うこともある。四大国などと言われてから久しいが、ここ最近はセーニアの国力が突出している。人的資源のみならず、土地の肥沃さもな。国家間の力のバランスがこれほどに悪くなったことは、ここ百年ほどを見ても前例がない。異常事態と言ってもいいくらいだ」

「そう……なんですか」

「うむ。そして、イヴァンはセーニアに恨みを抱いている。そうだな?」

「……ええ、それはもちろん。俺だって、根っこのところは否定できないですし」

「さもあらん。……私はイヴァン、もしくはその一味が、何故ルクセン教などと手を組んだのかとずっと疑問を抱いていた。ただ復讐を果たしたいのならば、敵対しているルクスプテロンに協力すればいいだけの話ではないかとな」

「……言われてみれば」

 シュイはうなずくばかりだった。ここ最近は戦いのことばかりに心がいって、瑣末なことまで考えが追いついていなかったのだ。

「ともすると、ルクセンは何かしらの理由によりセーニアを弱体化させたかった。あるいは、外に目を向けさせている間に教団員を暗躍させたかったのではないか? 三年前、フォルストロームにやってみせたように」

「そ、そんな……。もしそれが事実だったとしたら……」


 ジヴーはルクセン教の自作自演に巻き込まれただけなのか。だとしたら、イヴァンたちを許せるはずがない。仲間面をしつつ、必死になって戦う自分たちを嘲笑っていたのだとすれば。開戦から合わせればジヴー軍は一万以上の兵を失っている。それに倍する家族が不幸に見舞われているのは疑いない。


 段々と深刻な顔に変わりつつあるシュイにアミナは苦笑し、それから一つ風を吹き入れた。

「――と、此度の戦いが始まるまでは思っていたのだ」

「……あ、え? ……始まるまで?」

「少なくとも、イヴァンたちが人命を軽視しておらぬことはわかった。目的のみを優先するのならば囮役を買って出ることはなかったはずだし、セーニア軍の鎧も提供しなかったであろう」

「…………」


 イヴァンに提供された鎧は複製品も含めて大いに活用された。敵兵に扮して安全に退却するのに使われた他、セーニア軍の動揺に付け込むのにも一役買っていた。まさかセーニア兵たちも、自分たちの中に混じっていた敵兵が武器を捨て始めるとは予想しなかっただろう。あの場で一人二人と武装解除者が出ればその輪が広がっていくのではと淡い期待を寄せていたのだが、望んだ結果に落ち着いたのは幸いだった。もしあの小細工がなければ、悲劇的な結末に行き着いた可能性もあっただけに。


「そういうことだ。易々と言葉に振り回されるのは感心せぬぞ」

 意味ありげに三角耳を動かすアミナに、シュイは疲れたように首を振った。

「……振り回した当人が言わないでください」

「ま、そなたも少しは骨休めすることだな。気を張り詰めてばかりでは損だぞ」

 シュイは大きな溜息をついてから、わかりました、と椅子から尻を持ち上げた。

「じゃあ、俺はそろそろ行きます。ピエールが待ちくたびれているでしょうから」

「うむ、先ほどああ言っておきながらなんだが、道中気をつけてな。此度のことでそなたは大分敵を増やしたはずだ」

「はい。アミナ様もお大事に、リズさんにもよろしくお伝えください」


 流石にアミナの病状のことを知らせないわけにもいかなかったので、シュイは<妨魔の柱アンチ・マジックピラー>が取り除かれて結界が消えた一週間前、彼女の従者であるリズ・ヘイロンに連絡を入れていた。返信ではオルドレンへの駐留軍を送るのに先立って、リズ本人が迎えにくる旨が伝えられている。アミナも一度は王都に戻らねばならぬと思っていたのか、彼女の方針に大人しく従うようだった。


「うむ、養生が終わったらまたそなたの支部に立ち寄らせてもらうとしよう」

「……立ち寄るってレベルじゃなかったような」

 それ以前に、支部長のままでいられるのかも怪しかったが、あえて触れることは避けた。そうした心情を察したのか、アミナが微かに眉をひそめた。

「今回のことで色々摩擦も生じようが、めげるでないぞ」

「はは、ご心配なく。少しは打たれ強くなりましたから」

 これは紛れもなく本音だ。

「それから、私の名でも花を備えておいてくれるか」

「既にそのつもりです、ご安心を。ヴィレン将軍にも頼まれていますので」

「ならば、よし」


 快活に笑ったアミナに、シュイは一瞬目を奪われた。それから頬を撫で、悩んだ末に

「……あの」と口にした。

「ん、なんだ?」

「ちょこっとだけ抱き締めても、よろしいでしょうか」

「……な、な、なに?」

 不意打ちを食らったような顔をしたアミナに、シュイは笑みを誘われた。

「駄目ですか?」と首をかしげつつ、フードに手を伸ばす。

「ちょっ、卑怯だぞ! なんでこういうときだけ顔を見せるのだ!」

「な、何となく、こうして頼んだ方が聞き入れてくれそうな気がしまして」


 素顔を晒したシュイは、黒髪を撫でつけながら微笑んだ。アミナはしばしの間顔を赤らめ、ベッドの上でもじもじと指を絡ませていたが、すっと上目遣いをして、観念したように囁いた。


「……びょ、病人なのだ、手柔らかにな」

 ベージュの髪から覗く三角耳はやはり、ぴろぴろと動きっぱなしだった。



――



 ルクスプテロンの南端。ジヴーへの海を望む岬の突端に、一つの石碑が置かれていた。立てられた石版を取り囲むように、たくさんの花束が供えられている。

 黒い神父服をまとった男が一人近づいていく。右手には小さな花束を、左手には未開封のボトルを抱え、新芽が出始めたばかりの芝生を静々と歩く。

 塩気をふんだんに含む風は未だ肌寒く感じるが、上から降り注ぐ幾重もの日差しは目を庇いたくなるほどに強い。一月前まで降り積っていた雪はすっかり解け、花の香に誘われた色とりどりの蝶が指先ほどの可憐な花々に群がっていた。食事の邪魔をせぬようにと少し遠回り気味に石碑へと赴く。


「どうです、アルマンド。中々悪くない場所でしょう?」


 どこか物哀しそうな微笑を浮かべ、デニス・レッドフォードは視線を下げた。それからローブの裾を畳むようにして腰を下ろした。茄子のような形をした石版には、文字が横二列に彫られている。


『ヴァニラ・ハインド

 アルマンド・ゼフレル ここに眠る』


 一行目の文字は二カ月ほど前に自分が彫ったものだが、二行目にあるアルマンド・ゼフレルの名は彫ってからそう間もないようだ。よくよく見れば、溝に細かな石の粉が付着しているのがわかる。ピエールがアルマンドの骨を納める時に彫ったのだろう。作業に手慣れた自分の字と比べればやや不格好ではあるものの、気持ちのこもったいい字だとデニスは思った。

 枯れかけている花束を手前に引き寄せ、空いた場所に自分が持ってきた花束を置く。デニスが枯れた花束を掲げると、数秒後には目の細かな灰となった。命の本質は終わりにこそある。神父である自分が散々学んできたことであるが、親しい者たちの別れには一向に慣れることが出来ない。

 強い風が吹き荒れ、デニスの手から灰が放たれた。海に、あるいは地に、己が生命の残り香を伝えに。それを苗床にして、また新たな生命が育まれる。広大な砂の地で散っていった者たちの残り香も、例外ではないだろう。


 物思いから抜け出すと、デニスはポケットに入れてきたコルク抜きを手に取り、ボトルのコルクに突き刺した。キュッキュ、と小気味よい音がなり、蓋が取れると、芳醇な果実の香りが漂ってきた。デニスは束の間ビンの口に鼻を近づけてそれを楽しんでから、ゆっくりと立ち上がった。


「昔はよく飲んだものでしたが、最近はとんと御無沙汰ですからね。今日くらいはレムザ神もお許しになるでしょう、久し振りに一杯やりましょうか」


 デニスは石碑に濃い赤紫色の果実酒を振りかけてから、ゆっくりと瓶の口に唇をつけた。舌に仄かな甘さを残し、喉に熱を残しながら腑の中に注ぎ込まれていく。十年振りに飲む酒は刺激が強く、懐かしい味わいだった。


「ふう、たまにはいいものですねぇ」


 同意を求めるように石碑を見つめた。在りし日のアルマンドの姿が脳裏に過る。足掛け十年の付き合い。無茶振りをされることも少なくなかったが、その本質はどこまでも大らかで、そのくせ自分のことには不器用で、憎めない男だった。デニスに言わせれば、ずるい性格というのがしっくりと当て嵌まる。恨み節のひとつやふたつ、聞かせてやればよかったな、と今になって思う。


「それにしたって、少し生き急ぎましたね。最後までせっかちなところは治らなかったようで」


 久し振りに飲んだ酒のせいだろうか。一人にもかかわらず、よく口が回る。デニスは目頭が少しずつ熱くなってくるのを感じた。もう年だろうかと自嘲し、感傷的になっていることを尚自覚する。

 と、後ろから近づいてくる気配を感じ取り、デニスは立ち上がり様に振り返った。それで向こうも自分に気づいたようだった。


「こんにちは」


 手に歩いてくる少年との距離が十歩ほどに縮まったところで、デニスはにこやかに会釈した。

 森族の少年は「こんにちは」と返しつつも、少し驚いたような顔をしていた。ぱっと見は14か15くらいだろうか。晴天の空にも似た鮮やかな青の短髪。どちらかと言うと活気溢れるというよりは小利口そうな少年だ。厚手の白いカーデガンを羽織り、雪を予想していたのだろう、ロングブーツを履いている。両手には花束と、寄せ書きらしき物が入った手提げ袋を掲げていた。

 デニスは、彼の関係者ですか、と聞こうとして思いとどまり、代わりに空を見て「素晴らしい天気ですね」と目を細めた。

 少年も釣られたように空を見上げ「ええとても」と返した。それで、少し固さが取れたようだった。

「もう春も近くまできているみたいですね。先ほども、歩いているときにツクシが顔を覗かせているのを見かけました」

「ああ、あれは甘辛く煮つけると意外といけますね。穂の部分は苦手なんですが」

 雑学を披露するデニスに少年が再び視線を合わせ、それから躊躇いがちに口を開いた。

「あの、人違いだったら申し訳ないんですがもしかして、デニス……さんですか?」

「ええ、そうですが」

「あぁ、やっぱり! ……て、あぁ、えと、スミマセン。自己紹介がまだでした。僕はエイヴィ、エイヴィ・ノスラダといいます。フォルストロームにある孤児院でお世話になっています」

「エイヴィ、ですか。よい名ですね」

 やんわりとうなずいたデニスに、少年は顔を綻ばせた。

「あは、ありがとうございます」

「こちらへは、お参りでお越しになられたんですか? フォルストロームから?」 

「はい、三週間ほど船に揺られてきました。アルマンドさんには院の子どもたち共々よくしていただいていたので。院長さんも来たがっていたんですが、かなりお年を召しておられることもあって腰のお加減がよろしくないんです。それで」

「あなたが代理で来た、というわけですね」

 エイヴィは目を伏せ、辛そうな表情で石碑を見つめた。

「<闇祝祭アフタルーズ)>を最後に音沙汰がなかったので気になっていたんですが、……つい先日、孤児院に訃報ふほうが届きまして。ただただびっくりするやら悲しいやらで」

「訃報……ですか」

 デニスは首を傾げながら言った。(おそらくは)一番の友人である自分にすら孤児院のことは知らされていなかったのに、一体誰が手紙を出したのだろうか。

 そんな心情を表情から汲み取ったのか、エイヴィは二の句を継いだ。

「教えてくださったのは、もしかしたらお知り合いかもしれませんが、エヴラール・タレイレンさんという方です。その、アルマンドさんには度々かなりの額のお金を孤児院へ寄付していただいていたんですが、報酬から一定の割合で寄付できるよう便宜べんぎを取り計らっていただいたようで」

「エヴラールが……なるほど、個別に会計処理をしていたというわけですね」

 デニスは銀髪の澄ました顔を思い浮かべ、一人納得した。確かに支部長であればそういった手続きはお手の物だ。同じ準ランカーともなれば共同任務も何度かこなしているだろうし、知り合いという関係以上であっても不思議ではなかった。


「……ギルド銀行に残されているアルマンドさんの口座のお金は彼の遺言状に従い、僕のいる孤児院を始めとして複数の養育施設に分配されるそうなんです。僕個人としても一度ちゃんと会ってお礼をしたかったんですが、こんな形での再会になってしまって……残念でなりません」

 エイヴィは唇を結び、再び肩を落とした。

「……あなたは、アルマンドとは面識があるのですか?」

「もちろんです。小さい頃はよく遊び相手になっていただきました。二十対一で取っ組み合いをしたり、肩車をしてもらったり。あと、一度だけさっき言ったエヴラールさんという方と一緒に鳥獣グリフォンを二頭連れてきていただいたこともありました。そのときの子どもたちのはしゃぎっぷりといったらなかったですよ。僕にとってもあの日の空中散歩は一生に残る思い出です」

 懐かしそうに目を細めるエイヴィに、デニスの口からは、咄嗟には言葉が出てこなかった。

「――そう、ですか。いや、意外でした。まさか彼がそんなことをねぇ」

「強くて、優しくて、院にいる子どもたち皆のお父さんみたいな存在でした。偶にふらりとやってきては、見たこともない動植物の話や旅の話を聞かせてくれたものです。そう、デニスさんのことも何度か話していましたよ」

「ふむ、興味がありますね。彼は私のこと、どのように言っていました?」

 敬虔でストイックな理想の神父、といった感じだろうか。もしくは慈愛に溢れる倫理の使徒、かも知れない。期待を込めたデニスの眼差しに、エイヴィは曖昧に笑った。

「えっと、言っていいのかあれなんですが、ケチで理屈っぽくて親子ほども年が離れた教主を愛でるロリ――」

「――ひとつ誤解です。私は天地神明、もといレムザ神に誓ってもいい、ロリコンではありません」

「え……、と?」

 困った様に首を傾げるエイヴィに、デニスは滔々と語る。

「あぁ、思い出すのも忌々しい。そのことを誤解されて以来、いつも彼は鬼の首を取ったかのような顔で私を小馬鹿にしたものですが――よろしいですか。そもそもロリコンとは狭義で幼い少女を愛でる性癖を持っている方々のことを指します。ですが私の場合は違う、絶対に。たまたま敬愛を捧げようと誓った対象が偶然にも、奇しくも、折しもロリータだった、とただそれだけのことなのですよ。現に、私はリーリ様が十代を逸しようとされている今でも己の信愛を疑ったことはありません。おわかりですか?」

「あの、ええ、はい」

 一息で強く訴えかけた甲斐があったのか、エイヴィはがくがくと首を上下に振った。理屈っぽいというのは返って証明してしまった気もするが、これで懸念すべき誤解は解けただろう。デニスは満足そうにうなずいた。

「まったく、油断も隙もないですね。妙な風評を広められてはこちらもたまったものでは――」

「で、でも、褒めていたことも多かったんですよ? ええと、仲間想いで、場を和ませる雰囲気を持っていて、情に熱いって。俺の一番の友人だって言っていましたし」

 すっかりやさぐれたデニスに、エイヴィは身振り手振りで懸命に弁明した。

「後付けは結構ですから。そんなことを言ってもらった試しは一度たりとてありませんし」

「ほ、ほら、誰だって面と向かって感謝を口にするのは照れ臭いじゃないですか。それに、憎まれ口っていうのは誰にも叩けるものじゃないですよ。デニスさんを大切な友人と思っていればこそ、親愛の証ですよ」


 確信めいた言葉に、デニスは黙り込んだ。今更そんなことを伝えられても確かめようがなく、途方に暮れるばかりだった。やはりヴァニラの傍から離れぬよう忠言するべきだったのではないか。穏やかに、寄り添うようにして最期を迎えた方が。そんな自責の念が顔を出す。

 神妙な顔つきになったデニスに、エイヴィが空を仰ぐ。

「アルマンドさんが常々僕らに教えてくれました。人との出会いを大事にしろ。身近な人が、仲間が其処にいることにまず感謝しろ。それでもって、もし誰かを好きになることがあったなら――」

『最低限、そいつを守れるくらいには強くなっておけ。じゃねぇと、いつか後悔することになるかも知れねえからな』

 エイヴィの口の動きに合わせて、アルマンドの笑い声が聞こえた気がした。ベッドに横たわったヴァニラの、安らかな死に顔が脳裏を掠めた。火葬した骨は骨壺に納めてある。ピエールがやってきた形跡があることから、おそらくはアルマンドの骨壺も中に入れられているだろう。

 自然と、目は墓石の方に向いていた。エイヴィは孤児院の仲間たちからのものと思われる寄せ書きを――幼児から大人まで、歪と端麗に彩られた字が所狭しと書かれている厚紙を墓石に立てかけ、ゆっくりと手を合わせた。


「――恥ずかしながら、実は僕も傭兵になりたいってアルマンドさんに打ち明けたことがあるんです。自分を鍛えるのにはよさそうですし、僕が一杯お金を稼げるようになれば、これから孤児院に入ってくる子供たちも飢えずに済みますし」

「それは……立派な心がけだと思いますが、傭兵、ですか。うーん、個人的にあまりお薦めはできませんねぇ。世間的にあまりいいイメージは抱かれてないでしょうし、大体、彼にしたって反対したのではないですか?」

「ええ。止めとけ止めとけ、ろくなもんじゃねえよ。って取りつく島もなかったです。でも、僕はここに来て、背中を押されている気がするんです」


 そう言って、エイヴィは備えられている花束に目を移した。まだ捧げられてから間もないと思われる、桃色のジプソフィラの花束に挟まっているのはピエール・レオーネと記された名刺。そして、包まれた紙に挿し込まれている名刺のひとつひとつに、デニスが目を見張った。


 ヴィレン・カシリ。シュイ・エルクンド。アミナ・フォルストローム。エヴラール・タレイレン。アークス・ゼノワ。他にも彼の知己と見られる名前がずらりと並んでいる。

 最後に一番端の名前を見て、デニスの口から掠れた息が漏れた。マスター、ラミエル・エスチュードの、直筆の署名。ギルドの告知書でも何度か見たことのある筆跡だ。

 万感が胸に込み上げてきたデニスの前でエイヴィが立ち上がり、赤く腫れた目を擦りながら、それでも満面の笑みを見せた。


「これだけ多くの方がこうして墓標に赴き、死を悼んでくれている。それって、傭兵アルマンドが世間に認められ、信頼されていた何よりの証じゃないでしょうか。肩書きやイメージなんてどうだっていいです。だって、僕にとってはアルマンド・ゼフレルという人の背中が誰より大きくて、憧れなんですから。だから僕も、いつかきっと――」


 言おうとして口を噤んだのは、その目標の高みが如何に困難な場所にあるかを薄々と自覚しているのだろう。エイヴィはただただ、拳を固く握り締めていた。


「……そう、ですね」


 例えば早逝した画家の絵が、はたまた音楽家の曲が愛されるように。惜しまれる死ほどに貴い物はないのかも知れない。ピエールやシュイ、そしてここにいるエイヴィにも。アルマンドの生き様は、命の輝きの記憶は間違いなく焼きついている。デニスはそんな確信を深めていた。

 生に意味があるように、死にもまた意味がある。ならば早すぎると思われた彼の死にも、彼に愛されたヴァニラの死にも、意味があったのだろう。立派に生きた先達の遺志が、無念が受け継がれることによって、そう遠くない未来にその身を、心を救われる者が一人でもいるのなら。


 頬に熱いものが過ぎったのに気づき、デニスは海の方を向き、糸のように息を紡いだ。人に想いを伝えるときは、単純でいい。単純がいい。生前の彼の言葉が胸を過る。

 祈りの言葉はすぐに決まった。



 ――友よ、安らかに




 第二部 ランカーの条件 ~了~

やっとこエンドにまで漕ぎつけました。

ここまで読んでくれた読者の皆さまに深く感謝致します。

本音を言えば、半年以上かかるとは思わなかった。

何が三カ月ですか、半年以上前の私はまったくしょうがない。

字数がこれほどに膨れ上がったのは

半年以上前の私の不徳と致すところでございます。


寝落ちでの乱文投稿などもかます中。

お気に入りに入れてくれた方。評価をしてくださった方。

感想、誤字指摘をしてくださった方に

心からありがとうを言いたいです。

一度書き終えると少し物哀しくもありますが

次はより大勢の人に楽しんでいただける小説を

書いてみたいと意気込んでいます。


完結をつけようかとも考えたのですけれども

シュイとミス・ヤンデレことアデライードを主軸とした

終の部、美しき嫉妬と醜い情愛 の構想もありますので

直ぐに出来るかどうかは別として、保留させていただきます。

の前に改訂が難儀ですね。

確認し終えるのもいつになることやら(汗


蛇足になりますが、今は新作に向けての設定を練っています。

荒廃した近未来のSFファンタジーといったところですが

脳内設定が形にできれば、間違いなくマーシナリーより面白いはず。

(作者談なのでまともに信じないでくださいね)

新作は群雄伝ではないのでスポットが狭いです。

一人称風味の三人称といったところで

9割方主人公視点で進んでいきます。

その分メインキャラへの掘り下げ方は強いですし

世界観を語る部分もかなり大きいので

感情移入はしやすいかも知れません。

また、好き嫌いがはっきりわかれるのは確実です。

マーシナリーで足りなかった部分を猛省しつつ

じっくりと詰めていければと思います。

特に定期更新とかね。


さておき、新作が出来た暁には、またお会いできれば幸いです。


19:00、後書き添付

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